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2010.07.11

カザベラJapanに原広司の記事があった

カザベラJapanというのは有名なイタリア建築雑誌Casabellaに日本語ダイジェスト版小冊子をくっつけたものである。日本語版の創刊号からいただいている。ありがとうございます。

最新号の日本語版の最後に原広司さんの記事があった。アレクサンドリアの都市計画についてで、そこを緑化して都市を整備して・・・というようなスケールの大きい話しであった。

ところで原さんとアレクサンドリアとの関連で興味深かったのは、地球環境とか、樹木は1日50リットルの水を消費するというようなことよりも、むしろ記事では書かれていないことであった。

すなわちアレクサンドリアは、その有名な古代の図書館があったころ、古代の神秘哲学の坩堝であった。これにたいし、原さんもおもに70年代に錬金術やカバラ学しばしば言及していたのであった。つまりアレクサンドリア・プロジェクトと原さんというのは、たまさかの出会いではなく、強い必然性があったかのではないか、ということ。とくにヘルメス学なるものはアレクサンドリアに流れ込み、それ以降のヨーロッパの神秘主義の根幹となったのである。

原さんの建築論は難解で奥が深いのであるが、それはベースが近代哲学ではなくて、古代哲学それも密教的なものをベースにしているのではないかと想像している。将来、たとえば日本近代建築史のなかに原広司なる建築家をどう位置づけるか、というようなことになると、たいへん難しいと思う。単純に反近代の旗手ともえいないし、アナクロニックのようでまったくコンテンポラリーであるし、別の意味では超未来派的なのであるし。建築史家は苦労すると思う。図式的な歴史観にはのりそうにないからである。

70年代日本ではヘルメス学がしばしば言及され紹介されたが、今日思い出しても、当時の神秘主義への傾斜は顕著であった。

いっぽう20世紀の思想の流れを思い出してみるに、やはりヘルメス学的なものの復活は顕著である。たとえばワールブルグ・インスティチュートにおいて収集された多くのルネサンス文献、そこからうまれたシンボル学研究、ウィトカウアーなどの新プラトン主義をベースにしたルネサンス研究、さらにはその派生であるコーリン・ロウのル・コルビュジエ研究などを考えてみると、20世紀は新プラトン主義がKWであった。そして最近感じるのは、20世紀には一種の文化論としてこの新プラトン主義が注目されたということになっているが、しかし古代、アレクサンドリア、コンスタンティノープル、フィレンツェ、ハンブルグ、ロンドン、アメリカ東海岸というようにこの古代神秘主義の末裔をおってゆくと、これは客観的な文化研究というより、古代哲学そのものの復活のように思えてしまう。そしてそれは19世紀的な「歴史」概念とはずいぶん違ったものなのである。つまりパラディオとル・コルビュジエがおなじ建築イデアを共有していたなどというのは、もはや「歴史」ではなくむしろ「神秘主義」のなせるわざである。

原さんの建築論を論じるにはこのくらい大きなバックグラウンドを考える必要がありそうだ。日本近代というようなものからは超越している。地球がバックである。しかも彼は、ある意味で/そういう意味で孤高の存在であって、単純な系譜にものりそうにないのでやっかいである。

日本にもコスモロジー派、神秘主義派、密教派の建築家たちはいた。おどろおどろしい作風の人びとである。しかし原さんはおなじ密教系でも次元がちがうように思える。普遍性がある。ただその普遍性を今のところははっきり指摘できないでいるので、批評家的にはもどかしいところもある。

・・・・なんてことをカザベラjapanをぱらぱらめくりながら考えた。それにしてもありがとうございます。

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