« 岡嶋裕史『ポスト・モバイル』 | トップページ | ジュリイのあとさき »

2010.07.28

iPadを入手して・・・

MS-DOSに格闘して徹夜したのも今では昔話である。縁側でお茶をすすりながら話すようなことになってしまった。「最近の子供はフロッピーを知らん・・・。時の流れじゃのう」。フロッピーはすでに火打ち石のようなもので、産業博物館に残す価値があるかどうかもわからない。

しかし、である。ラジオが突如登場して仰天したことのある方がたもまだご存命のはずである。団塊の世代の方がたは、10代のころテレビというものが忽然と商品化されて感激したのであろうが、そういう人びとがIT世界を構築していった。ぼくがiPadを使うのはそんな距離においてであろう。相対的にかなり遅いが、いちおう間に合ってはいる。

率直なところスグレモノである。PCのサブマシンとして割り切った設計である。

インターフェースがよい。タッチパネル式のPCよりも使用感がよい。これはタブレット式で、軽量であることから、書籍のような手中にある感覚がよい。身体に近い。スクロールも「もうちょっと右」というようなことがストレスなく実行できる。

PCが「脳的」「視覚的」であるとしたらiPadは「身体的」「触覚的」である。ということはITを駆使しながらも、書籍といった旧メディアの特性を復活させている、ということである。

あるいは「個人ベース」であるということでもある。これはこれでひとつの哲学である。googleなどは、書籍電子化のおおきな目標はAIに読ませることらしいが、そうなると伝統的な「個人」などというものは必要なくなってしまうかもしれないからである。

iPodもスケジュールもアドレス帳も使うが、とりあえずもっぱら「pdfリーダー」である。アンダーラインもひけるし。どこでも読めるし。PCに拘束されなくなった。「PCからの身体の解放」である。

だから「iPad=文庫本」である。とりあえずはこれ。発展形はご指導ねがおうと思います。

そこで柄谷行人『世界共和国』を読んだ。『トランスクリティーク』の大衆版である。とくに面白かったのは、まずプロレタリアートは生産者にして消費者であるという指摘。日本の21世紀の問題は、就労人口の減少のみならず、消費者人口の減少すなわちマーケット縮小であるからだ。それから19世紀の重要性。サン=シモンやフーリエといった19世紀をもっと注目すべきというようなこと。建築にひきよせて考えると、近代住宅(標準化された住宅設備+1家族1住宅制度)は20世紀固有のものにすぎなかったことが再確認されたうえで、21世紀について考えるとき、やはり19世紀に戻るべきであるからだ。つまり19世紀は産業社会になってはいるが、まだ社会の形態や住み方にも定式はなかったのであり、その100年間は試行錯誤であった。ユートピア計画をふくめほとんどは失敗したが、しかしその多様な実験のなかには200年後に再考してもいいものも少なくはないと思うのである。

|

« 岡嶋裕史『ポスト・モバイル』 | トップページ | ジュリイのあとさき »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/424713/35928167

この記事へのトラックバック一覧です: iPadを入手して・・・:

« 岡嶋裕史『ポスト・モバイル』 | トップページ | ジュリイのあとさき »