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2010年7月の11件の記事

2010.07.31

ジュリイのあとさき

30日朝。とうとう老人体質になってしまったのか、1時半に就寝したのに6時半に目が覚める。朝食をはさんで10時半まで翻訳をする。翻訳とはシジフォスの神話的な仕事である。5年、10年、時間をかけるが、毎年の作業は業績にはカウントされない。シャワーをあびて11時に家をでる。

大学には12時前に到着。ぼくの課題の最終ジュリイである。TA学生とともに提出図面を受理してゆく。12時半まで。それから製図室で会場設営。地方大学では教授みずからテーブルをセットし、電気掃除機で床をきれいにする。女子学生が「先生、わたしがやります」と掃除機をぼくからとりあげる。彼女は講評のときに、くやしく涙を流す。こういう学生は一皮むけると立派な人になるものである(がんばれ)。

学生の発表であるが、ぼくは時間制限ではなく字数制限をする。つまり発表原稿800字をあらかじめ準備させ、それを配布して、そのとおり読み上げさせる。時間は3分だったり4分だったりするが、頭の中身はよくわかる。課題/分析/提案という組立ができている学生はすくない。心象風景の素描ですませる学生がまだまだ多い。

総評。学生たちはまだまだである。ぜんぜんのめり込んでいない。ぼくはぼくで老人化し達観の領域に入りつつある。たまりかねた鵜飼先生がボランティア的にのりこんで檄を飛ばしてくれる。ありがたい。頴原先生も教養に満ちたバックグラウンドから批評していただいた。松岡先生は、いつもいつも建築家かくあるべきを学生の前で実際にしめしていただいているが、ぼくの課題のよさを評価していただく。

教員の打ち上げ。近くにあるワイン屋の角打(和風バー)。MAT Fukuokaなど世間話をする。結局5人でワインを3本あける。Chinonはおいしかったなあ。帰りはさすがに千鳥足であった。

31日朝。翻訳の続き。夕べのワインのせいか、能率があがらない。しかたないので2時すぎにプールで一泳ぎする。すこしはすっきりした。

プールからの帰り、マンションの近くにできたローソン100にはいってみる。ローソンの100円ショップであるが、肉野菜の食材が多品種そろえてある。日本では二件目だそうである。なかなか便利。これははやるのではないか。ただし人口密度の高いところでないと。

きくところによると、自然食材のローソンもあるそうである。こちらは高級志向。ということはコンビニも多様化し、特化型のものができるということである。基本的に、コンビニとはマーケティングと在庫管理の情報化である。だからいかようにもカスタマイズできるし、特殊化できるのであろう。ブティックとネット通販のあいだにあるのがコンビニである。

夕飯はインド料理屋が出していた露店で、チキンカレー、ナン、チキンタンドーリを買う。

泳ぎながら考えていた。水中で脱力しても感じよく安定はしない。身体を動かして動くことで安定する。泳ぐというのはそういうことだ。移動することで安定するのである。人が生きるということもそういうことであろう。どこにゆくのか、どこに漂着するのかを思案するのは愚問かもしれない。ただ泳ぎ続けることのとりあえずの言い訳としてそんな架空の到達点があるのであろう。あってもいいのであろう。

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2010.07.28

iPadを入手して・・・

MS-DOSに格闘して徹夜したのも今では昔話である。縁側でお茶をすすりながら話すようなことになってしまった。「最近の子供はフロッピーを知らん・・・。時の流れじゃのう」。フロッピーはすでに火打ち石のようなもので、産業博物館に残す価値があるかどうかもわからない。

しかし、である。ラジオが突如登場して仰天したことのある方がたもまだご存命のはずである。団塊の世代の方がたは、10代のころテレビというものが忽然と商品化されて感激したのであろうが、そういう人びとがIT世界を構築していった。ぼくがiPadを使うのはそんな距離においてであろう。相対的にかなり遅いが、いちおう間に合ってはいる。

率直なところスグレモノである。PCのサブマシンとして割り切った設計である。

インターフェースがよい。タッチパネル式のPCよりも使用感がよい。これはタブレット式で、軽量であることから、書籍のような手中にある感覚がよい。身体に近い。スクロールも「もうちょっと右」というようなことがストレスなく実行できる。

PCが「脳的」「視覚的」であるとしたらiPadは「身体的」「触覚的」である。ということはITを駆使しながらも、書籍といった旧メディアの特性を復活させている、ということである。

あるいは「個人ベース」であるということでもある。これはこれでひとつの哲学である。googleなどは、書籍電子化のおおきな目標はAIに読ませることらしいが、そうなると伝統的な「個人」などというものは必要なくなってしまうかもしれないからである。

iPodもスケジュールもアドレス帳も使うが、とりあえずもっぱら「pdfリーダー」である。アンダーラインもひけるし。どこでも読めるし。PCに拘束されなくなった。「PCからの身体の解放」である。

だから「iPad=文庫本」である。とりあえずはこれ。発展形はご指導ねがおうと思います。

そこで柄谷行人『世界共和国』を読んだ。『トランスクリティーク』の大衆版である。とくに面白かったのは、まずプロレタリアートは生産者にして消費者であるという指摘。日本の21世紀の問題は、就労人口の減少のみならず、消費者人口の減少すなわちマーケット縮小であるからだ。それから19世紀の重要性。サン=シモンやフーリエといった19世紀をもっと注目すべきというようなこと。建築にひきよせて考えると、近代住宅(標準化された住宅設備+1家族1住宅制度)は20世紀固有のものにすぎなかったことが再確認されたうえで、21世紀について考えるとき、やはり19世紀に戻るべきであるからだ。つまり19世紀は産業社会になってはいるが、まだ社会の形態や住み方にも定式はなかったのであり、その100年間は試行錯誤であった。ユートピア計画をふくめほとんどは失敗したが、しかしその多様な実験のなかには200年後に再考してもいいものも少なくはないと思うのである。

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2010.07.20

岡嶋裕史『ポスト・モバイル』

2010年7月20日発行の新書である。同じ日にブログ感想文を書くので、ぼくもすこしは時代に追いついたかな。

モバイルはすでに古いらしいし、ケータイもそう。ぼくはケータイはほとんど使いこなしていないが、そのうち電子環境が人間を使ってくれるユートピアが出現するそうで、ややこしいものを操作することからも解放されるらしい。

ITにかぎらずテクノロジーの日進月歩にはほとんど麻痺してしまうし、新鮮なものも3日で陳腐化する。そういう意味でIT本もたいへんだなあ、とも思ってしまう。でもこの書はそれなりに楽しんで読めた。著者がある意味で負のユートピアについてのビジョンも持ち合わせているからであった。

ユビキタス、新世代紙状ディスプレイ、電子書籍、クラウド、デジタルサイネージなどが解説され、その延長線上に、環境がコンピュータそのものとなり、どうじにコンピュータが環境そのものになる状況が素描される。

ぼくがおもしろかったのは、入力/出力についての指摘である。デジタルサイネージなんかは動くポスターのようなイメージでもう2年前からだれかが言っていた。だからぼくのようなIT弱者も知っている。しかし都市や環境のなかに出力装置がたくさんあるというようなイメージでは、まだまだらしい。

著者がいっているのは環境がすべて「入力装置」にもなったら?というようなことである。たとえばスーパーでは常時、顧客をスキャンしていて、店内空間で客がどのように分布し、どのような購買行動をしていて、体温に意欲が反映されていたり、歩行速度までスキャンされていたり、さらには生体情報までキャッチされていて、個人歴まで蓄積されていたら?もちろんそうすれば顧客をマスとしてではなく、個人こじんとしてとらえられるから、スーパーでありながら個人商店のようなきめ細かいサービスができるであろう。いまでもアマゾンからお薦め本についてのDMが届いているのだから、技術的にはごく簡単なことだ。するとスーパーにいくと、店内放送ですぐ××さんいらっしゃいませ、今日は○○をお買い求めではないですか(と心のなかを見透かされる)、どこそこの棚に今日の特価品がありますよ、それからおせっかいかもしれませんが、冷蔵庫のお醤油がそろそろお切れですよね(冷蔵庫もスキャンされている)というアドバイスまでくる。

環境そのものがコンピュータ化される。

するとデバイスを持ち歩く必要はなくなるのである。

コンピュータ万歳である。しかし産業としてこのようなITは儲かるのであろうか。『デフレの正体』によるとIT産業は典型的な薄利多売構造をすでにもっている。とくに日本は。生産性をあげても儲からない。すると課題は、内需をどう増やすかである。オタクは一種の「内需」として貴重なのであろう。

建築論に変換すると、建築における「内需」とはなにか?である。日本人建築家はすでに日本離れをしている。内需を見限ったのである。それはそれでよい。個人としてその対応はしかたない。しかし全体をみまわして、建築内需を増大させるには、やはり格段に創造的な発想が必要なのでであろう。今の若手や中堅の建築家たちにとっての中心課題はそこだし、意識的にしろ無意識的にしろ、彼らはこの重い課題にとりくんでいるのであろう。


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藻谷浩介『デフレの正体』

一種のサラリーマン読書である。こういうものも好きである。3時まで17世紀のフランス語を翻訳していた。そのあとに読むとよいのは小説とかこんな実用書である。

「人口の波」すなわち現役世代人口の絶対数を指標にして経済現象を説明している。すなわち15歳から65歳までが活発に生産し消費する層なのであって、経済の実体はそこにあるということが説明されている。だから失業率とか、GDPとか、メディアによく登場する指標はほとんど役にたたないという指摘である。

なるほど。専門家ではないので批判的には読めないが、いちおう納得する。

日本においてこの現役世代人口は、戦後から1995年lころまで増加し続けたが、そこでピークをむかえ、それ以降は減少しつづける。日本の人口動態はみんな知っているから驚く話ではない。でも、バブル崩壊後も消費は伸び続けとか、21世紀初頭の経済成長にもかかわらず豊かさを感じられなかったのはそのせいとか。若者の車離れは一面の減少であって、構造的には購買者層の絶対人口数の減少があるということ、など。

しかし1995年が画期となるというのが歴史家的にはおもしろい。長期的変動のはなしはおもしろいものである。日本の経済は、1995年前後におおきく変化したのだが、それはいわゆる構造的なものというより、もっと即物的であられもないものであった。この年はサリン事件と大地震の年でもあったが、もちろん人口動態との因果関係はない。象徴的符号というものであろう。なにしろこれほど大規模な人口減少は有史以来のことであるが、地震やテロは周期的なものであるからだ。

読んでいて、60年代の高度経済成長は輸出ではなく内需拡大がエンジンであったというような説明を思い出した。この著者もまた内需縮小が最大問題であるという。それとともに生産性向上はそれとはまったく切り離された別の問題、という指摘もおもしろかった。

最後に、日本の住宅政策を賞賛しているところもおもしろかった。公共セクターと民間セクターがうまくすみ分けているというのがよいらしく、医療もそうすべきという主張である。医療のことをいう資格はぼくにはないが、住宅はそうかなあ。住宅はかつてほど内需拡大には貢献できない。なにしろ絶対数は余っているからである。でもお金持ちの高齢者のための高付加価値住宅なんかいいかなあ。たとえば坪500万でどこまで付加できるかなんてやってみるといいかも。それこそハード+ソフトの超高密度サービス空間であろうね。iPad+フェラーリがそのまま住宅になったようなもの?ぼくは住めませんが。

19世紀と20世紀はひたすら住宅不足であった。需要を満たすために、供給側は必死でがんばった。合理化したし、民業から公共へと180度シフトもした。それが供給過多となりデフレ現象を生む。こういう構図は自動車産業と同じである。ル・コルビュジエの夢はかなったのだ。住宅は自動車のようなものだ。ただし悪夢としてかなったのかもしれない。

住宅の場合は、スペック基準を操作し上方修正し、数には解消されないような都市性、都市ブランドなどを付加することでしょうね。

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2010.07.19

『踊る小人』

季刊「考える人」で村上春樹のロング・インタビューがあったんで、買って読んだ。とてもおもしろかった。小説は、とくに近代小説は、新聞や月刊誌に連載のことが多い。『1Q84』は書き下ろしなのだが、途中でフィードバックするのはすこしそれに近いかもしれない。

ところでかなり初期の短編『踊る小人』をブックオフでみつけて、これも買って読んでみた。短編『蛍』は『ノルウエイの森』の原型であった。それとおなじように『踊る小人』は、『1Q84』の、原型とまではいかなくとも、ひとつの構成要素であるように思われた。

『踊る小人』は、夢のなかに出てきた小人がとても踊りがうまいので、主人公が女性の心を射止めるために、乗りうつってもらって上手な踊りをして、女性を口説くことに成功した、というような話である。その結果、小人がもっていた罪のようなものまで背負ってしまい、警察から追われる身になった。ようするに悪魔的なものに身を売ってしまうのである。物語の構造として合理的解釈をすると、ひとつの嘘が、まったく違う罪悪を招くという、童話的なものが感じられる。しかし童話は他愛のないものではなく、その理不尽さゆえに、かえってある種の恐怖を植え付ける。さらに小人がはっきりした悪魔ではないので、なおさらそうである。

そしてもうお気づきだろうが、「リトル・ピープル」はこの「踊る小人」なのではないか、ということである。

『1Q84』はまだ完結したストーリーではないし、むしろ完結させないことに意義がある。ただそれでもたくさんの謎が意図的に残されている。

たとえばNHKの集金人。邪悪なものとして登場した牛河がひょっとしたら神聖なものとして再登場するのではないかという予感。そしてこのリトル・ピープル。


『1Q84』においてリトル・ピープルはまだキャラクターを確立していない。まだゼロ記号である。しかしゼロ記号として登場しているのではない、というのがぼくの読みである。基本的にそれらは、読者の影、ひとびとの影、のようなものなのであろう。

ただ個人的なつまらない感想を述べると、『踊る小人』はたとえば『ハーメルンの笛吹男』のような、寓話とわかっていながら、読了後に底のない喪失感を味わせる。短編だからかもしれない。しかし長編になるとどうもそうはいかない。

でもだんだんわかったような気がする。『ねじまき鳥クロニクル』が日常と歴史世界の交信であったように、きっと『1Q84』は日常と寓話的世界の交信なのであろう。だからそれは、21世紀における寓話的物語、という単純なものではない。人類がつくってきた寓話的世界はたしかにあるのであろう。物語は、それとぼくたちがいかに交信するか、のトレーニングをさせてくれるのであろう。

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2010.07.18

ポストモダンは終わっていた

・・・ことにさっき気がついた。といっても世間のみんなはすでに知っていたし、実際WTC事件ですでに終わっていたのだ。しかしもともとぼくは世間とあまりつきあいがないし、そんな話しもしたことがなかった。だからさっきまで知らなかった。それからなにより、そもそもポストモダンにはまったく興味がなかったのである。興味をいだけないものが終わっていたことに気づくのに時間がかかってしまたって、誰も責められないだろう?

なぜぼくは唐突にこんなことを書くのだろうか?

まず伏線。MAT FUKUOKAである。これは松岡恭子さんというカリスマ的建築家が去年からやっているたいへん志の高い現代建築ツアーの企画である。ロンドンやパリの文化遺産の日や、シカゴの建築見学ツアーなどを手本にしている。ぼくも動員されていて「ポストモダン都市・福岡」というお題で話すこととなった。8月7日あたりです。ぜひ聞きにきてください。

なにしろ福岡はポストモダン都市なのである。なぜそうなのかは、ぼくはこれから考えるのであって、ぼくにもその理由はよくわからない。ただぼくは受けた仕事はすべてこなしたので、当日にはうまく説明してしまうのである。それがぼくというものである。それはともかくこのせいで「ポストモダン」という言葉が脳の片隅にプリントされたのであった。ぼくがそれを語るということそのものが、ポストモダンが終わったことの言い換えなのである。

それにしてもポストモダン・・・・。

書籍やWEBでは思想哲学の専門家がいろいろ指摘しているが、それはそれでいいと思う。おもいっきり単純化していうと、

モダン=自我、ポストモダン=欲望、なのである。

まずモダンが歴史性を否定して、新しい建築をつくったという。いわゆる通史ではそういうことになっている。しかし形態的にあるいは設計(方法論)的に、過去から自由であることなどありえない。たとえばおなじ都市空間を共有しているのであるし。自分はモダンでも隣地には折衷主義がたっているし。そういうことではない。モダンとは意識の問題であったのだ。自分がモダンである、自分の自我は過去から切断されたものである、という意識をもつことが目標であったのだ。だから実際に過去と連続しているか非連続かはそれは結果論である。モダンという意識があればよかったのである。

だからこのパラダイムにおける建築批評は、過去の断罪か、その逆の、現在の断罪か、どちらかでしかない。現代の名において過去を裁くか、過去の名において現代を裁くか。・・・しかしどちらも同じことなのである。両者も同じ問題をかかえている。それは過去から現代までをシームレスに認識できないということである。そこでは普遍や、永遠というものは排除される。

ポストモダンが欲望パラダイムであるということもいまさら説明するまでもない。この「欲望」は果てがない。「自我」とはある意味で自己の輪郭をはっきりさせることであったら、「欲望」は無限の自己増殖である。そういう意味ではマルクスの『資本論』などというものは、モダンではなくすでにポストモダンの構造を説明していたのである。かれがモダンと思われたのは、労働に冨の根拠を置いたからであろう。

このパラダイムにおいては、過去/現代という極端な二元論はなくなるが、微少な差異だけがクローズアップされる。

・・・という整理整頓をしたところで、ポストモダンのあとを考えなければならない。ただそれはいのだが、「モダン」でなく「ポストモダン」、では「ポストモダン」ではなくなに?・・・・という問題ではない。「モダン」も「ポストモダン」も結局なにであったか、そしてそれらではないものは、なにか?を考えればいい。

「モダン」も「ポストモダン」も結局は「私」を問題にした。だから「私」ではないかにか、である。とはいえ人権だの、個人主義だのはひきつづき尊重され、ベースにある。しかしそれにオーバーラップする、それとは違うなにかである。「主体」と「ポスト主体」というこれまた古くなったテーマのことでもない。

建築史をやっているから思うのだが、それはバージョンアップされた「歴史」なのではないか。いまのところ建築史学は幅が広がり精度も増したおかげでかえって輪郭があいまいになっている。その輪郭をふたたびはっきりさせたときに、この新しい建築史は建築の中心になると思うのだが。


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2010.07.11

カザベラJapanに原広司の記事があった

カザベラJapanというのは有名なイタリア建築雑誌Casabellaに日本語ダイジェスト版小冊子をくっつけたものである。日本語版の創刊号からいただいている。ありがとうございます。

最新号の日本語版の最後に原広司さんの記事があった。アレクサンドリアの都市計画についてで、そこを緑化して都市を整備して・・・というようなスケールの大きい話しであった。

ところで原さんとアレクサンドリアとの関連で興味深かったのは、地球環境とか、樹木は1日50リットルの水を消費するというようなことよりも、むしろ記事では書かれていないことであった。

すなわちアレクサンドリアは、その有名な古代の図書館があったころ、古代の神秘哲学の坩堝であった。これにたいし、原さんもおもに70年代に錬金術やカバラ学しばしば言及していたのであった。つまりアレクサンドリア・プロジェクトと原さんというのは、たまさかの出会いではなく、強い必然性があったかのではないか、ということ。とくにヘルメス学なるものはアレクサンドリアに流れ込み、それ以降のヨーロッパの神秘主義の根幹となったのである。

原さんの建築論は難解で奥が深いのであるが、それはベースが近代哲学ではなくて、古代哲学それも密教的なものをベースにしているのではないかと想像している。将来、たとえば日本近代建築史のなかに原広司なる建築家をどう位置づけるか、というようなことになると、たいへん難しいと思う。単純に反近代の旗手ともえいないし、アナクロニックのようでまったくコンテンポラリーであるし、別の意味では超未来派的なのであるし。建築史家は苦労すると思う。図式的な歴史観にはのりそうにないからである。

70年代日本ではヘルメス学がしばしば言及され紹介されたが、今日思い出しても、当時の神秘主義への傾斜は顕著であった。

いっぽう20世紀の思想の流れを思い出してみるに、やはりヘルメス学的なものの復活は顕著である。たとえばワールブルグ・インスティチュートにおいて収集された多くのルネサンス文献、そこからうまれたシンボル学研究、ウィトカウアーなどの新プラトン主義をベースにしたルネサンス研究、さらにはその派生であるコーリン・ロウのル・コルビュジエ研究などを考えてみると、20世紀は新プラトン主義がKWであった。そして最近感じるのは、20世紀には一種の文化論としてこの新プラトン主義が注目されたということになっているが、しかし古代、アレクサンドリア、コンスタンティノープル、フィレンツェ、ハンブルグ、ロンドン、アメリカ東海岸というようにこの古代神秘主義の末裔をおってゆくと、これは客観的な文化研究というより、古代哲学そのものの復活のように思えてしまう。そしてそれは19世紀的な「歴史」概念とはずいぶん違ったものなのである。つまりパラディオとル・コルビュジエがおなじ建築イデアを共有していたなどというのは、もはや「歴史」ではなくむしろ「神秘主義」のなせるわざである。

原さんの建築論を論じるにはこのくらい大きなバックグラウンドを考える必要がありそうだ。日本近代というようなものからは超越している。地球がバックである。しかも彼は、ある意味で/そういう意味で孤高の存在であって、単純な系譜にものりそうにないのでやっかいである。

日本にもコスモロジー派、神秘主義派、密教派の建築家たちはいた。おどろおどろしい作風の人びとである。しかし原さんはおなじ密教系でも次元がちがうように思える。普遍性がある。ただその普遍性を今のところははっきり指摘できないでいるので、批評家的にはもどかしいところもある。

・・・・なんてことをカザベラjapanをぱらぱらめくりながら考えた。それにしてもありがとうございます。

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2010.07.10

革命から100年して都市はできる?

最近、講演やなんかでしゃべったネタである。

革命、といってもフランス革命やロシア革命ではなく、農業革命や産業革命のことである。

トフラーは『第三の波』で農業社会、産業社会、脱産業社会の3段階をいった。とくに脱産業社会は1950年代からである。ぼく的には、いわゆる脱工業社社会、堺屋太一的な知価革命のようなもの、のはじまりはハリウッドにおける映画産業が嚆矢ではないかと思っている。

おもしろいのは産業構造がおおきく変わって、それから都市の姿がかわるのにどのくらい時差があるか、ということである。

農業革命が12世紀ヨーロッパでおこった。生産量が飛躍的に増加した。それらは都市の市場に流入し、都市の富を増大させた。このおおきな枠組みの中で、新都市が建設された。南フランス地方のバスティードなんかがそうだ。この場合、農業革命から新都市まで100年はかかっている。

産業革命は18世紀後半のイギリスでおこった。しかし19世紀にもたらしたものは、大都市における過密化、環境悪化、疫病であって、それらは結果的な変化というよりも新しい都市のための生みの苦しみにようなものであった。

フォーディズム、テイラー主義が定式化されたのは20世紀初頭である。つまり蒸気機関やスチール製造技術が確立されたとしても、どういう人的組織で生産するかという方式が完成するのに1世紀以上かかっている。

都市も同様である。イギリスでも住宅法は19世紀終わりになっってやっと整備される。イギリスの田園都市、ガルニエの工業都市プロジェクトなど、すべて20世紀初頭である。つまり産業革命から100年以上して、やっと都市の像が描けるようになったのであった。

すると1950年代に産業革命ならぬ知識革命があったとして、それにふさわしい都市が提案されるのは2050年以降ということになる。

もちろんすでに新しい社会のための条件はわかっている。

産業社会のための都市は機能別のゾーニングでなりたっている。そして資本制。生産/消費、労働/住居、設計/生産、思考/制作は分離される。分離的方法論によるピュアな空間が生産性を高めるとされた。

知識革命のための都市はそれを逆転させたものとなる。 生産/消費、労働/住居、設計/生産、思考/制作はふたたび融合される。それはウィリアム・モリスの夢を実現するものとなる。ジェイン・ジェイコブズのいうように、ほどほどの規模の都市のなかで、高度で専門的な、しかし多様な専門家たちが、おたがいに刺激しあいクリエイティブな活動を展開するようなものとなる。ポランニーにいうように、「暗黙知」と形式知が相互補完的な関係で高め合うシステムとなる。

しかし、では具体的にどうするか、はまだ定式はない。

もちろん提案はたくさんある。コンパクトシティ、ナレッジリージョンズ、シュリンキング、スマートデクライン、ファイバーシティ、地域社会圏、6次産業・・・。2050年以降のものはそれらの要素をなんらかのかたちで含んでいるはずである。

でも現状確認をすれば、ぼくたちはすでに知識革命のあとの「知識社会」のメンバーでありながら、依然としてフィジカルには「産業都市」に住む住人たちである。そういう意味ではぼくたちは過渡期的な矛盾のなかで生きているのかもしれない。それがぼくたちの限界であるとすれば、建築関係者たちにとってはそれが希望である。

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2010.07.08

諸国民の富

必要があってジェイン・ジェイコブズの『アメリカ大都市の死と生』をひさしぶりに読み返していた。何十年ぶりかもしれない。学生のころの印象としては、無機的な近代都市計画にたいする批判のようなもので、いかにもデモクラシーの国アメリカらしいグラスルーツの発想のように思えたし、市民運動のバイブルのようなものであろうというような、感じであった。ところが今回、再読してみると印象が違う。理論よりも具体的な記述が中心で、むしろジェイコブズはほんとうに理想的都市像を心のなかにつよく描いていたという印象が優った。

それから翻訳が出版された当時はうかつにも見過ごしていたが『都市と諸国民の富 Cities and the Wealth of Nations』もざっと目をとおしてみた。邦訳のタイトルは「都市の経済学」となっていて、とくに悪い役ではないが、なんか気になった。

そこでWEBを検索していたりするうちにアダム・スミスの『国富論』にいきついた。これは「富」がどうやって生み出されるか、ということの書である。まず「労働」が富を生み出す。それまでは交易や貿易が生み出すと考えられたが、そうではない。それから「国家」が経済単位となる。おりしも国民国家の形成期なのであった。

ここで「国富論」とはまさに妙訳で、明治以来の富国強兵政策の残滓がつよく残っているのだが、正確には『諸国民の富』なのである。つまりthe Wealth of Nationsなのである。そうするとどういうことか。

ジェイコブズは『都市と諸国民の富』を書きながらアダム・スミスの『諸国民の富』に張り合っていたのであろう(とっくにだれかがどこかで指摘していたようなことなのであろうが)。

だからジェイコブズが反スミスとするとよく見えてくる。富の単位はもはや「国家」ではなく「都市」である。それから労働といっても、国家がしいる苦役ではなく、イタリアのフィレンツェやミラノといった創意工夫の中小企業があつまる都市における、創造的な活動である。

昨今はやりのリチャード・フロリダ流「クリエイティブ・シティ」論や「ナレッジ・リージョンズ」論にも、ジェイコブズの思想が流れていることはよく指摘されている。

するとこういうことであろう。

西洋ではアダム・スミスの『諸国民の富』いらい、人間の能産的な活動がもたらす「富」について問い続けてきたのではないか。スミスとジェイコブズの間に、サン=シモン、フーリエ、マルクス、ケインズなどを並べてみると、そう思いたくもなる。

そうすると「富」はすでに現世的な、いわゆる金銭などといったものではなく、そのさらに上位にある形而上学的なものなのであろう。最上位に「富」があり、そのことは自明であるようだ。それにいたる道筋を、国家だ、大量生産だ、創造企業だ、などとさまざまに論じてきた。だから今、「クリエイティブ・シティ」であり「ナレッジ・リージョンズ」なのであろう。

しかし日本的な視野のなかでは、これらは日替わりメニューのようにうつる。その上位に「富」があることには気づかないようである。しかし、西洋でいうこういう「富」は現世的なものではなくすでに宗教的なもののようでもある。

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2010.07.04

iPadを注文した

いまさらではあるし、「ITは3年遅れ」が家訓だったのだが・・・。まあいいか。

個人的にはペーパレス化をしこしこやってきたので、eブックは賛成である。

もともと文献弱者にしてIT弱者なのであるが、ふるくは東光堂で外国書籍を注文して3カ月待ったりとか、パリの書店にエアメールを書いて半年待って、むこうが勘違いして再度エアメールをおくってさらに2カ月まったりとか、アマゾンで注文してもときには1カ月待つのはよろしくないと憤慨したりと苦労はしている。しかしeブックなら数分で読みたい本を手にできるようになる。大賛成である。建築界もぜひそうしてください。

それはいいのだが、書斎の風景は変わるだろうね。書斎スケープ、ブックスケープ、eスケープなどといろいろ造語も考えられる。ともかく書籍で囲まれた密度の高い空間、などというものは18世紀のブンダーカマーか、せいぜい産業博物館にようなものとなるであろう。そういえば牧野富太郎記念館には牧野博士の書斎が復元してあった。そんなものになるであろう。立花先生の猫ビルはどうなるのであろうか。松本清張の記念館はどうなるのであろうか。でも逆に考えれば、まさに20世紀を象徴する、歴史を語るものとなるかもしれない。

学者になろうと思った若いころ、書籍に囲まれた高密空間はあこがれであった。しかし、10年後に「否応なく」という感じでそれが実現されると、夢と思えたものが悪夢となる。だからこんどはペーパレスを目指すようになった。

もちろんナマの書籍も信じている。なにしろ「部屋の装飾」としては最良のものである。本棚に文献がつまっていると研究室らしいし、知的な雰囲気になる。応接間にも本を飾っておきたい。でもeブックが普及すると、紙の本などというものは、やがて床の間の掛け軸のようなものになるであろう。

つまり「20世紀型の書斎」は「書院造のその書院・床の間」の運命をたどるであろう。だから絶対になくならないのである。

だから21世紀のインテリは、もし財力があれば、①お床のある書院、②書架で囲まれた図書館のような書斎、③それじたいが情報端末と化したeスタディルーム、という3点セットを整えるべきである。ぼく個人は、財力の理由から③だけにしますけど。

ついでにおせっかいもしてみよう。

教育熱心なインテリ父、インテリ母が、子供にどうやって本を読ませるか。応接間にフーコーの本なんかを飾っておくだけではだめである。子供にiPadを買い与える。インテリ父は子供の端末に、eブックを送りつける。レポートを書かせる。その内容でお小遣いの額を決める。などなど。これも笑える悪夢である。

WEBのように、音楽業界のように、創作者の権利が守られるための仕組みが構築されるであろう。それと平行して、弱者であっても「e出版」をできるようになる。これは重要な可能性である。クリエイティブな出版弱者が「e出版」長者になる可能性はある。そういうサクセス例があると、引きこもりやニートには希望がもてるようになる。

「新書」はいちばんeブック化しやすだろうね。ビジネスマンはiPad買いそうだし、かりに買わなくともノートPCで読むであろうし。空港についてeブックをダウンロードし、飛行機のなかで読むのである。

既存メディアがどうするか。紙/電子の違いだけで、生き残るであろうというのがぼくの予想である。月刊誌、週刊誌というようなものも、年(度)、月、週という時間の制度があるかぎり、なくならないであろう。それから、特集、展覧会、というようなことも。つまりそれらはパッケージである。情報がだらだら届けられても、ぼくのような一般庶民はうっとうしいだけである。そこでパッケージしてもらえばたいへん喜ぶ。

マクルーハンのいう「メディアは(が)メッセージ」は、そんなかたちで、真理でありつづけるであろう。

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2010.07.01

ぼくは建築の神さまを信じます

ドネルモ(donner le mot)という地元学生のネットワークがあって、そこから依頼されて講演をした。同僚の鵜飼先生とご一緒した。

お題は「ナレッジリージョンズ」である。都市計画が専門ではないぼくは、すこし距離をとって異分野的に解釈することとなる。

トフラーの『第三の波』的枠組みをつかい、農業革命、産業革命、「知識革命」(今回の造語)が都市をどのように変えていったか、を概説した。それぞれの革命がおこってから、現実の都市がそれに対応するには1世紀以上かかっている。たとえば産業革命は18世紀後半におこったが、では歴史概念として「産業革命」が確定するのはなんと20世紀初頭なのである。つまり1世紀以上たって、「ああ、あれは産業革命だったんだ」と遡及的に理解するのである。ちなみにトニー・ガルニエが『工業都市』プロジェクトを提案するのも20世紀初頭である。

情報化、脱産業社会化、第三次産業化というような流れはアメリカでは戦後すぐはっきりするし、日本でも1970年代には顕著になる。そして現在では日本のGDPのうち70%はサービス業が占め、製造業は20%でしかない。知識革命はすでに完了している。しかしそれに適合した都市の形態はまだ考案されていないのではないか。とはいえ、まだ形態が現実に追いついていないのは、なにも悪いことではなく、まだまだのびしろがあるということであって、ぼくたちの仕事はけっこうあるのではないか。

それから思想史的・都市論的に考えても面白い。

ようするにこんな流れを考えた。アダム・スミスが『諸国民の富』を書き、「富」は「労働」からうまれるという画期的な洞察をおこなった。富は、商業あるいは交換からではなく、労働あるいは製造から生まれるのである。ジェイン・ジェイコブズは1960年代に『アメリカ大都市の死と生』において近代都市計画を批判し、さらに『都市と諸国民の富』のなかでイタリア中規模都市において職人企業の創意あふれるアクティビティを賞賛するのだが、この議論は、近代都市計画は無機的だなどという単純な人間化論ではなく、スミスと比肩されるような、「富」の根源をとうようなものではないか。つまり富の源泉が労働であるにしても、それは創造的な労働なのである。

このあたりの議論がリチャード・フロリダに引き継がれて『創造的階級の勃興』となるし、アーティストや文化人たちをコアにすえたクリエイティブ・シティ論となる。

おなじような論考を、大学や研究機関や高度な研究をする企業などを中心にすえると「ナレッジ・リージョンズ」になるのである。理論そのものは知識経営学や、知識経済学、ナレジマネジメント論などとしてすでに経済学や経営学のなかでは確立されている。しかしそれを反映した、都市や地域空間をどのように考えていくかは、まだまだ定見がないといえるし、そこにのびしろがあると思われる。

感想としては、アダム・スミス/ジェイコブズ/フロリダという強引な系譜づけをしていると、そこには「富とはなにか」という、超越的なものへの問いかけが一貫してあるように思える。現実にある目前のプロジェクトは、具体的なことやら卑近なことやらいろいろ考えねばならない。しかしこの超越的レベルぬきにして都市は論じられないと思うのである。

ぼくは、Q大学Hキャンパスを仮想敷地にして、5分で書いたポンチ絵をぼく的プロジェクトとして紹介した。アートや高度研究機関などが混在している現代の城下町(鍛冶屋町、紺屋町、など専門町がぎっしりつまっているイメージ)を構想した。そのなかに「神社」をおいた。近世でも近代でも神社はコミュニティのコアであるし、なによりも、上記のように、人間の高度なアクティビティはつねになにか超越的なものとかかわっている。それを「神社」というようなかたちで具現化したのである。

ぼくには意外であったがオーディエンスとくに学生たちはこの「神社」にひときわ興味をもっていただいたようである。質問がそこに集まったし、二次会でも三次会でもえんえんと議論することとなった。

こんなことを考えて説明した。人と人のコミュニケーション。それは水平に、無媒介になされるのではない。人は、神を媒介として他者とコミュニケートするのである。アート、文学、建築、を論じあえるのは、上位の神がいるからである。アート、読書、建築、創作、論文執筆、なんでもいいが没頭してなにか新しいひらめきがおこるときは、神が降臨しているのである。ネット社会もそう。ブログに書き込めば、誰が読むかはもうわからないし、その情報は決して消えないし、いつだれがどのように判断するかは、それこそ神のみが知る。そう考えると、WEBに書き込むのは、神と交信しているようなものである。そう考えるとそこに倫理が必然的に発生する。WEB炎上は、まだまだ日本のネット社会がムラ的であることを物語っている(ていた)。

このあたりで、ふたまわりも歳がちがう若い世代と想定外の共感がうまれてしまった。そこで、東京ではないこの地方でなにをすべきか自問自答する若者たちにエールを送る。

自分たちを率直にありのまま表現すればよいのです。なぜなら若者といっても、すでに社会の一部であり、若者たちが日々感じていることは、そのまま社会の現実なのである。だからもっと自信をもとう。もちろん「そのまま表現」とはいっても、じつは手練手管やテクニックは必要ではある。しかしそれは経験者に聴けばよいくらいである。要は、自分を語れば社会を語ったことにある、くらいのプライドといい意味でエリート意識をもつことなのだ。東京のような素人の乱ではないが、それなりに等身大の主張をしてみる。しかし等身大であることによって、社会を忠実に反映し、そのことによって社会を動かしううるのである。

おじさんになってしまったぼくは、このように若い人びとにいじられて、すこし幸せであった。気がつくと、禁断であったはずの屋台ラーメンを食してしまっていた。だからこの点についてだけは懺悔するのである。・・・・建築の神様、メタボ料理を食べてしまったこの罪深いぼくをお許しください。

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