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2010.06.02

三宅理一『負の遺産で街がよみがえる』

地元にあるフランス風カフェでざっと目をとおした。読了して店を出ると、レポーター+テレビカメラに呼び止められて「首相辞任をどうおもいます?」と突然きかれた。「根底にある安全保障はだれも論じませんね」と答えた。たぶんボツであろう。

それはともかく三宅さんが2009年に出したこの文献は、パブリックアート、シュリンキング、クリエイティブ、多文化都市、などといった最近のタームをわかりやすく解説するのと平行して、「アーティスト・イン・空き家」や秋葉原プロジェクトなどの彼自身のプロジェクトを解説している。

もともと彼は建築史家なのだが(最近では中公新書から『パリのグランド・デザイン』を出版している)、展覧会のキュレーションや、ワークショップや、国際会議のオーガナイザーなどにずっと積極的に取り組んでいて、本書はその後者のアプローチをまとめたような一冊である。

本書を読めば、コンフェランスのテーマ設定、ワークショップのコンセプト例などいろいろ個別の示唆はあることができる。

しかし全体としては、アメリカ型アプローチと、ヨーロッパ型アプローチの対比として書かれているし、日本的アプローチがあるとすれば、むしろ後者に近いというような見方がうかがえる。

クリエイティブ・シティ、あるいはリチャード・フロリダのいう「創造階級」とはおもにアーティスト、研究者、作家などの流動的な階層である。フロリダは当然のこと、アメリカ社会を前提にしている。ソーホーのアーティストたちであり、彼らは資本のように自由に流動し、ある地域の価値を高める。だから創造階級はどうしてもグローバル資本主義の申し子たちのように見られる。だからクリエイティブ・シティもまた、グローバル資本主義の一形態であり、弱肉強食の自由競争を念頭においているのであろう。

しかし三宅さんがたとえば京島で発見したのは、ちんどん屋、落語家、占い師といった芸人の世界であり、地域に根ざした創造階級である。それは資本のように流動的であるわけではない。

クリエイティブ・シティそのものは結構だが、そのアメリカ的枠組みの限界はしっかりふまえつつ、日本社会にあった枠組みを構築すべきで、そうでなければ自信喪失のままでいることになる、という主張である。

でもこの論をどんどん発展させると、やがて市民ひとりひとりの個の自覚と自信をとりもどそう、といったものになるのであろうか?がんばれがんばれもつらいなあ。

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