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2010.06.19

阿部大輔『バルセロナ 旧市街の再生戦略』

評判がよかったので読んでみた。

綿密にスタディされた力作であった。セルダ以降の都市計画の制度史が丹念に、切れ目なく紹介されている。乾いた叙述ではなく、著者の生活体験がちりばめられていて、よい。

旧市街における「多孔質化」を中心に論じられている。外国人居住者がおおく、疾病から死亡率が高い地区のなかへの介入のしかたとして、保存すべきは保存するが、ときには大胆に切り取り、高密度で環境のわるい部分を壊して、そこを広場やプロムナードなどの公共空間を整備するのである。

日本の地方都市では人口減や一昔前ならアメリカ流にインナーシティ問題などがいわれたから、こういう一種の減築は参考になるであろう。

パリとの比較ではどうなるか。パリの都市計画というと第二共和制時代のブールバール開設が有名である。しかしそれは大胆ではあったが第一歩である。20世紀初頭には不衛生街区を調査し、ときにはそれが取り壊しの対象になった。これは戦後にもまたがっていて、ポンピウドゥ・センターとその前広場はこの手法である。また中盤からはとくに高密な街区ブロックはその内部を取り壊して密度を下げ、通風の日照を確保するための公共的な中庭にするという、くりぬきの手法が展開された。

だから減築の手法は、すでに、けっこう展開されている。

もっともある手法の新規性やだれが一番かということが問題ではない。都市にはそれぞれ固有の文脈と歴史的経緯があって、いつどこで、どの手法が適切かをそれぞれで具体的に考えなければならないからである。だから、歴史的街区に関する法律との連動といった側面をとらえれば、たとえばフランスのマルロー法などいと比較したくもなる。しかしある都市空間介入の手法は、時空をこえた広がりがあることもある。だからぼく的には、前述のような不衛生街区と、ブロック内減築についての先例が、相違点も類似点もふくめて、比較したくなる対象である。

もうすこし脱線すると、日本においては1960年代において広場ブームがおこったあげく、やはり広場はすぐれて西洋的概念なのだから日本に直訳するのはむつかしいという認識が、やがて一般的になった。しかしバルセロナの例は、まさに、広場はすぐれて西洋的な概念であるのだから、20世紀末から21世紀にかけてのバルセロナにおいても、オーソドックスな手法として(他国に遅れているとかという問題ではなく)まっとうに成立しうるということを示している。

ぼくとしては、バルセロナにおける都市計画の枠組みや手法の普遍性や斬新さという観点からではなく、そのような手法を喚起した、まさにバルセロナという都市の社会や空間の歴史的実態を知ることができたという点が意義深いと思う。

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