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2010.05.01

ヴァルター・ベンヤミン『写真小史』とウジェーヌ・アジェ

ぼくの本棚のなかから救出した?本である。いつ買ったか覚えていないし、買った事実も忘れてしまっていたが、読んでみると、なぜ読まなかったか、われながら不思議になる文献である(あたりまえか)。ごめんねヴァルター。

ソンタグ、多木浩二、飯沢耕太郎、伊藤俊治のはるか以前の写真論なのである。が、すごく平明で、複製技術時代の本よりもとてもなじみやすい。ベンヤミンもこんな文章を書くんだという驚きもある。

とくに興味をもって読んだのは19世紀末から20世紀のパリという都市を撮りつづけたアジェについての章である。

ウジェーヌ・アジェは、ベンヤミンによれば、役者をやめて写真家に転向したということになっている。現実はそれよりやや錯綜していたようだ。演劇を学び、役者として身をたてようとしたが果たせず、絵画・素描・写真を学んだ。それから画家も挫折したが、画家や建築家などは記録写真を必要としていることに気がついて、写真に専念するようになった。

100年ほど前のパリの写真をとっているので、今では大きな書店にはかならずアジェ関係の文献や写真集はおいてある、パリでは定番のテーマである。

ベンヤミンはアジェを、シュルレアリスムの先駆者、アウラからの解放者、新即物主義的な先駆者、であると評価する。彼が演劇を捨てたことにひっかけて、メイキャップであること、都市が舞台装置のようであること、をあえて無視した写真家であり、被写体をその一回性において活かそうとした、という解釈をする。「そうした景観や建築物には、アジェに舞台や書き割りや背景を思い出させたのかもしれない。書き割りや背景には、もううんざりしていたのだ。」(p.155)

ベンヤミンの写真論は、すくなくともこの文献の段階では、わかりやすいものであった。当時の、絵画/写真論争を念頭において、絵画は楽器でいえばチェロのようなもの、写真はピアノのようなもの、ピアノはあえてメカニカルにしてあるのであって、身体性をつよく反映しているチェロと比べることじたいがおかしい、というようなことを指摘している。

それはベンヤミンの理論というより彼自身の好みなのであろう。絵画より写真を好んだというよりは、視覚と対象との新しい関係の可能性を、写真のなかに期待したのであった。より即物的に、より一回的であり、そのことでより普遍的に・・・。

アジェの写真にもどると、彼は室内、ショウウインドウ、職人たち、諸職業の人間、中庭、民家、などを、ほとんどきまったアングルで、雑音(雑景観?)をできるだけ廃してとり続けた。そこには近景、中景、遠景などない。都市は複合的でいろんなものが融合しているのであるが、その融合や全体性を拒否して、要素を抽出する。

ベンヤミンによれば、アジェの写真が犯罪の現場写真のようである。そこまでいわなくとも、すくなくとも絵画的ではないし、肖像画的ではないし、たしかに劇場的でもないし、建築的でも景観的でもない。

ぼくならば、融合のなかから要素を抽出する、のではなく救出する、といいたい。同様に、永遠性のなかから一回性を救出する、景観のなかから個別のものを救出する、といいたい。たしかに都市という小宇宙のなかではすべては流転し、融合と離反を繰り返し、なんの切れ目もなくシームレスにすべては繋がっているし、都市の劇場性というのもそうしたものの反映なのであろう。個別のものは全体とのあるいは背景との関係で存在するし意味をもつ。

しかしアジェは、その全体からあえて個別なものを切り離した。そして切り離された孤立したものもまた、ひとつの世界なのであった。彼はそのことを発見した。そして写真に記録した。彼自身がそのような個別者であった。そしてそのことに気がついはベンヤミンは、無防備とも思えるほどの率直さでアジェ頌を書いた。

ぼくなら、アジェの写真はアーカイブ的なのである、といおう。同時代の前衛芸術的でもあろうが、その前にアーカイブ的なのである。フランスに独特のアーカイブへの無意識的信頼、個別のものの集積がやがてひとつの、そして別の、全体にいたるのであろうという無意識的な理念があるのは確実のようである。

アジェは1927年に亡くなった。その前後、マン・レイがその作品を再発見したということになっている(ベンヤミンによれば、アメリカ人アボットのおかげである)。そのせいでシュルレアリスム的再評価がなされた。また当時できたパリ歴史ミュージアム(マレ地区にありマンサールによる17世紀の古典主義建築である)にコレクションが収蔵された。ぼくからみると、経済的には不遇であっても当時から知る人ぞ知るような存在であったし、亡くなると公的ミュージアムがごっそり買い付けたことをみると、さすが芸術の国は作戦がうまいような気がする、などというのはうがった見方であろうか?

さらにはベンヤミンのアジェ論そのものも、没後すぐに出版された写真集の序なのであるから、けっこうあわただしい時代の流れがあったことがわかる。ベンヤミン自身も1933年にパリに渡り、そして1940年にスペイン国境ちかくで命を絶つのであった。

アジェがずっと住んでいた通り。『勝手にしやがれ』の最後のシーンがここである。

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