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2010.05.30

狩野重信《竹に芥子図屏風》

土曜日は週末らしいことをしようと思った。

地元の市美で「美しきアジアの玉手箱」展が開催されているので見にいった。サントリー美を皮切りに全国をまわっている巡回展である。シアトル美術館にある、フラー家の東洋美術コレクションをもってきたものである。天気はよく、O壕公園を久しぶりに散歩したが、スタバがあったのに驚いたが、もっともだとも感心した。

目玉的な扱いの《二河白道図》は、現世から極楽へいたる道の困難さを描いている。図録表紙を飾る《烏図》も、金地に烏=黒という明快な構成である。一羽一羽のカラスは羽や目や表情が克明に描かれた写実的なものでありながら、全体としては金地に黒の抽象画となっている。

狩野重信《竹に芥子図屏風》がとくに気に入った。《二河白道図》のような黙示録的な重苦しい空気もない。カラスを描くというのは、つまり通常は「地」である「黒」を、金地のうえの「図」として描こうとするような逆説というか屈折である。そんな苦しさも、ない。

《竹に芥子》は知的でありながら、カラッと明るい。金地に緑=「メダケ」、白=芥子の白い花びら、赤=芥子の赤い花びら、緑=芥子の茎と葉、が描かれる。素人目にも明らかだし、図録の解説にもあったが、これらの竹や芥子は、観察にもとづいた写実的なものである。山水画の岩や滝などは、中世の風景画における岩山にように、記号化された抽象度の高いものである。しかしここでは写実的に正確に描かれている。ちょうど《プリマベーラ》の草花がそうであるように。

しかし別の次元ではとても抽象的だ。つまり全体としては矩形の金地の大きな広がりのなかに、青=竹の葉がいかに分散的に、集合と離散をもって、その分布が描かれているか、ということに気がつくと、とても計算ずくであることがわかる。さらにやはり同じ金地のなかに、白=芥子の花と、赤=芥子の花、がいかなる集合のしかたをしているかを注目すると、絵師のバランス感覚が読めるような気がする。

さらいいえば、金地は最深層のレイヤーであり、緑はつぎのレイヤーであり、白はその次、赤はもっとも手前のレイヤーであると感じられる。

具象性と抽象性を両立している屏風であり、さらにえば、絵画であること自体をテーマとする絵画なのである。

それは日本の現代建築における良質のある側面とも似通っているようにも感じられた。

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