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2010.05.14

《テルマエ・ロマエ》

・・・というマンガを読んだ。なんかで評判を聞いたことがあって、それでぼくの研究室の学生にもってないかと訪ねたら、もっていた。読ませろといって読んだ。

古代ローマの公共浴場スペシャリストの建築家ルキウス。その彼が、現代日本の温泉やら湯治場などにワープしてくる。

おもしろい。古代ローマ人が征服者的な自文明中心主義者であったりする点がである。またハドリアヌス帝という美術を愛した征服と悦楽の人物の時代が選ばれている点でもなかなかである。

文明の中心にいることを自負している古代ローマ人が、奴隷たちと思っている日本人の風呂にワープして、その中心/辺境図式をかき乱されるというのがこのマンガの笑いの原理である。そう考えると意外と古典的なのかもしれない。

おもしろいだけに考証しだいでは大化けするのではないかとも思った。たとえばルキウスはウィトルウィウス建築書を読んでいたり。そのなかの公共建築の建設法などをちらちら引用したり。兵役時代にいろんな泉源を研究していたり。

塩野七生の『ローマ人の物語』では、街道、戦艦、水道、浴場などインフラについての記述が具体的であった。《テルマエ・ロマエ》はそれを絵で描かねばならない点で仕事が増えるわけであるが、柱や、石積みや、道路舗装、建築オーダーなどの絵をみれば建築的知識はないことがわかる。しかし公衆トイレはそのとおりで、よく勉強されていて、感心した。ようするに勉強そのものが建築的ではないが、これはしかたないことである。

こういうマンガはとことんディテールにこだわると風刺性もうまれ、面白くなると思う。本当に古代ローマ人が日本にワープしたら、銭湯はむしろコミュニティ施設として機能していない点を鋭く指摘するであろうし、娯楽施設としては不十分と思うであろうし、二重壁でも二重床でもないからお湯はでても建物そのものは冷たいことに不満をのべるであろうし、現代日本の衛生器具会社にワープしてくれば風呂を個人化することで社会的絆を破壊する敵性企業と思うかもしれない。

あまり関係ないが《のだめカンタービレ》がなぜかうちにあったので読んでみた。求道的ではない成長ストーリーであった。ところで音楽マンガやグルメマンガは、聴覚や味覚そのものを描けない不利はあるが、それを表情とストーリーで描く。そういうマンガでも楽しめるし、映画やTVの原作にもなる。ならば建築マンガはよっぽど可能性があり、問題は受け手の層の厚みである。

建築雑誌では建築マンガ、建築家マンガがすこしずつ登場しているが、そのうち本格的な建築マンガ、アーキテクト・マンガがでてくるとおもしろいなあ。

「本格的」とは2種類の意味があって、(1)ストーリーを物語のプロが考える本格性と、(2)建築考証を建築プロがしっかりやる本格性、である。もちろん両方を満たすようなマンガがあるとおもしろい。

ル・コルビュジエ物語やライト物語はすぐできそうだが、それはちと陳腐であろう。

架空の若手建築家がすこしずつ仕事をとり、いろいろ学習し、やがて大規模建築を受注する、といったストーリー。そのなかで展開されるプロジェクトが、ほんとうにこれまでどこにもなかった独創的なオリジナルのものであったとしたら?マンガのコマが、ユートピア的建築プロジェクトで占められるわけである。これは才能があるのにたまたま仕事に恵まれない若手建築家がやっていいようなことになったりして。

で、実際、ルネサンスの建築書というのは、まさに《テルマエ・ロマエ》のように古代と現代(ルネサンス)をワープしながら建築を考察しつつ、著者=建築家としてそのような自己プロモートをするためにメディアであったのですから。だから建築自己プロモート・マンガがあってもいいかな、と。ぼくは支持しますけれど。

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