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2010.04.04

《高知駅》と《牧野富太郎記念館》

高知にいく機会を利用して、内藤廣さんの作品を拝見した。

高知駅は高架化にともない、南北のエリアをつなぎ、さらにホームの上に覆いをかけたもの。鉄の立体トラスが木質構造の屋根を支えている。駅前広場からも、その仕組みが見えるようになっていて、ナイスです。距離があるとさすがに見えにくいが、それでも雰囲気はつたわってくる。どこでもそうであるが、駅とその周辺は、人工的な建材、さまざまなサインや情報によって、きわめて人工的な環境となる。というか環境はトータルに情報化されたものとなる。そのなかで屋根構造のみが、情報ではなくなにか実在感、本質感を伝えるものとなる。

余談だが、高知はだいぶまえに高速道路ができた。それにともないICの近くにはショッピングセンターができた。ますます車中心になる。そのSCには市内だけではなく県内から買い物にやってくる。その結果、商業の中心は、旧百貨店、旧アーケード商店街からあたらしいSCに移動する。どこでもあることではある。しかし人口30万ていどの都市では、強すぎるSCがすべてを塗り替えてしまう。

高知は台風銀座である。この駅舎も、通常に垂直加重や地震時の水平荷重だけではなく、風によって飛ばされないための構造計算がされているはずである。その結構的な点検と実現が、この情報環境のなかで、ゆいいつ実在感を与えるものとなる。

Img_2876

牧野富太郎記念館は車を借りて、五台山の頂上まで登って、見学した。10数年前、雑誌の企画のために内藤さんにお目にかかり、説明を拝聴したことがあった。台風時の強風による負圧を計算して、屋根をしっかり大地に係留するための構造であると説明していただいた。風速100km/hという数値であったと記憶している。

牧野博士の若い頃の写真をみた。野心的な顔をしていた。博士の晩年の書斎も復元されていた。これは笑えた。「晩年の書斎」は普遍的テーマでもあり、ぼく自身のテーマでもあるが、これからは情報技術を駆使した個人ムンダネウムであろうね。

温室は工事中であったので、残念ながらみれなかった。

内藤さんの事務所でその模型を拝見したとき、これは傑作である以外にありようのない建物だと思った。10年以上してその実物をみて、想像どおりであった。想像以上ではなかったということではない。最大限の想像であったのだ。

大地に係留された鉄鋼パイプが、宙にカーブを描き、ふたたび大地に戻る。

そのシンプルな構図を出発点として、屋根、床、壁、窓が編集されてゆく。その場所なりということばもある。でも、ここで場所とは、山であり風である。不動と動でもある。定着と移動でもある。そんな対比がよい。

鉄構造は、年に数回、すさまじい強風にたいして懸命に抵抗する。その光景も想像してみた。

ふと人間のことも思った。ぼくのような旅人は、やってきて去ってしまう、風のようなものであろう。ふたたび大地に係留される鉄鋼パイプもまた、結局は大地に戻ってしまう人間のようなものであろう。

山頂だから眺めもよい。平野を囲む山やま、水をたたえている水田、それを浸食している住宅地。豊かでもありすこし情けなくもある風景をみながら、ぼくは土に戻ってしまった人のことを思ってもみた。

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