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2010.04.08

「グラン・パリ」へ建築家側からの批判

WEB版ル・モニトゥール誌の4月1日付記事である。「反対」以外にとくに意思表示はない。ただ首都と海との連絡をダメだとするのはグランバック案への批判であろうし、屋上緑化はダメというのはジャン・ヌーヴェルへの批判である。スター的建築家たちがグラン・パリ計画に協力的であるのにたいし、建築家協会側は批判的という構図である。

http://www.lemoniteur.fr/155-projets/article/point-de-vue/700400-le-grand-paris-comme-un-nouveau-new-york

記事によれば・・・・・

グラン・パリを批判するのは、ドニ・デシュ(Denis Dessus;建築家協会の全国評議会副議長)、イザベル・コスト氏、ダヴィド・オルバック氏。グラン・パリ計画は首都の歴史を忘却し、グローバル化の波に屈服しようというもの。

まず公共交通網整備は、金がかかりすぎる。予算がそれだけできえてしまう。さらにもともと設備省が計画していたもので、グラン・パリとは無縁のもの。インフラ整備は大切としてもそれがグラン・パリの現実に対応しているとは考えられない。

グラン・パリ建設は、建築プロジェをふやし、それにかかわる建築家の存在を知らしめるので、建築家たちにとっては多少のメリットはあるであろう。しかし建築家のプロジェクトは、あまり費用のかからない広告費のようなもので、少額で隙間を埋めてゆくようなものにしぎない。地方分権化は結構だが、それによって全体的な視野が失われた。フランスはインフラ網を建設することはできず、運河によってセーヌ川ち北ヨーロッパを結ぶこともできない。TGVは既存の鉄道網を破壊しているだけ。

フランスは、毎年1県分が「都市化」しているいっぽうで、ますます過疎化いている。経済、環境、社会には重い帰結がまっているであろう。サルコジは、建築は文明の象徴としているが、そこには文化も考察も意義もない。1977年と1985年の建築法はもはや空文であり、創造的な建築家の地位はひくくおとしめられている。建築生活文化省のようなものはいつできるのであろうか。

グラン・パリ都市計画における諸施設は、まさにアメリカ化願望である。

大統領の願望は、パリをニューヨークに、ロンドンにすることである。セントラル・パークと超高層。アングロサクソンを見習って遮蔽壁をすべて撤去。ロンドン、ニューヨークをみならって、首都と海をつなぐ。すべてをノマド化する。フランスはもはや「ガロ=ロマン」ではなく「ガロ=アメリカン」である。

インターナショナルというだまし絵に譲歩してはいけない。屋上緑化などはその好例。

パリの独自性、歴史性をふまえることが、その未来を語ることにつながる。パリは、ニューヨークでも、上海でも、ドバイでもない。屋上緑化はメディア上のイメージであって、それに譲歩してはならない。

国土的スケールの都市政策が望まれている。歴史と人間をしっかりふまえた刷新をしなければならない。都市は、それを生み出した社会を考察することで、はじめてなされる。文化、意志を共有し、社会を長期的視野で考えることで、フランスならではのスタイルを確立しなければならない。

・・・などなど。

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