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2010年4月の15件の記事

2010.04.29

フランス上院もグラン・パリ法案を可決

2010年4月27日付けのWEB版ル・モニトゥール誌の記事である。抄訳してみよう。
http://www.lemoniteur.fr/131-etat-et-collectivites/article-dossier-actualites/702119-le-senat-adopte-le-projet-de-loi-sur-le-grand-paris

下院ではすでに可決されている。この計画の目玉は首都を一周する環状メトロである。5月20日に上下院で統一した文書とするため、委員会が開催される。

この新しい環状メトロは郊外の経済拠点 (Saclay, La Défense, Plaine-Commune, Roissy, Orly...) を結ぶもので複線である。駅周辺の地区の再開発をうながし、郊外と郊外の連絡を促進する。

214億ユーロの投資をうけてこのメトロはイル=ド=フランス地域圏の発展に貢献するであろう。特任大臣クリスティアン・ブランによれば、これによって「NY,ロンドン、東京と並ぶ世界4大都市の地位」を保つことができる。(まだ東京は偉かったんだ)

法案を可決した多数派は、対抗案を葬り去った。イル=ド=フランス地域圏が提唱していた「Arc Express」というもので、パリ近郊の環状鉄道網である。この地域圏の圏長である社会党のジャン=ポール・ユションへの宣戦布告となった。

新しいメトロの財政のための新税も可決された。新メトロがこたらす不動産の付加的価値について、RATP(パリ交通局)の資産はStif(Syndicat des transports d'Ile-de-France présidé par M. Huchon, ndlr)が所有すること。40万ユーロの資金は、国が自動車会社に融資したものが2014年にもどってくるので、それで補填。のこりは借入である。

ハウジングも初心にもどって、国が県を経由して振興する。毎年7万戸をイル=ド=フランスに供給。グラン・パリ公社(SGP)の総裁の定年は、下院ではなしとされたが、上院は65歳とさだめなおした。

5月20日に上下院からそれぞれ7名ずつの代表があつまった委員会で法案の調整と統一化される。一方、左派は憲法院に訴えるなど抵抗の構え。云々。

・・・100年とちょっと前に現在のメトロが整備されたとき、それはパリ市域内に限定された。1902年までは入市税(市内にはいってくる商品に税金がかかった)があったことや、やはりパリと周辺市町村間のあつれきがあった。今回も国/地域圏/パリ市では一枚岩でないことが鮮明である。フランスの地政学はほとんど変わっていないようでもある。

パリ外周の環状線については、計画は19世紀末にもあったようだし、アンリ・プロストは高速道路による環状線を考えた。またミテラン時代のグラン・パリ89でも環状線は考えられた。社会党の大統領の場合は、パリ周囲の左派自治体の連携をかんがえた環状線であった。今回はどうか?どことどこを結ぶか、そこに注目すれば、可決案と否決案でそれぞれどのような政党的バイアスがかかっているか、違いがわかるであろう。

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2010.04.28

グラン・パリ法案反対と精神論的な建築教育論

WEB版Le Moniteur誌の記事である。フランスの建築界では景気はまあまあで、2010年第1四半期では、着工数は5%減であるが、建築許可は6.8%増であるらしい。これからすこし良くなるということであろうか。

グラン・パリ計画は建築需要を喚起するのではあろうが、プロジェクト理念としてはどうか。

http://www.lemoniteur.fr/131-etat-et-collectivites/article/actualite/702125-grand-paris-jean-paul-huchon-denonce-un-passage-en-force

グラン・パリについての記事。ジャン=ポール・ユションは力ずくで法案をとおすことを非難(2010年4月27日16時49分(現地))。ユションは社会党の議員。イル=ド=フランス地域圏社会党主席とグラン・パリ特別委員ジャン=リュク・ロランは、特任大臣クリスチァン・ブランを批判した。大臣が上院でとおそうとしているグラン・パリ法案は民主主義への挑戦だという。法案に従ってグラン・パリを実現しても、イル=ド=フランス交通網であるフランシリアン、ハウジング、首都圏西部の不均衡には弊害が多く、しかも地方分権法を踏みにじるものである。

グローバル化と地方分権の葛藤というわけである。社会党が元気なのもフランスらしい?

これもWEB版Le Moniteur誌の記事。建築教育について。

http://www.lemoniteur.fr/159-culture/article/actualite/702115-colloque-architecture-education-transmettre-une-passion

シンポ「やる気のでる建築教育」を建築特別大学で(2010年4月27日12時02分(現地))という記事。シンポは5月7日に開催される。パネリストとして、Peter Cook, Odile Decq, Hans Hollein, Amancio Pancho Guedes, Bernard Tschumi, Jay Chatterjee, Eric Owen Mossというからそうそうたる面々である。教育者としての建築家がいかに自分の情熱やインスピレーションを学生たちに伝えるか、というもの。教育には、インスピレーション、情熱、建築愛、心理的資質などなどが必要なのだという観点らしい。

日本では、制度や歴史などを振り返って大きな枠組みで論じることが多いが、パリではなにか精神論である。スポ根ならずアキ根、というわけであろうか。

BS1をみていると、小麦の価格が暴落したので、農業経営者たちがストを展開し、トラクターでパリまで乗り込んできているようであった。建築家たちが仕事よこせといって街にくりだすことはないであろうが、建築ぢからの表出法ももちろん違ってくるであろう。

建築シンポジウムというのは、労働者や勤労者のストライキやマニフェスタシオンに相当する、と考えると面白い。この年中行事がなされているあいだは、かの社会は大丈夫なのかもしれない。

景気もそこそこらしいから、元気を出そう、というわけであろうか。

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2010.04.25

《地中の棲処》

日曜日のオープンハウス。たまたま近所だったので、のぞいてきた。

天気はよかった。街じゅうがまったりしていた。そして近郊の丘のうえの住宅地。

末光弘和さん+末光陽子さんの設計である。末光さんとは3月にY-GSAでお目にかかった。それから教え子がお世話になっている。など、最近ご縁ができた。

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住宅地なのであるが、近場には家庭菜園をしているところもある。トタンの納屋のような建物もある。個人的にはこういうものは好きである。

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けっこう急斜面の丘である。道路は不規則であり、造成地も規則正しくはない。

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造成地は段々になる。擁壁の矩形と、部屋の矩形がシンクロする。

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篠原一男の《黒の空間》を思い出した。彼は住居を完全に地中に埋めた。すると廊下でつながれた諸室は、トポロジカルな関係があればよい。住居の輪郭や構成は消える。この《地中の棲処》は、開口部は大きいけれど、諸室の関係はそれに近いものがある。アーチ越しの階段がポエティックである。

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地中に埋めるという建築を消すコンセプトはしばしばあるが、ここではスペックがいろいろ研究されているそうである。岩盤浴の原理を応用した遠赤外線による暖房なのだそうだ。暖房とは房を暖めるのであるが、この方式は直接身体を温めるのだそうだ。すると暖身?

部屋には小壁がない。だから空が近い。縦穴住居のような半地下である。縁側があるのではない。床は地面から浮いているのではなく、つながっている。土に近い。ということで、ガラスばりだから開放的なのではない。身体と空のあいだ、身体と土のあいだに、介在するエレメントの数を減すことで、開放的となる。

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地域圏建築史学コンソーシアムはいかがですか

昨日の土曜日は熊本に日帰りした。時間節約のため地下鉄+特急+タクシーで、ドアツードアで片道2時間の移動である。当地でほぼ11時間をすごしたことになる。

建築史学の専門家たちの集まりに出席したのであった。下働きをさせていただいたので、ひさしぶりに参加した。建築学会の大会は、教育的目的もあって、毎年参加している。建築学会は例外的に巨大な学会であるが、それにくらべてこういう小規模な学会もアットホームでいいなあ、とつくづく思ったものであった。設立のこと、稲垣先生らが奔走していたことをおぼろげながら見ていたものであったが。

研究発表会、総会、シンポジウム、懇親会とほぼフル出席した。

懇親会で、他大学の先生たちといろいろ話し合う。大学全体がリストラ傾向であるので、建築も、さらに建築史学も、ダウンサイジングが徐々に進行している。もちろん地域差もあって、首都圏はそうはいっても機関は多く多士済々であるが、地方はひとり数役といった状況もある。なかなか大変である。そういったなか九州・山口地区は、苦しい状況ではあるがやりようによっては活性化もできるかもしれない、と思ったものであった。

ヨーロッパなどでは珍しいことではない。コンソーシアムである。

九州・山口地区はけっこう建築史学の専門家は多い。しかしひとつの大学のなかで、ひとつの講座などとして研究組織化されていることは稀である。つまり研究者は、各大学で孤立していて、集団として組織としてのパワーは形成されないような仕組みになっている。それをコンソーシアムの手法で、束ねるのである。

九州新幹線がもうそろそろ全面開通する。かりに福岡を中心とすると、鹿児島まで1時間30分、熊本まで30分、佐賀・鳥栖まで15分、北九州まで17分、広島まで1時間である。新幹線のない長崎や大分まではやはり2時間以上かかるから、すこし難しい。しかし日帰り圏で、かなり多くの専門家が会議をもてるようになる。

コンソーシアムは、大学・講座と学会の中間レベルのもので、ゼミ、授業、研究発表会、研究(費)戦略会議、学会支部的活動、はたまた懇親会、大学横断的FDなどいろいろできる。なにより学生が、複数の専門家に会って彼らを師とできることがよいと思われる。

問題は大学そのものの意識の遅れである。財源難から非常勤講師を削減するなら、こういうコンソーシアムはいいはずである。しかし地方の大学コンソーシアムは、単位互換などの基礎的なものにとどまっていて、メンバーが固定的であり、なにが目的かよくわからない。

コンソーシアムは、専門性や目的をはっきりさせて、分野ごとにちがう大学メンバーによって構成されるべきである。A学、B学で構成は違っていてよい。

参加者としては、自分のいる都市がどうこうではなく、こうしたシティ=リージョンなり、地域圏に自分が所属しているという意識をもつと良いのではないか。教師も学生も意識が変わってくるであろう。地域圏は海外にも展開する可能性がある。そのうち釜山も友達にできたりして。なかなか面白そうである。

それからこういうことは、雑用の多い年寄りには難しいので、助教クラスの若手が中心になってやるべきである。だれかやらないかなあ。

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2010.04.24

『初めての建築設計 ステップ・バイ・ステップ』

・・・を贈呈していただいた。神戸芸術工科大学の花田からさんである。花田さんとは、同世代でかつ高校・大学(学科)も同じである。最近あっていないがご活躍のようで、なによりです。同世代であり、根っからの建築好きも同じと思っている。かつぼくの大学に毎年、非常勤できていただいている。もう10年以上前からである。さすがに「もうそろそろ」とおっしゃているようだが、「まだまだ」と申し上げたいものです。

この本は大学2年生ていどのレベルを念頭においていて、初めて設計の課題にとりくむ学生が迷わないように親切に解説している。

まず、課題の解釈、敷地周辺のスタディ、ボリューム、諸室の配列、プレゼ、スピーチというように実際の作業順に解説していて、たいへん実用的である。

それから領域横断的であり総合的である。構造、設備、社会スタディ、敷地周辺スタディが、ノウハウ本のような形をとりながら、それぞれの分野のエッセンスが初学者にそれとなくつたわるようになっている。構造、RCのラーメン構造。構造力学の考え方と、設計への導入の仕方、実施、プレゼとひとつながりのプロセスで書かれている。

これまでさまざまな建築本のスタイルがあるが、それら横断的でもある。資料集成的な書き方、建築論的な書き方、計画学的な書き方、フリーペーパー的な書き方が、適材適所に混在していてたのしい。それらが階段の断面、模型作り、エスキス、空間構成、プレゼ(パネルのレイアウト)などに及んでいる。

図面の種類もそうで、図面も、エスキス、プレゼ、実施的なものが近い距離でレイアウトされていて「なるほど」である。

「人前で発表してみよう」もなかなかよかった。教師として学生にせっしていて、いちばん歯がゆい部分である。

教師目線でいうと、なかなかかゆいところに手が届いている一冊である。

でもぼくと花田さんの30年以上におよぶ友情に甘えて、ひとつ注文しようかな。つまりこれは「入門編」であるから、「発展編」も書いてほしい。

発展編のテーマはなにか?それはいかに「課題」を設定するかを、学生がひとりでできるようにすることである。『ステップ・バイ・ステップ』は初学者むけだから、先生たちが「まちなかファクトリー」という課題をあたえ、学生がとりくむというストーリー展開が書かれている。しかし学生が学んでゆけば、そのうち「現代や社会はどのような建築を要求しているか?」というメタ課題をみずからに問わねばならなくなる。その手助けをするのが教育であろう。

ノウハウ本的に考えれば、それは新聞や書籍の読み方、WEBでの情報検索の仕方、ゼミの方法、レジメの書き方、ディベートのしかた、話し方、聴き方、そしてそれらの前提としてあるべき個人哲学の構築法、リテラシ-、のようなものであろう。

ぼく自身はきわめて断片的なことしか教えていない。ゼミでは、情報を時間軸で編集してみよう、文献になにが書かれているかではなく、なにが書かれていないかを読め、といようなことを毎年指示する。それ以上のことはその場その場でいうだけである。しかしFD的に、そんなノウハウを集めてみるのも楽しいかもしれない。

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2010.04.20

『磯崎新の建築・美術をめぐる10の事件簿』

という本を読んでみた。月曜日は会議ふたつに授業ふたつのあわただしい一日であったが、こういうときの合間がけっこう読書にはむいていた。

磯崎本のなかでは『建築の1930年代』や『ポストモダンの時代と建築』の系統であり、対談をとおして深めてゆくやりかたである。前者はもちろん1930年代という、合理主義と全体主義の相克のなかで20世紀が形成されたという問題を論じている。後者はおもに1980年代を論じており、資本の時代になったという流れで時代を位置づける。奇しくも2著により「国家」と「資本」を論じていたわけである。

では『事件簿』ではなにを論じたか?それは「イタリア」であり、彼の建築への愛である。

アルベルティ、サッコ・ディ・ローマ、ベルニーニとボロミーニ、ピラネージ、未来派、ファシズム、レアリスモ、フィレンツェの洪水、群島・・・と論じているのだから、要するにイタリアづくしであり、ぼくが説明するまでもない。もちろんイタリアを論じるということは、日本やドイツやイギリスを論じることと同じではない。つまりイタリアを論じるとき、イタリア的なものとか、その民族文化や国民文化やその特性を論じることにさほど私たちは興味をしめさない。そういうことはあるにしても。私たちは「イタリア」のなかに含まれている、建築の普遍性、建築の建築的特性というようなものに強い関心をいだくのである。

磯崎さんのイタリア建築論も本質的にはそういうことである。

もちろん含蓄は深い。アルベルティの『建築論』は、人間中心的な価値観において建築を普遍化しようという試みであった。しかし「普遍化」ということは、想像するほど優しいことではなく、個別性を残酷に無価値化してゆくことでもあるのだが。磯崎はしかし、アルベルティが確立した神人同型説的な建築観を破壊することが自分のミッションであった、という始まりの書き方をするのであった。

最後は『群島』論であり、この論はなんども繰り返されているのでいまさら説明するまでもないのだが、断片の集積としての世界というようなことであろうか。

それはともかく事件簿の事件とは?それは神聖ローマ帝国軍がローマを襲ったことであり、ナポレオンによるイタリア遠征であり、二月革命であり、ファシズムであり、革命であり・・・そして彼自身が体験した戦争であり、フィレンツェの大洪水であり、ミラノ・トリエンナーレであり、1968年であり、ラディカル、なのであった。

「事件」により建築を支えていたパトロネージも、建築家たちの意識も動向もまったくかわってしまう。磯崎新は、自分自身が体験した事件とその意味を、過去の重要な事件のそれを重ね合わせ、推測し、そのことによって、事件を経由して、自分自身の歴史的位置づけをおこなうことができるという希有なイマジネーションの持ち主なのである。あるいは彼はきわめて感受性の強い読解者なのであろう。そういう意味では、一貫した思想家ではなく、「出自そのものを自ら攻撃する」というラディカルが一貫しているのは、一貫した思想をけっしてもたないという逆説的な一貫性なのであって、それよりなにより磯崎新は霊的なそして超越的なものをも感受するレシヴァなのであろう。

そしてなにより逆説的な、出自をも攻撃する、自己言及的な批評行為がなぜこのように長期にわたって確信をもってなされるかというと、やはり「建築」への超越的で無条件であるいみ理論以前的な愛があるのであろう。それはアルベルティの建築より、テラーニの建築より、マルパルテ荘よりもはるかに上位にある、だれも見たこともないようなものなのであろう。イタリアとは現実のイタリア国であるというより、そういう上位の建築概念を与えることのできる複合的な世界であるというようなことであろうか。

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2010.04.17

1Q84 book3

4月16日は仕事がはやく終わったので、夕方まだ外が明るいころにプールで泳いだ。帰宅途中、地下街を歩いていると、はじめての書店を見つけたので、立ち寄った。1Q84の第3巻があったので、買った。買ってから今日が発売日ということを知った。

首都高の非常出口を出るところから始まったこの物語は、そこを逆方向に移動することで、いちおうの結が示されている。もちろんbook4が書かれるのかどうかしらないし、いくつかのエピソードは謎のまま放置されている。とりあえず物語はひとつの円環をなしたことになる。

世界は虚構であるかもしれない。しかし虚構のなかでも、確信をいだいたり、自分なりの根拠をもったり、することができる。ストーリー構成のなかの補助要素にすぎないかもしれないが、教団のリーダーである父の死と、主人公の父の死とはばらばらに描かれているが、そうでもないようであり、それが新しい生命と対比をなすようになっている。「ハーメルンの笛吹き男」は子供たちを連れ去ったまま、物語もその結末を告げてはいない。同様に、円環をなしたようにみえて、物語の要素のいくつかは、結論も結末もないまま放置されている。むしろ、そういう放置のさせかたのために、円環はあるのかもしれないのだが。

村上春樹はこれまでの手法の逆をやっている。妻の失踪から始まる物語であったのに、今回は20年ぶりの再会である。交差しないふたつの物語であったものが、複数の独立した物語の密接な関係、である。天吾、青豆、牛河は、3者とも隠れつつ、捕物帖的にたがいに探しあうのであるが、それが物語の構造をつくってゆく。

Book1, book2の感想でも書いたように、優れた芸術は芸術そのものをテーマとするのと同様に、この小説のテーマは小説そのものであろう。天吾が書く『空気さなぎ』という物語が、現実を支配しはじめる。その虚構性/現実性をテーマとする小説なのであろう。であるから、個人的には、完結すること、あるいは完結したという形式をとることは、ふさわしくないように感じられる。すくなくとも読者としては。

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2010.04.16

『建築を愛する人の十二章』

著者である香山壽夫先生より賜りました。ありがとうございます。

古代ギリシア、ゴシック、ルネサンス、近代建築、はたまた日本の寺院や神社など古今東西の建築を衒学的にならずに、大地、空間、門、壁などといった建築固有の言葉を切り口にして、ゆたかな芸術的そして人文的教養のうえにたって、論じられる、そういう建築論である。若く未成熟な人間の気負いや力こぶしはすでに超越されていて、すべてが優しくでも確実につたわってくる。

香山先生はかつてパイオニア時代のアメリカ建築にかんする特集をしていた。もちろん建築形態学や、アメリカン・ボザールについての特集も有名である。しかし個人的には、アメリカのフロンティア精神のようなものを彼に感じる。もちろん本書のなかでもニューメキシコのプエブロの住宅にたびたび言及していることもあるのだが。しかし20世紀のよき時代のアメリカを体現しているなどと感じるのはあまりに紋切り型なのであろうか。

ルイス・カーン。50歳をすぎてイタリアに留学し、ヨーロッパ建築のエッセンスを学び、60台以降に開花する。新大陸の建築家が旧大陸の建築に接し、それを独自のスタンスでしかし誠実に再解釈する。様式、正確、タイポロジーといったヨーロッパ独自の言語をそのまま追体験するのではなく、ルーム、光、壁といった、アメリカ的にして独自な、しかしより普遍的な切り口で文化的ルーツであるヨーロッパの建築に切り込んでゆく。それはそれなりにフロンティア的試みであったのではないか。

アメリカならではといった偏狭な地域主義に陥るのではなく、より普遍的な枠組みで包含しかえすことで独自のスタンスを確立しようとする。それは20世紀建築はアメリカの世紀といわれるゆえんなのであろう。

香山先生はそのアメリカの最良の時代に、そこに留学し、アメリカを拠点としてヨーロッパ体験をして、自身の建築観を構築していった。20歳台の末、彼は大西洋を船でわたり、パリのノートルダム大聖堂の光を体験したのであった。

カーン「構造体は光を与え、光は空間をつくる」。この認識には、ヨーロッパ的な文化や教養の世界も必要ではあったのであろう。しかしそれを自由に解釈するフロンティア精神もあったのであろう。

リチャードソンも、ライトも、そういう意味ではフロンティア的建築家なのであり、ヴェンチューリもフロンティア的建築史家なのかもしれない。

本書から感じられるのは、そうしたフロンティア精神の存在を直感的に知っていた若い建築家が生きた、みずみずしい、希望に満ちた、ペシミズムも希薄な、後の世代の人間には繰り返し不可能とも思えるような、そういうひとつの時代なのであろう。最近わかってきたのだが、だれであれ、ある一つの時代を刻印されたまま、その時代を内部に保存しつつ、現在を生きるのであろう。

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2010.04.14

「電子書籍元年を迎えて」

という記事が『週刊読書人』にあったので、目をとおした。原稿書きをしていて、仕事からの逃避でつい読んでしまう。『書物の変』の著者と『紙の本が亡びるとき?』の著者が対談している。

キンドルやアイパッドの登場でいよいよ現実的になった電子書籍である。とはいえ紙の書籍に、電子媒体がとってかわる、というのでは電子情報独自の形態であるとはいえない。そこが変なところで、電子情報ならHPやブログやtwitterや、それから近未来にでるであろう新しい形態がふさわしい。しかし電子情報にはふさわしくないはずの、紙のメディアにとってかわろうとするのである。ということは電子/紙というのではなく、出版業界、図書館制度、書籍というパッケージ、販売制度、権威づけ、著者の署名という制度の問題、なのであろう。

ということで中身はやや業界話しじみている。フランス国立印刷所が2006年に閉鎖されたという象徴的なエピソードが冒頭で飾られている。この印刷所の労働組合はEU批准のときに反対したそうで、つまり自分たちの仕事がチープレイバーの他国にとられることにたいする組織的懸念である。

また活字/オフセットということも説明されていて、電子でもないオフセットでもない、活字文化がそれこそ伝統芸能的に保存されるであろうとか、中国政府がグーグルを排除したことが漢字文化の保護として価値があるとか、いろいろな視点が提供されている。

過度の電子化ということから教育を守るために、重要書籍の一章を手書きで書き写させるという写経メソドをしているというエピソードも披露された。使える手ではあるが、大学でそんな教育法をしているなどというのは、あまり尊敬される話題ではない。

まあそれもいいのだが、ぼくとしては、「個人がいかに紙の書籍やら、電子ブックやら、WEBやらを総合的にカスタマイズするか?」ということが庶民にとっての最重要課題であり、それが上からの情報革命にたいする下からの(反)革命になると思うのだが、そういうことにかんしては、この記事のみならず、あまり触れられない。

電子書籍は安価だから、安易な庶民はみんなそれに流れ、出版社はつぶれ、業界は再編されるだろう。でもそれは業界の問題であるのであって、読者最優先と仮定すればどうなるか、などといった思考実験をどなたかしてください。

蔵書家の武勇伝がある。蔵書に財産をつぎ込んで、妻はあきれて離婚してしまい、自宅におけなくなったので間借りして・・・云々の話はよくきく。予定調和の学者であっても、晩年は書庫付き戸建てを建てるのが団塊世代のパターンである。デザイン史の大家は、平屋住宅で母屋とつかずはなれずの書庫+書斎を構えていた。タンポポハウスには建築雑誌には紹介されていない地下の大書庫があるという噂である。RCで自邸を建て替えた大教授も一階がほとんど図書館の書庫のようなつくりである。戦後日本が国家政策として推進した戸建て持ち家政策をそのまま実現している。その意味ではすごい。

ただし後の世代はそこまでのリソースを文献につぎ込む余裕がない。書籍だけで数千万円から1億円超、そのための書庫に半額から同額の地代+建設費の投資。そういうことはパワーのある例外的なお方だけがやればいいことで、だれもかれもやりだすと、社会全体としては無駄な資金を無為につぎこむことでしかない。

ああ、お金の話しはいじましいからやめよう。記事のなかで、活字ももともとはベンヤミン的なアウラの欠如した複製技術の産物であったが、オフセット化、電子化のなかで、アウラをもつものとして再評価されてきているのだという指摘があった。つまりある情報が、輝き生き生きとしてかけがえのないものに感じられるのは、紙、媒体、というものとは無縁であるということだ。情報と人間(の脳)との関係で決まる。それを考察するのは、読書する側の論理である。したがって紙、ディスプレイなどの媒体をまえにして「個人がいかに情報環境をカスタマイズするか」のスタイルを、本質論として考えねばならない。

つまりグーグルが実現しようとしているのは、古いかつての夢にすぎないのだが、その普遍図書館なり世界図書館なりバベル図書館のなかで、人はどうそれをカスタマイズするかということなのだな。それを教えてください。

自家用車が出始めた頃。ミュールーズ市にある自動車博物館を見学したとき、1907年(?)の1年だけ、フランスはアメリカよりも生産台数が多く、世界一であったそうだ。当時のポスターを見ると、車によって豊かになる生活というものについて、きわめてはっきりしたイメージがあったことがわかる。徳大寺氏が、日本の車産業はスペック指向でありライフスタイルのイメージがないという、そのとおりであった。文献もそう。

なぜかっていうと、こんなことを書いているぼく。今、ありがたいことに今年出版されるかもしれない文献のために原稿を書いているのですよ。紙の文献が手元にありまして。それから電子書籍もちゃんとつかっています。WEB情報も使っています。でもなにか決定的ななにかが不足しているんだな。専門家のかたがた、業界向けもいいけれど、個人のライフスタイルも考察してください。

原稿を書いていると、かならず、こんな逃避的脱線をしてしまうのであった。

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2010.04.13

『都市建築史的観点からみた中央と地方に関する研究』

・・・という冊子が建築学会から届いた。いろいろ忙しくて隅々まで読む時間はありませんが、なるだけ拝見した。

これは日本建築学会のなかに組織された若手奨励(40歳以下らしい)のための研究委員会の成果であり、そのシンポジウムの記録である。

たいへん断片的な読みで申し訳ないが、オスマン朝国都イスタンブルの紹介では、もともとは遊牧民であったオスマン朝が、イスタンブルという都市の定住性と葛藤をもち、やがて遊牧→定住化するという、おおきな枠組みが示されている。これは権力理論とは普遍的な枠組みであり、つまり皇帝・国王などの身体が重要視されるうちは彼は移動するのであるが、権力が抽象化・普遍化するとむしろ定住化する。ヨーロッパにおいても宮廷はつねに移動していたが、やがて定住化する。

フィレンツェにおける君主の結婚祝祭は、フィレンツェ君主がトスカーナ大公となり、領域国家化するのと平行して、その権力意識入市式における仮設モニュメントの図像に反映されるというもの。入市式図像の研究は最近の研究ブームであり、西洋史の人が書いた論文もたまたましっているし、ヨーロッパの研究者も書いている。

全体としては、時代の変化というものに適切に対応しつつ、適切な枠組みを構築しているように感じられる。おそらく個別研究において具体的でなまなましい成果が多く産出されるであろう。

そのいっぽうで本質的にはなにが新しい視点なのかも検討するべきであろう。たとえば中央/地方の関係論において、芸能や文化は地方で発生して中央に流入されるという構図があることが指摘されているが、これは1970年代の山口昌男の理論そのままであるし(山口昌男でさえ特段新しいことをいっていたかどうかわからない)、首都は諸共同体の隙間であるというニューアカ時代の論理とさほどかわらない。

また交流ネットワークという視点も、ブローデルによる地中海論のなかにすでに強調されている。

もちろん年寄りの果たせなかった夢をいまの若手研究者たちに取り組んでいただけるという、有り難い側面もある。

ただ方法論、あるいは一歩すすんで他の方法論との違いを明確化する必要はあるだろう。首都を中心とする建築史とは、国家建築史であり、ネーションステーツ建築史であった。そしてとくに戦後の建築史は、いわば「近代批判」をおおきなフレームとして、この国家建築史を批判しようとしたのであった。しかし批判の対象として正面にすえることで、皮肉なことにきわめて逆説的なことに、この批判しようとしている国家建築史の正統な嫡子となった。

この国家建築史はたんに実証的研究のレベルにとどまらず、美学(たとえば日本的なもの)をも規定している。もし国家建築史を克服して地域ネットワーク的なものを対峙させようと思えば、実証主義レベルにとどまらず、美学、建築理論、などいわゆるメタレベルでの闘いも期待されよう。つまり実証的レベルにとどまれば東洋史学や西洋史学のたんなる傍系であるにとどまるであろうが、まさに建築や都市の固有の領域を保てるかどうかもまた検討対象であるからである。

たとえばぼくがたまたま知っている例にすぎないが、ヴィオレ=ル=デュクはゴシック概念を構築した。しかしブルターニュのある歴史家は、ゴシックというものはどこにも存在しない、それはヴィオレ=ル=デュクの勝手な概念にすぎない、それはイル=ド=フランス的、フランス国家的なものにすぎない、という。つまり地域的な視点からすれば、国家的な枠組みは端的に存在しないし認められないもののようである。まあ、日本ではそこまでは言わないであろうが。

そして中央/地方、地域間交流などといったタームが使われていることからわかるように、この枠組みは、グローバル化、EU、都市間連携、都市(地域)間ネットワーク、それぞの地域や都市が生き残りをかけてストラテジーを活発に展開してる、1990年代からの世界の動向にぴったりシンクロしていることも明らかである。だから適切に対応しているのではある。そのことをより明言して、現在進行中の、建築や建築のさまざまな取り組みといかなる関係をもちうるか、も構想してほしいものである。

そういう意味で、本冊子をめくって部分的に読んだ印象としては、たいへん充実した個別研究、事例研究がこれから多く生産されるであろうという期待をもつとともに、それらを束ねたときになるだけはっきりした輪郭をもてるような、上位の枠組みが構想されることを期待したい。それができれば、建築史・都市史とはたんなる過去学ではなくなり、過去を踏まえながらもいわゆる歴史的建築とも現代建築とも近未来のプロジェクトとも密な関係をもてるものになるであろう。たとえていえば、前述の「近代批判フレーム」とは違う、その代わりになるものは、なんであろうか?というようなことである。

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2010.04.08

「グラン・パリ」へ建築家側からの批判

WEB版ル・モニトゥール誌の4月1日付記事である。「反対」以外にとくに意思表示はない。ただ首都と海との連絡をダメだとするのはグランバック案への批判であろうし、屋上緑化はダメというのはジャン・ヌーヴェルへの批判である。スター的建築家たちがグラン・パリ計画に協力的であるのにたいし、建築家協会側は批判的という構図である。

http://www.lemoniteur.fr/155-projets/article/point-de-vue/700400-le-grand-paris-comme-un-nouveau-new-york

記事によれば・・・・・

グラン・パリを批判するのは、ドニ・デシュ(Denis Dessus;建築家協会の全国評議会副議長)、イザベル・コスト氏、ダヴィド・オルバック氏。グラン・パリ計画は首都の歴史を忘却し、グローバル化の波に屈服しようというもの。

まず公共交通網整備は、金がかかりすぎる。予算がそれだけできえてしまう。さらにもともと設備省が計画していたもので、グラン・パリとは無縁のもの。インフラ整備は大切としてもそれがグラン・パリの現実に対応しているとは考えられない。

グラン・パリ建設は、建築プロジェをふやし、それにかかわる建築家の存在を知らしめるので、建築家たちにとっては多少のメリットはあるであろう。しかし建築家のプロジェクトは、あまり費用のかからない広告費のようなもので、少額で隙間を埋めてゆくようなものにしぎない。地方分権化は結構だが、それによって全体的な視野が失われた。フランスはインフラ網を建設することはできず、運河によってセーヌ川ち北ヨーロッパを結ぶこともできない。TGVは既存の鉄道網を破壊しているだけ。

フランスは、毎年1県分が「都市化」しているいっぽうで、ますます過疎化いている。経済、環境、社会には重い帰結がまっているであろう。サルコジは、建築は文明の象徴としているが、そこには文化も考察も意義もない。1977年と1985年の建築法はもはや空文であり、創造的な建築家の地位はひくくおとしめられている。建築生活文化省のようなものはいつできるのであろうか。

グラン・パリ都市計画における諸施設は、まさにアメリカ化願望である。

大統領の願望は、パリをニューヨークに、ロンドンにすることである。セントラル・パークと超高層。アングロサクソンを見習って遮蔽壁をすべて撤去。ロンドン、ニューヨークをみならって、首都と海をつなぐ。すべてをノマド化する。フランスはもはや「ガロ=ロマン」ではなく「ガロ=アメリカン」である。

インターナショナルというだまし絵に譲歩してはいけない。屋上緑化などはその好例。

パリの独自性、歴史性をふまえることが、その未来を語ることにつながる。パリは、ニューヨークでも、上海でも、ドバイでもない。屋上緑化はメディア上のイメージであって、それに譲歩してはならない。

国土的スケールの都市政策が望まれている。歴史と人間をしっかりふまえた刷新をしなければならない。都市は、それを生み出した社会を考察することで、はじめてなされる。文化、意志を共有し、社会を長期的視野で考えることで、フランスならではのスタイルを確立しなければならない。

・・・などなど。

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2010.04.07

グラン・パリは2012年起工?

WEB版ル・モニトゥール誌(3月31日付)によると、グラン・パリ法プロジェクト担当の上院特別委員会の広報ジャン=ピエール・フルカード氏によれば、パリ外周を走る新交通システムは2012年初頭に着工される。

この法案は2010年夏に投票される。可決されれrば、同年9月か10月に全体計画が公示され、着工は2012年であろう。可決されれば「グラン・パリ公社Société du Grand Paris (SGP)」なるものが設立される。公社はプロジェクトを作成し、プロジェクトは、地域圏、イル=ド=フランス交通組合、パリ・メトロポリス、国際建築アトリエ、に示され、4ヶ月間検討される。

それから「公開討論があり、数ヶ月かけて最終プロジェクトにいたる」とフルカード氏。彼に依れば当面、予算措置は必要ない。借入は2013年からで、40億ユーロの資本提供からはじまる。彼は公開討論国民委員会の主要メンバーともあっており、委員会は環状線全体を検討し、郊外の Arc Express線プロジェクトをも検討するであろう。

首都圏開発担当の閣外大臣クリスチャン・ブランによれば、着工は上記とは違って2013年12月である。

特別委員会は、国民議会が可決した法案に97カ所の訂正を加えた。法案は、上院議員によれば、野心的な「グランパリ」の「第一幕」にすぎないという。新しい交通網と、ほかのネットワークとの関連もなされるであろう。「グラン・パリ公社Société du Grand Paris (SGP)」の設立も認められるであろう。それにより新交通システムが既存のバスシステムなどと一体化し、地域圏の発展が見込まれる。

社会党はどう反応したか?イル=ド=フランス地域圏議会の議長であるジャン=ポール・ユション氏は、新しいプロジェクトは既存の都市・地域圏交通システムと競合する。とくに地域圏が主宰するイル=ド=フランス交通組合(Syndicat des transports d'IdF)は、将来のSGFと協力しなければならなくなる。新法案が公布されると、プロジェクトは停止するであろう。たとえば地域圏が提案している、パリを環状にとりかこんで走る Arc Express などは。

さらにユション氏は不満を述べる。公開討論はなされないであろう。地域圏が策定している指導シェマ(SDRIF:マスタープランのようなもの)は疎外されるであろう。なぜならイル=ド=フランス地域圏とはまったく協調しない整備がなされるからである。さらにグランパリ代表のジャン=リュク・ロラン氏は、閣外大臣ブランが提案しているパリ外周メトロの駅が、まったく一貫性がない、としている。

・・・要するに国家主導のグランパリ計画は、イル=ド=フランス地域圏からはまったく不評である。これはフランスには伝統的な、中央/地域のあらそいで、それが可視化したというようなことであろう。首都圏ではとくにそうで、19世紀と20世紀、パリは首都であることの重要性に鑑みて、市長がいなかった。グラン・パリもその重要性に鑑みて、地域圏の役割は小さくされている。むしろ地域圏独自にはやらせないための枠組みが「グラン・パリ」の本来の目的であるようにさえ思える。

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2010.04.06

SANAAがラ・サマリテーヌ改修をてがけるという

プリツカー賞を受賞した妹島さんと西沢さんは、パリの百貨店ラ・サマリテーヌの改修もするらしい。

http://www.lemoniteur.fr/153-profession/article/actualite/700414-les-nouveaux-pritzker-vont-transformer-la-samaritaine

これはパリ市が2009年7月に改訂して発表したPLU(地域都市プラン)の枠組みのなかでなされるものである。商業施設の改装ではなく、都市計画のなかに位置づけられたパブリックなプロジェクトなのである。

さて百貨店の名「ラ・サマリテーヌ」の由来はなにか。イエス・キリストに水を与えたサマリア女のことである。ではなぜ水か。百貨店が建設されるより昔、17世紀より、そこにポン=ヌフ橋がある。この橋に付属して、水を吸い上げるポンプ施設があっった。ポンプはセーヌ川の水をすいあげ、パリ市民に飲み水など生活用水を提供していた。この揚水施設が、そのサマリア女にちなんでラ・サマリテーヌと呼ばれていたのであった。だからといってパリ市民はキリスト様なのか、などと野暮なことはきかない。そしてこの百貨店は、そのポンプの名を譲り受けたのであった。だから「サマリア女」→「ポンプ」→「百貨店」、なのである。ああややこしい。

この百貨店は、1990年代のパサージュ、百貨店ブームのなかで内装を建設当初のものにもどしていたが、それからグローバル化のなかで営業が悪化し、閉店を余儀なくされた。閉店するときは従業員たちが抗議の集会を開いたが、無駄であった。結局2005年、最終的に閉鎖された。

報道によると、パリ市は「社会的ならびにきわめて社会的な住居logements sociaux et très sociaux」(ということは低廉そしてとても低廉な住居)に7000㎡、保育園(60人収容)を予定している。さらに2200人の雇用、725人の俸給受給者、という。店舗やオフィスなどもあるのであろう。

SANAAはランス市のルーブル博物館もやっている。さらにパリ16区avenue du Maréchal Fayolleでは140戸の社会的住宅のプロジェクトも2007年からやっているという。

それはそうとして、この百貨店の地下はかつてホームセンターのような店舗であった。留学していたころ、メラミン合板を裁断してもらって、下宿に本棚をつくったなあ。10年ほどまえも、自宅の浴室の壁タイルをやりかえようとおもって、出張ついでに、タイルのサンプルを買ったなあ。そこで一式買い付けようかとも思ったが、そこまではいかなかった。日本の日常世界は極端に工業化されていて、フランスはよっぽど手のぬくもりが残されていると思ったものであった。

セーヌ川を見下ろすところに社会的住宅か。つまりパリ市が財政補助をして収入の少ない人びとを一等地に住まわせるということである。勝ち組だけが、商業とオフィスだけが、都心に居残るのではないということである。都市計画としてはじつは古典的なのであるが、今日の状況下では、さわやかにも感じられる。

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日本建築50年周期説?

誤字脱字チェックのため自分のブログをみていたら、50年周期ってあるのかな?と思った。

(1)西洋化の50年:1870年代から?

明治維新はそれなりに転換点であった。もっともアメリカ人にとっては明治維新というより通商条約であって、かれらにとっては日本を屈服させた日が重要である。日本人にとっては体制を変えた日が重要である。建築にとっては技術の導入が重要であろう。とはいえ建築にとっては転換点はなく転換期間というグレーゾーンなのではあろう。きわめて曖昧に1860から1870年代としておこうか。本格的には、ということで1870年代から?

それを「近代化」とするかどうかはむつかしい。開国とか西洋化とか呼ぶことはできるであろう。しかし西洋もこの時代は旧技術であったからである。

(2)近代化の50年:1920年代から?

RC構造や鉄骨構造は20世紀にはいってからである。さらに家族をコアにすえた近代住宅もそうである。

日本にそれらが導入されて、西洋化ではなくまさに近代化したのは1920年代前後ではなかろうか。1910年代から30年代にまたがるが、中心は20年代であろう。RC、鉄、近代家族、なにより1919年の都市計画法、市街地建築物法などに代表される建築制度。さらに建築学科を中心とする「建築学」の整理。国と学科が整備した高専などの「中等教育」、そこにおける建築技術教育の標準化など。建築は「学」になり「制度」になった。

(3)近代をのりこえようとする50年:1970年代から?

次の50年後は、それへの根底的な批判がなされた。

1970年の万博とその直後のオイルショックを思い出せばよいが、建築は滅亡し、解体され、消滅するというようなことが宣言された。その宣言の妥当性そのものはどうでもいい。そのような批判的精神に満ちた時期であったということである。「近代批判」「地方の時代」「地域主義」「エコロジー」などがいわれたのがこの時期であった。現在の環境指向も、この方向性をきわめて高度化したものであろう。

(4)××××の50年:2020年代から?

さらにそれから50年、というのが2020年代である。ちょうどぼくが西洋化ではない真の近代化とよぶものから、2サイクル、100年後ということになる。

2010年現在の10年後だから、まだよくわからないが、予兆はすでにあらわれていることになる。地球のための50年、ソフトな衰退の50年、かつていわれたネオ中世の50年かもしれない。「××××」はなにか、いろいろご検討ください。

50年ごとであってもそれらの基底にあるグローバルシステムは変わらないようでもある。

ぼくもそれなりに準備しておきましょうか。

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2010.04.04

《高知駅》と《牧野富太郎記念館》

高知にいく機会を利用して、内藤廣さんの作品を拝見した。

高知駅は高架化にともない、南北のエリアをつなぎ、さらにホームの上に覆いをかけたもの。鉄の立体トラスが木質構造の屋根を支えている。駅前広場からも、その仕組みが見えるようになっていて、ナイスです。距離があるとさすがに見えにくいが、それでも雰囲気はつたわってくる。どこでもそうであるが、駅とその周辺は、人工的な建材、さまざまなサインや情報によって、きわめて人工的な環境となる。というか環境はトータルに情報化されたものとなる。そのなかで屋根構造のみが、情報ではなくなにか実在感、本質感を伝えるものとなる。

余談だが、高知はだいぶまえに高速道路ができた。それにともないICの近くにはショッピングセンターができた。ますます車中心になる。そのSCには市内だけではなく県内から買い物にやってくる。その結果、商業の中心は、旧百貨店、旧アーケード商店街からあたらしいSCに移動する。どこでもあることではある。しかし人口30万ていどの都市では、強すぎるSCがすべてを塗り替えてしまう。

高知は台風銀座である。この駅舎も、通常に垂直加重や地震時の水平荷重だけではなく、風によって飛ばされないための構造計算がされているはずである。その結構的な点検と実現が、この情報環境のなかで、ゆいいつ実在感を与えるものとなる。

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牧野富太郎記念館は車を借りて、五台山の頂上まで登って、見学した。10数年前、雑誌の企画のために内藤さんにお目にかかり、説明を拝聴したことがあった。台風時の強風による負圧を計算して、屋根をしっかり大地に係留するための構造であると説明していただいた。風速100km/hという数値であったと記憶している。

牧野博士の若い頃の写真をみた。野心的な顔をしていた。博士の晩年の書斎も復元されていた。これは笑えた。「晩年の書斎」は普遍的テーマでもあり、ぼく自身のテーマでもあるが、これからは情報技術を駆使した個人ムンダネウムであろうね。

温室は工事中であったので、残念ながらみれなかった。

内藤さんの事務所でその模型を拝見したとき、これは傑作である以外にありようのない建物だと思った。10年以上してその実物をみて、想像どおりであった。想像以上ではなかったということではない。最大限の想像であったのだ。

大地に係留された鉄鋼パイプが、宙にカーブを描き、ふたたび大地に戻る。

そのシンプルな構図を出発点として、屋根、床、壁、窓が編集されてゆく。その場所なりということばもある。でも、ここで場所とは、山であり風である。不動と動でもある。定着と移動でもある。そんな対比がよい。

鉄構造は、年に数回、すさまじい強風にたいして懸命に抵抗する。その光景も想像してみた。

ふと人間のことも思った。ぼくのような旅人は、やってきて去ってしまう、風のようなものであろう。ふたたび大地に係留される鉄鋼パイプもまた、結局は大地に戻ってしまう人間のようなものであろう。

山頂だから眺めもよい。平野を囲む山やま、水をたたえている水田、それを浸食している住宅地。豊かでもありすこし情けなくもある風景をみながら、ぼくは土に戻ってしまった人のことを思ってもみた。

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