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2010.04.17

1Q84 book3

4月16日は仕事がはやく終わったので、夕方まだ外が明るいころにプールで泳いだ。帰宅途中、地下街を歩いていると、はじめての書店を見つけたので、立ち寄った。1Q84の第3巻があったので、買った。買ってから今日が発売日ということを知った。

首都高の非常出口を出るところから始まったこの物語は、そこを逆方向に移動することで、いちおうの結が示されている。もちろんbook4が書かれるのかどうかしらないし、いくつかのエピソードは謎のまま放置されている。とりあえず物語はひとつの円環をなしたことになる。

世界は虚構であるかもしれない。しかし虚構のなかでも、確信をいだいたり、自分なりの根拠をもったり、することができる。ストーリー構成のなかの補助要素にすぎないかもしれないが、教団のリーダーである父の死と、主人公の父の死とはばらばらに描かれているが、そうでもないようであり、それが新しい生命と対比をなすようになっている。「ハーメルンの笛吹き男」は子供たちを連れ去ったまま、物語もその結末を告げてはいない。同様に、円環をなしたようにみえて、物語の要素のいくつかは、結論も結末もないまま放置されている。むしろ、そういう放置のさせかたのために、円環はあるのかもしれないのだが。

村上春樹はこれまでの手法の逆をやっている。妻の失踪から始まる物語であったのに、今回は20年ぶりの再会である。交差しないふたつの物語であったものが、複数の独立した物語の密接な関係、である。天吾、青豆、牛河は、3者とも隠れつつ、捕物帖的にたがいに探しあうのであるが、それが物語の構造をつくってゆく。

Book1, book2の感想でも書いたように、優れた芸術は芸術そのものをテーマとするのと同様に、この小説のテーマは小説そのものであろう。天吾が書く『空気さなぎ』という物語が、現実を支配しはじめる。その虚構性/現実性をテーマとする小説なのであろう。であるから、個人的には、完結すること、あるいは完結したという形式をとることは、ふさわしくないように感じられる。すくなくとも読者としては。

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» 『1Q84 BOOK3』 [YIELD a DEEP BEAUTY.]
前作のレビューでぼくは「偶然なのか狙っているのか、文学的に統制の取れたこの作品が、そのバッハの「平均律クラヴィーア」同様に24個のユニットから成立しており、全2巻という点でも奇妙に一致しているのが興味深いですね」と、書きました。これですが、村上春樹さんが刊行...... [続きを読む]

受信: 2010.04.19 05:33

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