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2010.03.05

ヘルツォーク&ド・ムーロン《ヴィトラ・ハウス》

ル・モニトゥール誌のWEB記事によると、バーゼル市郊外に彼らが設計したオフィスがオープンした。ヴィトラの不動産部の編集者たちのためのオフィスということである。

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ヴィトラ社の住宅部門のためのオフィスであり、断面がいわゆる「イエ型」である。なんのてらいもない表象的表現ではある。悪くいえば、キッチュすれすれである。でも塀の内側には落ちない。すんでのところで。なぜだろう。

室内写真をみれば、相互観入するボリュームがおもしろい内部空間を演出していることがわかる。見下ろす/見上げる関係ができる吹き抜けの空間である。

また普通の家型とはネガ/ポジ関係といえよう。風景がイエ型に切り取られるからである。このあたりが作家性の主張であるといえようか。室内からは、ドイツの平原がこのイエ型に切り取られて見える。プラダ東京もまた、室内から見た景観が演出されるようになっている。そういう共通点はある。

現代の建築家はかつての時代よりももっと「自分ブランド」「個人ブランド」をもたなくてはならない。かつてはアール・ヌーボーも、アール・デコも、デコンも、業界公認の流行スタイルのようなもので、その共通言語のなかの差異を作家が競っていた。現代ではそのような意味の「スタイル」はない。「個人ブランド」は芸風のようなものかもしれない。作品ごとに新機軸を打ち出しつつ、それでも、ああ、あの建築家だと理解されなくてはいけない。ある建築家にとってはアプローチの形式かもしれない。コールハースが徹底的なスタディによるように。べつの建築家にとっては評論界と共有している思想が背景にあること、なのかもしれない。

ただこの「イエ型」はどうか?

ヘルツォーク&ド・ムランはこれまで構法や構造において独自の方法があって、それを表現しようとしてきた。つまり構造と表現は不可分であるような場合が多かった。しかし今回は、ボリュームの相互貫入ということのなかに工夫があるかもしれない(構造はよく知りません)。しかし表現はそれとまったく乖離したものになっている。

そういう意味ではちょっとあぶない作品なのではあろう。学生には勧められないね。

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