« Y-GSA公開シンポジウム「住宅」 | トップページ | デザインレビュー2010 »

2010.03.16

『ムンダネウム』

ル・コルビュジエとポール・オトレによる「世界都市」プロジェクトの本である。翻訳者からいただいたので、帰りの飛行機のなかで読んだ。

1920年代後半、ジュネーヴ近くに構想された世界の知の中心であり、ミュージアムや図書館が構想されていた。螺旋状のプランは、東京の西洋美術館などのプロジェクトとなって実現している。

第一次世界大戦ののち、タウトは《アルプス建築》という、戦禍から隔絶した一種のユートピアを構想した。どちらかというと遁世的なもののような印象である。いっぽう「ムンダネウム」は国際連盟に刺激をうけたのか、むしろ積極的であり、世界がもしひとつになるなら、ひとつの文化、ライブラリー、知を共有すべきであるというような構想である。

19世紀は終わった、19世紀もグローバルであったが20世紀は別の形態の、あるいは真の(ひとつ文化、精神、文明を共有するのだから)グローバル化を実現できるというように、おそらく思えたのであろう。ちなみにグローバル化とはフランス語では「モンディアリザシオン(世界化)」である。「ムンダネウム」はラテン語ではないかと思われる。

西洋の文脈ではとくに突飛なものではない。ふるくはアレクサンドリア、19世紀初頭ではブリティッシュ・ムージアム、最近ではアマゾンによる書籍デジタル化による地球政府の構想など、人類の「知」をひとつに統合するという発想はつねにあった。

アレクサンドリアは新プラトン主義の坩堝となった。この古代思想はルネサンスのフィレンツェで復活し、ハンブルグのワールブルグ研究所の蔵書となって、20世紀の哲学や芸術理論を構築することになる。

であるなら「ムンダネウム」が建設されていたら、そこではどんな思想やヴィジョンが構築されていたのであろうか?興味のコアのひとつである。

個人的な興味は、その全体プランである。開放的ではなく、区画に区切っていて、むしろ閉鎖的である。バベルの塔のような、ジグラットのようなミュージアムは、タイゲが機能主義的でないとして批判したものの、まさに機能的でないところに意味があるように思われる。

全体はひとつの庭園として構想されている。それはいくつかの「閉ざされた庭」のあつまりとして構想されている。とくにバベル塔もどきの前は、ひろい「サンクンガーデン」である。ぼくはこれが重要だと思っている。閉ざされ自律した空間である。これは中世的庭園、中世修道院の回廊、あるいはイスラム世界によく見られる中庭型の教育施設や宗教空間すら連想させる。これらの空間において、古代の英知は保存され、近世・近代に伝えられたのであったらから。

もちろんこのプロジェクトは現代的でない。デジタル化とネットワーク化で、自分の書斎がそれぞれムンダネウムである。それはこうゆうことであろう。『読んでいない本について堂々と語る方法』で指摘したとおり、イマジナリーな共有図書館だろう、ということである。そして読みかけの一冊の書籍も、この全体ライブラリーの一冊であるならば、ぼくたちはつねにイマジナリーなムンダネウムのページをもくもくと読んでいることになる。そして目の前の見開きから、全体図書館への昇華するためのイマジネーションがリテラシーというものの一部なのであろう。

|

« Y-GSA公開シンポジウム「住宅」 | トップページ | デザインレビュー2010 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/424713/33802517

この記事へのトラックバック一覧です: 『ムンダネウム』:

« Y-GSA公開シンポジウム「住宅」 | トップページ | デザインレビュー2010 »