« 内なる建築アーカイブ | トップページ | 『現代建築家99』 »

2010.02.24

磯崎新『ビルディングの終わり、アーキテクチュアの始まり』

昨日と今日、最近刊行された学術書を3冊読んだ。学会関係の仕事で、こういういいかたは不遜であるが、本職としての読書である。ハードに読んだ。なにしろ公式の書類を書かなければならないのである。

それが一段落したところで、べつに趣味の読書というのではないが、磯崎新の『ビルディングの終わり、アーキテクチュアの始まり』に目をとおしてみる。ほとんど再録なので資料としてもっているだけだが、冒頭の「〈建築〉/〈建築〉(物)/アーキテクチュア」が書き下ろしなので、そこだけ目をとおす。

「カント的退行」が目新しいキーワードである。つまり18世紀末の美学の転換、すなわち「崇高」概念ということらしい。

同時にそれはアメリカのモダニズムの特性のことでもあるようだ。グリーンバーグ、クラウスらの「批判そのものを批判的にとらえること」という、メタ批評的なことがふたたび言及されている。

もっともぼく自身も「メタ批評による建築」を連載し『言葉と建築』として出版したのだが。

コンピュータ・アルゴリズムによる建築。これをどうとらえるか。磯崎さんは、質から量へ、美から崇高へ、というシフトであるという。カント的崇高がこれから再現するかどうか。

ここでIT的な意味でのアーキテクチュア(アーキテクチャ)に戻る。

あるいはIT的アーキテクチュアが本来の意味なのである。建築側としてもすこし反省してみよう。昨今の建築は、美的対象としてひとつの輪郭をもつ建築、という側面が強調されすぎていた。そうではなく、諸技術を仕組みとして組み合わせるアルゴリズム、という本来の意味の「建築」を考えてみるのである。

いい例はどこにあるか。

たとえばウィトルウィウスの『建築十書』をIT的に読み替えてみよう。これまでの観念論的な建築理論では、ウィトルウィウスの用強美とは古代哲学の真善美に相当するとか、プラトン的イデアが背景にあるのでそれが解明できるはずが、というようなアプローチで読まれていた。美的対象としての建築がそこから算出される。

しかしウィトルウィウスを別の視点から読むことも可能だ。そもそもウィトルウィウスを全部読んだ人はほとんどいないのだし。

そこで建築十書を自分の目で読めばすぐわかることだが、実態はバラバラの技術書である。美学や哲学もそこにあるが、全体として統一感があるとはとても思えない。

ぼくの解釈するところ、肝心なことはわざと書いていない、のではないか。

ウィトルウィウスの『建築十書』。すなわち、城壁の建設法。地割のしかた。良質な石材の採掘場所。木材資源に恵まれた森の場所。神殿の比例理論。日時計。天体。住宅プラン。・・・そんなものをバラバラに学習しても人工的な空間である都市はつくれない。文明は構築できない。

古代や中世の音楽は、楽譜が不完全であったという。近代にちかづいてもなお不完全であったという。それは楽譜とはだいたいの演奏ストーリーであって、即興性の余地が演奏家にはのこされていた。逆にいえば、楽譜とは素材を適宜並べるだけであって、それらをひとつの音楽として聴衆のまえで構築するのは、演奏家があらかじめ準備した演奏イメージであり、あるいは瞬間のひらめきや感性なのかもしれない。しかし、であるなら、音楽を統一するのは、音楽を音楽たらしめるのは、そうした演奏家の演奏イメージなのではないか。それこそが音楽のアーキテクチュアであるのではないか。

つまりウィトルウィウスの『建築十書』とは、この楽譜よりもさらにレイヤーを下げた、だからより普遍的なエレメントではないか。そしてそこから建築を創るためには、書物に書かれた情報では絶対的に不足している。

つまりウィトルウィウスの『建築十書』にはアルゴリズムが決定的に欠けている。

なぜ欠落したか。書く必要がなかったからである。書かないほうがようかったからである。つまりアルゴリズムは、建築書を読む建築家の側が所有しているものだから、であったのではないか。

そういう仮説を考えることはとてもスリリングである。蒸発して、痕跡だけが残された文化というものがあってもいいからである。

現在のコンピュータ・アルゴリズムによる建築が2000年後まで残ったとしよう。しかしもし不注意で、社会制度の変化によって、そのアルゴリズムの記録が消滅してしまっていたら?技術や形態は、現物をとおして解明可能だ。しかしアルゴリズムがなくなった。そのとき2000年後の建築批評家はなにを想像するであろうか。

それはウィトルウィウスを解明しようとするぼくたちなのかもしれない。

|

« 内なる建築アーカイブ | トップページ | 『現代建築家99』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/424713/33508493

この記事へのトラックバック一覧です: 磯崎新『ビルディングの終わり、アーキテクチュアの始まり』:

« 内なる建築アーカイブ | トップページ | 『現代建築家99』 »