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2010.02.14

リーグル『現代の記念物崇拝』

名著の翻訳である。建築保存のバイブルのひとつであり、20世紀のアテネ憲章やヴェネツィア憲章の理論的支柱になった。その邦訳である。

とても難しい文献でもある。これがすらすら理解できなくとも落胆する必要がない。というか、ほとんど理解できなくて当然である。

なぜなら人物名や作品名や時代名などをふくむ固有名・具体名がまったくでてこないからである。せいぜいゴシック教会建築は・・などが最大限の具体的言及である。リーグル自身が案出したなんとか価値だの、彼固有(せいぜい彼の時代固有)の抽象概念だけが出発点だからである。したがっていくつかの概念が織りなす構図、というように理解するしかない。とりあえずは。

訳者は当分野の俊才であるようで、訳文はまことにこなれていて、「解説」も文化財行政や美術史(リーグル『美術様式論』)に目配せがされており、独立した叙述として読めるほどである。

でもこの解説を読んでも本文は理解できない。どうすれば理解できるか?

簡単である。抽象概念に、固有名がどう当てはまるか、どう対応するかを考えればよい。

リーグルが抽象概念や一般的な表現で済ましたのは、もちろかっちりした普遍的な理論を構築しようとしたいかにもドイツ語圏らしい態度をつらぬいたこととともに、やはり個人名・具体名を出さないという配慮をしたのであろう、と推測する。彼はオーストリア=ハンガリー帝国における、いわば(日本でいえば)文化庁の局長のような立場であったから、フランスや、イギリスや、イタリアにおける先行研究とその豊かな概念にあえて言及しなかったのであろう。あるいは19世紀の先行研究は激しい論争をもたらしたのであるから、その論争に後から参加することなく、それを包含しつつも、乗り越え、より普遍的な枠組みを構築しようとしたのであろう。

「解説」ではリーグル考案の諸価値の一覧表が親切に書かれているが、ぼくはさしあたり現代的価値/経年的価値という対比からはじめるのがよかろうと思う。

歴史的記念碑がもつ「現代的価値」とは、観光資産としての集客能力とかそんな皮相なものではない。これは観察者がたとえば古いも新しいも貫通してもつある芸術観をもっているときに、過去の建築であっても、今の価値があるというようなことも含まれる。あるいは古いけれど現在でもある、という判断をもつことである。すると古い建物だけれど、今の価値観で手をくわえても、そこに新旧の統一があればいい、という考え方である。これはヴィオレ=ル=デュクの修復理論である。

歴史的記念碑がもつ「経年的価値」とは、たとえば、これは7世紀前の建築だから、まさにその「7世紀前性」が意味をもつのであって、以降の修復や、現在なされるかもしれない補強工事でさえ、その価値を損ねるものだ。だから修復ではなく保存しなければならないというジョン・ラスキンの哲学である。

もちろんリーグルは19世紀的な対立をそのまま再現しようとしているのではなく、具体的な対立図式を普遍的な概念枠組みへと再編成しようとしているので、19世紀そのままを語っているのではない。

しかし読者はこのような19世紀的構図をしっかり把握できないと、リーグルを理解できないし、ということはアテネ憲章もヴェネツィア憲章もわかったつもりでわかってはいないことになってしまうのである。

そしてこの19世紀的な葛藤から、近代建築運動が生まれたのであるし、やはりそこに超越としての「建築」があったとおもわざるをえない。ぼくたちはそのような超越をいだく義務はないのであるが、やはり19世紀と20世紀の西洋建築を理解しようと思えば、それくらいは知っておいたほうがよい。

そしてそれにしても日本は、歴史/近現代(あるいは日本/西洋、伝統/近代)を切断して考えるという構図をいつまでたっても崩さないし、そのことによってわたしたちのまさに「現代」を歴史的に位置づけるという方法論をみずから放棄することになっている。もちろん優れた専門家は現代を歴史的に考察することはできるし、そうしている。しかしそれは個人的資質において可能であるのであって、学問システムはそうなっていないのである。

しいていえばリーグルはその保存論においてそうした連続性を確保しようとしたのではないか。19世紀の内部対立をアウフヘーベンして、歴史的建築を考察するより普遍的な認識フレームワークを考えてみる。歴史と現代をシームレスにつないでゆくという作業をまさに展開していたのである。

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