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2010.02.19

『マルセイユのユニテ・ダビタシオン』

ちくま学芸文庫からの新刊である。翻訳者の方からいただいた。ありがとうございます。今日は卒業設計の審査・採点・講評会で一日中いそがしかったが、あいまに全部目をとおした。卒計/ル・コルビュジエの相乗効果でとても有意義になった。講評ついでにシャルル・フーリエについてしゃべったりしたものね。

翻訳としてはたいへんこなれており、ちゃんと日本語になっているという意味で、たいへん優れたものである。ル・コルビュジエが考えたことが皮膚感覚をとおして伝わってくるほどのものとなっている。

訳文が優れているのでざっとよんでみてもわかるのだが、インテリあるいは思想家としてのル・コルビュジエはどの程度のものであったかというようなことだ。ぼく自身は、20世紀においてこのような発言をすることじたいは、凡庸であると思う(おそらく世の識者はそう考えているであろう)。思想の大部分は、フーリエ、サン=シモン(ヨーロッパの物理的・経済的現実)の引用にすぎないし、そのほかも部分も、産業資本家・キリスト教諸団体・財閥(ロスチャイルド家)などによる住宅供給という篤志家的行為、そのほかさまざまな住宅試行から学習したことであり、そんなにオリジナルとは思わない。衛生思想などもそうである。結核など時代病はあったし、そのための試みもあったが、ル・コルビュジエはむしろ暗い部分をあえて見ないで明るい側面ばかり強調している書き方である。

つまり社会糾弾的な書き方は意図的に避けている。通説ではル・コルビュジエは、社会の旧弊をあからさまに批判したポレミークな人というイメージだが、むしろ、核心的な批判はむしろ避けて、さしあたり波紋の少ない言い方と主題だけにおさめているという印象である。

もちろん19世紀からの社会再構築についてのいろいろな言説をふまえて建築をつくったという実績はある。だからぼくが思うに、彼の功績は、ともかくも1世紀以上にわたる言説を空間化したということに尽きると思う。

言説そのものは新しくも深くもない。あきらかに、どう読まれるかをねらった書き方だと思う。こういう言説を理解し受け入れるフランス社会のリテラシーはどういうものであったか、それを解明することが重要だ。

しかしそれを空間化するということは、容易ではなかった。そのことの意義は大きい。

それからフランス語の邦訳という困難さも気がついた。日本の建築用語は、学問用語のつねで、英語などからの翻訳言語が多い。もちろんさまざまである。しかし一般的に、英語は訳しやすい。日本の建築学はそもそもアングロ=サクソン的なのである。だからフランス語は訳しにくい。

たとえば「feu」を「火」と訳しているが、フランス語のなかに派生的意味として「カマド」や「戸」という意味がある。それから「foyer」も「炉」としているが、19世紀中盤の労働者住宅建設運動において家族的結合の絆となる「暖炉」が重要視されたという背景、中世の納税者台帳の分析などにおいてもfoyer=「世帯」という意味が与えられていることを考えると、別の工夫もあったと思う。「火」が住宅のコアであるという古くて新しいテーマと連動しているからである。いろいろ訳し方はあるのだろうと思う。

それからchambreは「部屋」ではなくふつうは「寝室」なのだろうと思う。それからある状況においては「個室」が適訳かもしれない。それこそ背景とル・コルビュジエの思想とに相関するのであろう。

また田園都市を「シテ・ジャルダン」とするのは英語の「ガーデン・シティ」のフランス語訳ということでいいのかもしれない。しかしフランスの特性があるとはいえフランス人たちは彼らの「シテ・ジャルダン」を英国の「ガーデン・シティ」の別の展開であるとはっきり意識しているし、フランスの田園都市と英語圏のそれを比較して集大成した研究もある。そうであるなら英仏を区別することもなく、日本独自の例もふくめ、「田園都市」でいいのではないかと個人的には考える。

ぼくなりの解釈を最後に。

ル・コルビュジエは、基本的にはフーリエ、サン=シモンなどの思想をそのまま建築化したのだと思う。それを空間化する手法として、中世修道院、汽船、地中海的風景、などが作家独自のものとして介入しているようである。最大のちがいは、フーリエやサン=シモンは当時の資本制がどちらにころぶかまだわからない状況で、まだ労働者も核家族に収れんするかどうかわからない状況で、理想社会を構想したのであった。しかしル・コルビュジエは、革命か建築かと威勢のいいことはいいながら、資本制の相対的に安定した社会のなかで作家をしていた。

彼が建築言語の探求にほとんどの努力を費やしたのは、ようするにそういうことなのである。革命外なのである(いまだからそういえるとしても)。

あるいはユニテ・ダビタシオンは19世紀的社会再構築論のあるひとつの建築的回答なのであるけれど、19世紀的・20世紀初頭的なものがすべてそこに流れ込んでいるとするのは過大評価である。別の建築的表現も可能なはずだ。建築史的には、歴史的必然のように考えるよりも、パラレルヒストリー的に、いろいろな可能性を想像するほうが生産的である。

ル・コルビュジエは意図してポレミークな立場を選んだ。戦後は主流派になったが、戦前は戦略的にアヴァンギャルドを演じた。だから保守派/前衛派という構図そのものを念頭にえがいてル・コルビュジエを解釈することが重要だ。だから彼をフランス建築の代表としたのではものごとは理解できない。フランス建築の星座のなかで、彼はどの位置につこうとしたか、あるいはル・コルビュジエ派と、彼なしで展開していた建築界、という構図をつかむことである。

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