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2010年2月の13件の記事

2010.02.28

磯崎新『Any:建築と哲学をめぐるセッション1991-2008』(カント的退行?)

00年代を磯崎さんグループがどう見ているか、参考にしようと思った。「カント回帰」「カント的退行」という括りであるらしい。

カントのいう「もの自体」つまり、人間は感覚や言語をとおして世界を把握するのだが、ものそのものを五感や言葉などを経由して認識するというのは、間接的で迂回したやりかただから、もの自体はぜったいに認識できない、ということである。この構図が現代を物語っているという一貫した視点が展開されている。

浅田/磯崎対談によると、グローバル資本や地震などの大災害はまさにもの自体であって、それが直接立ち現れる構図となっている。すると細やかにシンボルや図像表現を研究することであった表象文化論などというものはすでに時代遅れらしい。時代でいうと、ロココ文化が表象の時代であり、カント的回帰をとおして新古典主義の巨大建築が登場する。それがたとえば北京の鳥の巣なのだ、ということになる。

でもフランス革命と今のグローバル経済は同じものなのかね、という疑問もいだく。

柄谷/磯崎対談によると、カント回帰がよりはっきり説明されている。それは「世界は言語的にしか把握できない」(p.38)ということである。柄谷行人は「建築への意志」をあらためて表明しており、それは建築を指向しつつ建築を批判することであり、原理的であろうとしつつ原理主義を批判することという「一人二役」であり、それがトランセンデンタルにして横断的移動である、と述べている。彼がカントのアンチノミーに注目していたことが思い出される。理論は純粋化しようとすればむしろ破綻するという(しかし無理論でいいわけではない)所論である。

岡崎乾二郎はこの論をさらに展開し、リスボン地震を語ったカントの「霊能者の夢」でいわれているのは「地震という現実世界に起こった災害が、実は、言語的な地滑りと通底だった」ことであると的確にのべている。

これはわかりやすくいうと、天災も人災ということである。ある区で被害が多いのは、都市計画制度(言語)によって災害に弱い地区が人為的に建設されているからである。だからこの意味でも言語はすでに世界を創っているし、世界は言語化されているのである。

・・・でも、手前味噌でたいへん申し訳ないが、それこそぼくが『言葉と建築』(1997)で書いたことです。ぼく自身は時流を書こうとしたのではなく、もっと普遍的なものをめざしました。たしかに20世紀初頭の言語学の発展とか、80年代の言語論的転回もあるでしょうが、ある意味、建築辞典はルネサンス以降の伝統であり、言語にそくして建築は構想されてきたのです。その意味で言葉と建築は、たんなる現代思想的な解釈ではないのです。

もちろんぼくは哲学や現代思想に関連づけてさらなる展開をめざすには時間も能力も不足していたし、似たテーマで書くとすればヨーロッパ語を母国語とするフォーティには量的にはおよびません。ただぼくは、ドリーマーあつかいされるでしょうが、ほんとうにウィトルウィウスやアルベルティらを意識して、彼らと競合しているつもりです。言語は時空をこえます。そういうことは不可能ではありません。ただそういう発想は、目下の問題に取り組んでいる建築界からは浮いてしまうのはいたしかたありません。

磯崎さんはさすがで、『漢字と建築』を書いたように、「言葉と建築」からの展開をすることができた例外的な人でした。フォーティの翻訳者たちが及ばない点ですね。

ただ建築史家としてどうか?と反省するところも大である。誰もが知っているように、時代が大きく変わりつつあるのは事実である。そして歴史家の存在意義があるとしたら、その歴史観においてである。しかるに自分の歴史観において現代を語る建築史家はいない。藤森先生は面白いが、あまりに大風呂敷である。作家の松山巌のように、昔の建物を擁護することだけが建築史家の使命であると勝手に思い込んでいる人もいる。現代を語らない・語れないのが建築史家だというなら、困ったことである。

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2010.02.27

『現代建築家99』

という書籍をいただいた。ありがとうございます。

と思ったら、ぼくも執筆者のひとりであった。オルタ、ヴァン・ド・ヴェルド、ギマール、アール・ヌーボーについて書いてある。が、いつ書いたかも忘れたし、書いたことそのものを失念していた。ひょっとしたら20世紀の執筆かもしれない。

執筆者は40人ほどで、いわゆる現代建築家99人についててわけして書いている。こうい企画はもっとも遅筆なひとのペースに支配される。編集者は心労により胃に穴が開いたかもしれない。ご苦労様です。

名のとおった執筆者が書いているので、内容は充実している。

ところが書かせてもらっておいて傲慢だが、あまり面白くないのだな。そこで考える。なぜ面白くないかではない。本質的にはいい本なのだ。なぜぼくは面白く感じないかという自己分析である。

ひとつはWEB文化なので、データベース的な文献は、実用的な見地からはもう魅力的でないということである。

すると肝心なのは、東西の建築家たちのなかから99人選ぶとして、その「セレクションの妙」というものがあるかどうか、である。さらにそのセレクションにしても、まず枠組み、その枠組みで選んだ結果、という2点から検討してみてもいい。

じつをいうと「選択の基準」がはっきりしていない。個性がはっきりした輪郭のある、といった基準があるようだが、それがはっきりしていない。だから選ばれた99人にしても、なるほど、とうなることもないのである。

こういうのはシャレや冗談などを迂回してやると面白い。

生涯でもっとも多作であった作家チャート(19世紀だとGGスコットは900作品ものしたらしい)。生涯総延べ床面積でのランキング・トップ30とか。有名な箴言を多くのこした建築家トップ30。建築書を書き残した建築家トップ20。まったく建築書や解説をのこさなかった建築家ベスト10。酒癖の悪い建築家ワースト10。赤派/白派ではないが、建築家がよく使う好きな色によって、建築家を分類してみる。黒い服が好きな建築家は黒派といえるかどうか(ヨーロッパでそういう本が出版されたらしい)。

そうそう。現代を語るなら組織設計事務所にきにしてはいけないが、本書ではあくまで個人である。

ぼくは建築史をやっているので、その興味でいうと、この本の背景にはどうもはっきりした歴史観はなさそうだ、ということはいえる。

では歴史観のある建築家トップ××としてはどんなものが考えられるか?

たとえば「人類建築史上の偉大建築家トップ20」。

だれが考えてもそんなに変わらないと思う。ウィトルウィウス、パラディオ、ル・コルビュジエ、シナン、・・・。でも「建築」そのものの輪郭が見えてくるという効用はある。

でもそのなかに日本人をひとりいれるとしたら、じつは重源ではないか?なんて考えるのも楽しい。近現代に比重をおくとしたら丹下健三かな。でも日本史のなかからひとりというなら重源か利休であったりという視点もあったりして。

で、重源/丹下あたりでその選定をめぐって国内を二分する論争があって、その結果、有名なA教授とB教授が喧嘩したり、建築学会は分裂したり、あるいは建築学会と建築史学会のあいだには遺恨が残って口もきかなくなったり。日本建築における守旧派が立ち上がったり。はたまた磯崎さんや伊東さんを推す一部のコアな勢力がとんでもなく高尚な哲学的言説を展開したり、ポリティカルな理由でいや民家こそ本質だなどと主張する外国勢力が内政干渉をおこなったり、議論そのものが下らないからみんな壊してしまえなどという坂口安吾みたいな人があらわれたり、その結果、日本建築はなにかという統一的概念は修復不可能なまでに分裂したり。国内でらちがあかないので、海外の第三者機関に調停してもらおうとしたが候補のル・コルビュジエ財団とMITのあいだでまたヘゲモニー争いがおこったり・・・。

なんてことのほうが楽しいかも。

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2010.02.24

磯崎新『ビルディングの終わり、アーキテクチュアの始まり』

昨日と今日、最近刊行された学術書を3冊読んだ。学会関係の仕事で、こういういいかたは不遜であるが、本職としての読書である。ハードに読んだ。なにしろ公式の書類を書かなければならないのである。

それが一段落したところで、べつに趣味の読書というのではないが、磯崎新の『ビルディングの終わり、アーキテクチュアの始まり』に目をとおしてみる。ほとんど再録なので資料としてもっているだけだが、冒頭の「〈建築〉/〈建築〉(物)/アーキテクチュア」が書き下ろしなので、そこだけ目をとおす。

「カント的退行」が目新しいキーワードである。つまり18世紀末の美学の転換、すなわち「崇高」概念ということらしい。

同時にそれはアメリカのモダニズムの特性のことでもあるようだ。グリーンバーグ、クラウスらの「批判そのものを批判的にとらえること」という、メタ批評的なことがふたたび言及されている。

もっともぼく自身も「メタ批評による建築」を連載し『言葉と建築』として出版したのだが。

コンピュータ・アルゴリズムによる建築。これをどうとらえるか。磯崎さんは、質から量へ、美から崇高へ、というシフトであるという。カント的崇高がこれから再現するかどうか。

ここでIT的な意味でのアーキテクチュア(アーキテクチャ)に戻る。

あるいはIT的アーキテクチュアが本来の意味なのである。建築側としてもすこし反省してみよう。昨今の建築は、美的対象としてひとつの輪郭をもつ建築、という側面が強調されすぎていた。そうではなく、諸技術を仕組みとして組み合わせるアルゴリズム、という本来の意味の「建築」を考えてみるのである。

いい例はどこにあるか。

たとえばウィトルウィウスの『建築十書』をIT的に読み替えてみよう。これまでの観念論的な建築理論では、ウィトルウィウスの用強美とは古代哲学の真善美に相当するとか、プラトン的イデアが背景にあるのでそれが解明できるはずが、というようなアプローチで読まれていた。美的対象としての建築がそこから算出される。

しかしウィトルウィウスを別の視点から読むことも可能だ。そもそもウィトルウィウスを全部読んだ人はほとんどいないのだし。

そこで建築十書を自分の目で読めばすぐわかることだが、実態はバラバラの技術書である。美学や哲学もそこにあるが、全体として統一感があるとはとても思えない。

ぼくの解釈するところ、肝心なことはわざと書いていない、のではないか。

ウィトルウィウスの『建築十書』。すなわち、城壁の建設法。地割のしかた。良質な石材の採掘場所。木材資源に恵まれた森の場所。神殿の比例理論。日時計。天体。住宅プラン。・・・そんなものをバラバラに学習しても人工的な空間である都市はつくれない。文明は構築できない。

古代や中世の音楽は、楽譜が不完全であったという。近代にちかづいてもなお不完全であったという。それは楽譜とはだいたいの演奏ストーリーであって、即興性の余地が演奏家にはのこされていた。逆にいえば、楽譜とは素材を適宜並べるだけであって、それらをひとつの音楽として聴衆のまえで構築するのは、演奏家があらかじめ準備した演奏イメージであり、あるいは瞬間のひらめきや感性なのかもしれない。しかし、であるなら、音楽を統一するのは、音楽を音楽たらしめるのは、そうした演奏家の演奏イメージなのではないか。それこそが音楽のアーキテクチュアであるのではないか。

つまりウィトルウィウスの『建築十書』とは、この楽譜よりもさらにレイヤーを下げた、だからより普遍的なエレメントではないか。そしてそこから建築を創るためには、書物に書かれた情報では絶対的に不足している。

つまりウィトルウィウスの『建築十書』にはアルゴリズムが決定的に欠けている。

なぜ欠落したか。書く必要がなかったからである。書かないほうがようかったからである。つまりアルゴリズムは、建築書を読む建築家の側が所有しているものだから、であったのではないか。

そういう仮説を考えることはとてもスリリングである。蒸発して、痕跡だけが残された文化というものがあってもいいからである。

現在のコンピュータ・アルゴリズムによる建築が2000年後まで残ったとしよう。しかしもし不注意で、社会制度の変化によって、そのアルゴリズムの記録が消滅してしまっていたら?技術や形態は、現物をとおして解明可能だ。しかしアルゴリズムがなくなった。そのとき2000年後の建築批評家はなにを想像するであろうか。

それはウィトルウィウスを解明しようとするぼくたちなのかもしれない。

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2010.02.22

内なる建築アーカイブ

連想ゲームというのはほんとうにいいものである。

バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』の感想を書いていたら、「見ていない建築について堂々と語る方法」はないものかと考えるし(これは永遠のテーマだものね)、そして「内なる建築アーカイブ」を構想するようになる。

もちろん日本では現実の「建築アーカイブ」はきわめて貧弱である。潜在的には各所に文献やら図面やらが散在していて、ポテンシャルはあるのであろうが、それをひとつのアーカイブにしようということにはならない。伝統的にそうなのである。

それはそれとして「共有図書館」の概念をとことん拡大したら、およそ人類が書いてきたすべての書籍そのものをいう。書籍総体がもし一冊の本である(メタ書籍である)としたら、ぼくたちはどの文献のどのページを開いても、そのメタ書籍のどこかを読んでいることになる。

これは生命観でいえば、ぼくたちは一人で生き、ひとりで死ぬ孤立した生命かもしれない。しかし同時に生命一般のなかのひとつであり、自分の生はだれかに引き継がれる、という考え方とよくにている。

西洋語でいえば「部分冠詞」であらわされるものの存在である。

宇宙のなかの水(H2O)はひとつ、というか、いろんな場所に偏在していても、やはり概念の上ではひとつながりの水であって、自分がもっているコップのなかの水は、そのなかの一部である。大海/一滴。その上位に「水」がある。

同じようなことが建築だとどうなるかを考える。

人類が創ってきたありとあらゆる建物総体が、一種の建築アーカイブであり、いや建築そのもの、共有建築アーカイブとすれば、目の前の一個の建物は、総体としての建築の一部であり、それは「部分冠詞」がつけられるべきものとなる。もちろん現行の言語上では、不可算名詞としてのarchitectureはあっても、部分冠詞のそれはない。あるのは可算名詞としての用例はある。ただ可能性としては部分冠詞つきの「建築」があってもいい。

ヴィクトール・ユゴーが『ノートル・ダム・ド・パリ』を書いたとき、彼にとってのゴシック建築はひょっとしたら「共有図書館」のなかの一冊であったのではないか。ということは彼は内なる建築アーカイブをもち、面前の建物はそのなかの一部として認識していたのではないか。

この総体としての建築には、存在するものも、存在しないもの(壊されたもの)も含まれるであろう。それから人間が意識したものも、意識しないものもあろう。後者は、まだ建設されても構想されてもいないが、これから構想するもの、でもある。

おそらく、すくなくとも理論的には、こうした総体としての建築、というものがあれば、現代建築といわゆる歴史的建築がまったく相容れないということもなくなるであろう。

「建築とはなにか?」という問いへのミニマリズム的回答(初源の小屋などといった)には限界があることをみんな知っているし、これは過去の概念である。可能な限り最少の概念による定義が破綻した以上は、最大限の可能性を追求すべきであろう。そうすると事態は、逆説的に、とてもシンプルになるかもしれない。

データベース的、動物的と揶揄されるのがいやならそういう道もあるかもしれない。

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2010.02.21

内田樹『日本辺境論』と「遅れ」

学生がけっこう読んでいるというので、目を通してみた。

なんでも彼は市場原理に反対している教育者であるという。学生が読むのもおそらくそういう背景があるのであろう。

ぼくも教育者として他大学の動向がときどき気になる。市場原理には従わないことをポリシーとして表明している大学もある。それさえ市場原理ではないかといわれればそれまでだが、お上が成果主義・市場原理を打ち出しているなかで、考えさせられる。

『日本辺境論』の前半は、著者もことわっているとおり、ありきたりである。大陸的「構築」と日本的「なしくずし」という、梅棹忠夫や丸山眞男から引用した日本文化論である。その開き直り的な再確認である。とはいえanyシリーズにおける日本的脱構築やサブカルの位置づけも同じようなことで、なるどほ著者のいうとおりおなじ構造の日本文化論を無限に繰り返すことこそ日本の構造なのである。

大陸と島。戦後は、アメリカと日本。という構築と反構築。しかしそれはそれとして、一部で指摘されているように、アメリカの都合で対米追従政策そのものがが終わってしまうと、辺境と居直ることもできなくなって、どうするのであろう?

それはともかく『日本辺境論』の要点は、空間軸を時間軸に変換したことである。

つまり中心/辺境という空間表象ではなく、先験的/遅れという時間表象に変換することで、別の論じ方を提供している。日本という地理的に辺境にある国家が、大陸の中央部にある大文明を学習するという地理軸をなくし、その後進国が先進国の文明を「学ぶ」ということを、すでにある知識の事後的な学習、といった時間の問題としてとらえなおしている。そのうえで身体論、武道論、レヴィナス論、レヴィ=ストロースのブリコラージュ論といった専門を展開していることである。さらにはカントの先験性の概念にまでふれている。なかなか参考になる。

なぜかというと『建築と時間』でも「遅れ」こそが建築的なものだと書いたが、じつは『辺境論』で書かれている「遅れ」に近いのである。もちろんぼくは建築やプロジェクトの成り立ちとして「遅れ」がキー概念であると指摘しただけであって、人間や社会のあり方まで言及するつもりはない。しかしとても参考になった。

ちなみに当ブログの「リハビリ建築」という概念もじつは「『遅れ』を取り戻す」という意味があるんですけどね。こちらはもっと平板な意味ですが。

内田樹は「学び」は「すでに知っていることを学ぶ」ことであるといったり、レヴィ=ストロースのブリコラージュ論に言及して、ジャングルのなかのがらくたを拾い集める原住民は、がらかたの使用価値を説明できなくとも、それらの可能な・潜在的な使用価値はすでに知っているのだ、というようなことを指摘している。

ぼくなりに建築変換をすれば、ぼくたちのなかには「内なる建築」「すでに知っている建築」がじつはあって、それが未来の建築である、ということになる。あるいはそういう「内なる建築」がある人間と、そうでない人間の2種類がいるのであろう。

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2010.02.20

『読んでいない本について堂々と語る方法』

ピエール・バイヤールという人が書いた本。世界中で読まれているそうだ。これも勧められたので読んだ。おもしろかった。

シニカルな冷やかし本ではなくとても真摯な内容であった。テキスト論や主体論といったフランス現代思想もそこはかとなく導入されているようである。

「共有図書館」「ヴァーチャル図書館」といった表現があるように、本は一冊一冊よりもその総体・体系が重要である。つまり本の内部ではなく、外部が重要だというもっともな指摘からはじまる。

エーコの『薔薇の名前』が題材になっていた。ぼくはこれを読んでいないが、映画で見たのでよくわかった。中世の修道院で怪死事件がつづいた。修道院の図書館にあるアリストテレス『詩学』など古代文学を読もうとした人びとが、ページに塗りつけられた毒のおかげで死んでいったのであった。これは笑いを罪悪とかんがえた図書館書司のようなひとが仕組んだことであったが、主人公はその殺人をあばいてゆく。ふたりは古代の「笑い」をめぐって論争するが、バイヤールの指摘によれば、ふたりともじつはアリストテレス『詩学』などを読んだつもりでいてほとんど読んでいない。しかし彼らはその読書体験にもとづいて、論争し、古代文学/キリスト教倫理の対立を代表し、殺人事件の大捕物を展開し・・・というように物語はつづく。

つまりアリストテレス『詩学』の「非読」がコアとなって、『薔薇の名前』ができている。さらにバイヤールはその『薔薇の名前』をコアにして、自著を非読のすすめとする、という入れ子構造である。

とはいえバイヤール自身は『薔薇の名前』をよく読んでいると思われ、非読・非読といいながらちゃんとよんでいるね、という安心感を与えている。

このようにバイヤールは非読サンプルとして、『薔薇の名前』『エセー』『第三の男』『ハムレット』『吾輩は猫である』『ひなぎく』などをつぎつぎと紹介しており、なるほど、彼のおかげで読者はこれらの本を非読にして理解したつもりになれるのであった。

教訓をふたつ。

(1)共有図書館のなかの本は、部分冠詞のようなもの。

つまり本は、目の前の一冊一冊の本でもある。しかし古今東西のあらゆる本が集合したその総体でもある。目の前の一冊は、その総体のある一部であり、部分冠詞がつけられ得べきようなものである。

本の総体を読むには人生はあまりに短いので、ちゃんと読むごく一部と、非読の読をする99.999%を関連づけて、この本の総体、すなわち共有図書館の利用者となることが肝要である。これがバイヤールの主張である。

(2)「見ていない建築について堂々と語る方法」もあるのであろう。

たとえば「伊東豊雄さんがアジアの××市に大規模な透明建築をたてたんだって、なんでも外観が断面として表現されているらしい」という断片的な説明で、ほぼすべて理解できたつもりにならないかい?関係者ならせんだいメディアテーク、サーパンタインなどをつぎつぎに連想するであろう。ぼくたちはヴァーチャルな建築アーカイブを共有しているからである。

さらにこのヴァーチャルな建築アーカイブでは、伊東さん→透明→パサージュ→ベンヤミン→フーリエ→ル・コルビュジエ→マルセイユ→プイヨン→・・・といった自由連想も可能だ。アーカイブのなかの連想=ネットワークには無限の可能性がある。

そしてこれは建築関係者にとって不可欠の能力である。なぜならぼくたちは、たとえば学生が描いた未完結のプロジェクトについてじつに高尚なことを語ることができてしまう。目前の架空のプロジェクトも、わたしたちの「内なる建築アーカイブ」を刺激し、そこからつぎつぎに連想をもたらすものなのである。

であるなら「内なる建築アーカイブ」こそが建築であり、「建築」という超越であり、「建築」そのものなのである。これは20世紀初頭の近代運動における一種の建築イデア論とはまったくちがう位相にあるものであろう。

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2010.02.19

『マルセイユのユニテ・ダビタシオン』

ちくま学芸文庫からの新刊である。翻訳者の方からいただいた。ありがとうございます。今日は卒業設計の審査・採点・講評会で一日中いそがしかったが、あいまに全部目をとおした。卒計/ル・コルビュジエの相乗効果でとても有意義になった。講評ついでにシャルル・フーリエについてしゃべったりしたものね。

翻訳としてはたいへんこなれており、ちゃんと日本語になっているという意味で、たいへん優れたものである。ル・コルビュジエが考えたことが皮膚感覚をとおして伝わってくるほどのものとなっている。

訳文が優れているのでざっとよんでみてもわかるのだが、インテリあるいは思想家としてのル・コルビュジエはどの程度のものであったかというようなことだ。ぼく自身は、20世紀においてこのような発言をすることじたいは、凡庸であると思う(おそらく世の識者はそう考えているであろう)。思想の大部分は、フーリエ、サン=シモン(ヨーロッパの物理的・経済的現実)の引用にすぎないし、そのほかも部分も、産業資本家・キリスト教諸団体・財閥(ロスチャイルド家)などによる住宅供給という篤志家的行為、そのほかさまざまな住宅試行から学習したことであり、そんなにオリジナルとは思わない。衛生思想などもそうである。結核など時代病はあったし、そのための試みもあったが、ル・コルビュジエはむしろ暗い部分をあえて見ないで明るい側面ばかり強調している書き方である。

つまり社会糾弾的な書き方は意図的に避けている。通説ではル・コルビュジエは、社会の旧弊をあからさまに批判したポレミークな人というイメージだが、むしろ、核心的な批判はむしろ避けて、さしあたり波紋の少ない言い方と主題だけにおさめているという印象である。

もちろん19世紀からの社会再構築についてのいろいろな言説をふまえて建築をつくったという実績はある。だからぼくが思うに、彼の功績は、ともかくも1世紀以上にわたる言説を空間化したということに尽きると思う。

言説そのものは新しくも深くもない。あきらかに、どう読まれるかをねらった書き方だと思う。こういう言説を理解し受け入れるフランス社会のリテラシーはどういうものであったか、それを解明することが重要だ。

しかしそれを空間化するということは、容易ではなかった。そのことの意義は大きい。

それからフランス語の邦訳という困難さも気がついた。日本の建築用語は、学問用語のつねで、英語などからの翻訳言語が多い。もちろんさまざまである。しかし一般的に、英語は訳しやすい。日本の建築学はそもそもアングロ=サクソン的なのである。だからフランス語は訳しにくい。

たとえば「feu」を「火」と訳しているが、フランス語のなかに派生的意味として「カマド」や「戸」という意味がある。それから「foyer」も「炉」としているが、19世紀中盤の労働者住宅建設運動において家族的結合の絆となる「暖炉」が重要視されたという背景、中世の納税者台帳の分析などにおいてもfoyer=「世帯」という意味が与えられていることを考えると、別の工夫もあったと思う。「火」が住宅のコアであるという古くて新しいテーマと連動しているからである。いろいろ訳し方はあるのだろうと思う。

それからchambreは「部屋」ではなくふつうは「寝室」なのだろうと思う。それからある状況においては「個室」が適訳かもしれない。それこそ背景とル・コルビュジエの思想とに相関するのであろう。

また田園都市を「シテ・ジャルダン」とするのは英語の「ガーデン・シティ」のフランス語訳ということでいいのかもしれない。しかしフランスの特性があるとはいえフランス人たちは彼らの「シテ・ジャルダン」を英国の「ガーデン・シティ」の別の展開であるとはっきり意識しているし、フランスの田園都市と英語圏のそれを比較して集大成した研究もある。そうであるなら英仏を区別することもなく、日本独自の例もふくめ、「田園都市」でいいのではないかと個人的には考える。

ぼくなりの解釈を最後に。

ル・コルビュジエは、基本的にはフーリエ、サン=シモンなどの思想をそのまま建築化したのだと思う。それを空間化する手法として、中世修道院、汽船、地中海的風景、などが作家独自のものとして介入しているようである。最大のちがいは、フーリエやサン=シモンは当時の資本制がどちらにころぶかまだわからない状況で、まだ労働者も核家族に収れんするかどうかわからない状況で、理想社会を構想したのであった。しかしル・コルビュジエは、革命か建築かと威勢のいいことはいいながら、資本制の相対的に安定した社会のなかで作家をしていた。

彼が建築言語の探求にほとんどの努力を費やしたのは、ようするにそういうことなのである。革命外なのである(いまだからそういえるとしても)。

あるいはユニテ・ダビタシオンは19世紀的社会再構築論のあるひとつの建築的回答なのであるけれど、19世紀的・20世紀初頭的なものがすべてそこに流れ込んでいるとするのは過大評価である。別の建築的表現も可能なはずだ。建築史的には、歴史的必然のように考えるよりも、パラレルヒストリー的に、いろいろな可能性を想像するほうが生産的である。

ル・コルビュジエは意図してポレミークな立場を選んだ。戦後は主流派になったが、戦前は戦略的にアヴァンギャルドを演じた。だから保守派/前衛派という構図そのものを念頭にえがいてル・コルビュジエを解釈することが重要だ。だから彼をフランス建築の代表としたのではものごとは理解できない。フランス建築の星座のなかで、彼はどの位置につこうとしたか、あるいはル・コルビュジエ派と、彼なしで展開していた建築界、という構図をつかむことである。

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2010.02.18

伊東豊雄『20XXの建築原理へ』(木という「反モデル」)

伊東豊雄さんについて書いてやる。

といっても建築情熱がふつふつ、というストレートなものではありません。

おとつい、きのうと8つの会議をはしごしたのである。そうすると人間そのものが特定の方向に引っ張られ、不自然な姿勢のまま固まってしまい、ほうっておくと、デスクワークの果てにメタボになったりヘルニアになったりの、たいへん困ったことになる。だからクリエイティブな建築家のパワーを注入させていただくのである。

これは建築リハビリといより建築ストレッチというべきか。

この書はプロジェクトの同時進行レポートにようなものである。

ともかく都内のある敷地に、伊東さんが「一本の大きく枝を広げた木のような建築」を構想するのである。藤本壮介さん、平田晃久さん、佐藤淳さんらがさまざまな構想を展開する。超プロフェッショナルによる超高度ワークショップといった感じなのだ。

面白いのは木の専門家?の専門的知識が注入されて、発想が広がってゆく点である。巨樹は森ではなく都市に多い、不自然な自然、樹木は表面は生きているがコアは死んでいる、変化することが樹木の本質(建築は変化しない)、植物は徹底的に利己的でありコミュニティはない、秩序という概念もない、・・・・などなど刺激的な概念がつぎつぎに紹介される。それらが建築家たちをインスパイアしてゆく。

ぼくがここで思い出すのは「風のような」「森のような」「海中の藻のような」という、伊東さんのアプローチである。

こうした喩えは、詩人がいだく心象風景ではなく、きわめて方法論化されたものであり、それは諸矛盾の統一のための「まとめ」テクニックのようなものだと思っていた。

しかしそれ以上のものであったようだ。

つまりル・コルビュジエの「住宅は住むための機械」や「ドミノ」を思いだそう。そこでは機械や自動車は建築にとって「モデル」である。その構図のなかではモデルである機械や自動車は、部品からなる、パフォーマンス一定、機能的に設計されている、大量生産可能といった、フレキシブルであることはあっても、つねにはっきりした指標により説明されうる。だから「モデル」である。そしてモデルから演繹してこのような建物ができました、というロジックを組み立てること。これが20世紀的な「建築」であった。これはフラクタルや複雑系の建築においても妥当する。明確なモデルを否定しているようで、複雑系はやはりモデルなのである。

しかし伊東さんの20XX年建築において、モデルであるかのような「木」は、常識を覆す、あるいは素人の知らない、日常的了解とはことなった、意味が与えられ、たえず定型化されたイメージからの逸脱がなされる、そんなものである。専門家の専門的学知はつねに常識を反省させ、新しい認識をもたらすように導入される。そこでは「木」は安定した共有されるイメージではけっしてなく、むしろ、斬新な新しいアイディアがつぎからつぎへと登場する「玄関」あるいは「ステージ」のようなものとして機能している。

つまり伊東さんにとって「木」は「モデル」として作用しておらず、いわば「反モデル」なのである。そして「反モデル」を設計のコアにすえることが、しかしそれでも合理から非合理にゆくのではなくあくまで広い意味での合理性を尊重する、20世紀にはなかった、21世紀の可能性なのかもしれない。

「反モデル」とはなにか。それは「建築」を「木」に近づけるということではない、ということであろう。「建築」というある点がある。「木」という点がある。両者を動かして近づけたりするのではない。どちらもたえず変容し移動するのである。そうであれば、両者の関係どうこうではなく、第三の点を構想して、意味のある三角形を構想すること、なのかな。たとえばそんなふうに説明できるかもしれない。

さてこういうモデル/反モデルという対比は、とても発展可能なものである。ぼくはそれを下敷きにして建築論を書いてみるかもしれませんね。

ということで『20XX』を読んで、ぼくはそんな建築ストレッチをしてみました。おかげさまでこりがとれて、とてもリラックスできました。感謝です。

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2010.02.16

藤森照信『21世紀建築魂』

・・・なんて本も読んでみた。ぱらぱら。ふむふむ。

あいかわらずの藤森節である。赤派/白派。完全なる抽象へとむかう漸近線。生命的なものから数学的なものへ。というような歴史観が披露されている。

これらの二元論はもちろん近代芸術などにおける具象/抽象、伝統/近代などといった二元論を下敷きにしているとはいえ、そんな構図性そのものはもはや意味がない。

赤派/白派などはむしろ藤森式「まな板」なのであって、それそのものは無骨な木の板であっても、料理する腕によってよい料理ができてゆくのである。

アトリエ・ワンとの対談で、いよいよ藤森さんは塚本さんたちを今和次郎の後継者として認定したのであるが、これは外野からみると既定路線。ただ当事者どおしが対話したことの事実性はある。若手のなかでは、塚本さんだけが藤森さんをかわいがって話しているといった感じである。どちらがどちらを包容しているかに注目して読むと面白い。塚本さんはすごい人である。

五十嵐淳、岡哲輔、三分一博志さんたちのように、いわゆる日本建築家山脈とは無関係にキャリアをはじめた建築家たちとの対談は貴重であると思う。かれらのアプローチを安易に流派におしこめてはいけない。

最後に収録されている伊東豊雄×山本理顕×藤森照信の鼎談は、なんというか、おたがいに技をとことん理解し合っている者どおしのプロレス的議論なので、なんというか、技は見事に決まってゆく。

伊東さんの論も、山本さんの論も面白いが、彼らの建築論はまた別のブログで書きたい。

面白いと思ったのは、若手との対応のしかたがそれぞれ微妙に違うことである。

伊東豊雄さんは若手をライバルだと思っている。発想の大胆さや、どんどんコンセプトを変えてゆく積極性があり、だから若手を批評するときもけっこう辛辣である。やさしい表現ではあるが、「秩序化の論理がない」なんていう評は、建築になってないのではないかい、といっているのと同じで、ぞっとするほど厳しい。でも合同卒計発表会などでは学生をいかに伸ばすかを考えるよい先生である。

山本理顕さんは、論理をかっちり構築してしゃべるので、あたかも、君もぼくとおなじ意見なはずだ、というようなことをはじめから自明視しているような感じ(もちろん異なる意見は認めるが)。若手とは同年代の同士としてつきあっているような感じ。でも根本的に思想が違うことがわかると鉄槌がおろされそうなちょっと怖い感じもする(でも優しい人であることをぼくは知っている)。

藤森照信さんは、好々爺のようにしゃべっているようで、話しが最初から地球を何周もしていて、若手はそれを地上から見上げている感じ。でも藤森さんの枠組みのなかで若手はかならず自分の居場所を見つけられるので。包容力万点である。

巨匠といってもそれぞれ偉さの中身が違うようである。

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2010.02.15

岡田暁生『音楽の聴き方』中公新書2009

評判の本である。ぜひ読めと勧められたので、日曜の夜、ざっと目をとおした。

音楽というジャンルは、ヘーゲルが究極芸術であると位置づけたこともあって、芸術中の芸術であるとされている。なにしろ空気の振動だけを素材とする。物質に依拠しないだけ、よりピュアでありより純粋なのである。物質を使いまくる建築はずっとそのことに劣等感をもっていたのであった。

『西洋音楽史』も出版されてすぐのころに読んでいた。譜面の歴史を語りながら、西洋音楽は演奏され鑑賞されるものである以上に、すぐれて譜面に書かれるエクリチュールとしての音楽である。その意味では音楽は一種の建築なのである、というようなスタンスで、建築シンパとしてはありがたいなあ、なんて思っていた。

「書き方」としてのつぎは「聴き方」である。こういう組み立てもとても建築的である。

『音楽の聴き方』も、ある意味できわめてオーソドックスで教養主義的な文献である。神童モーツァルトがパリで公演したときも、ここで拍手、ここでうける、といった約束事の世界であった。また音楽の感動を言葉であらわすことも、とても推奨されるべきことだ、ということも強調されている。

これにたいして音楽の感動は言葉ではあらわせないというロマン主義の音楽や、音楽を解体してサウンドに還元するジョン・ケージのようなモダン音楽は、はたまたシェーンベルクとそれを考察したアドルノの音楽論などは、この書のなかでは、いちおう認められているが、さほど支持されていない。とはいえ筆者は、基本的には音楽文化圏のそとの、自然界の音の豊かさは積極的に認めており、たんなる保守派ではない。つまりロマン主義も、モダンも、サウンドへの還元も経由したのちに、クラシック音楽をふたたび認めようということである。

このあたりはとても共感がわく。ぼくも古典主義建築をやっていて、古典の古典たるゆえんがわからないと近代建築もわからないと思っているし、辛気くさいと思われている保存思想を理解しないとモダンもわからないとつねづね主張している(が、ほとんど理解されない)。

どちらを好むかは自由であるが、ものごとの成り立ちの空間は知って損はない。

あと参考になった点。

(1)空襲下の危機的な状況下に、ドイツ人たちがベートーベンを聴きながら精神的な共同体を構築しえた逸話。これは感動と病理が表裏一体であるというような論調で書かれている。そうなのである。近代とは世俗化であり、そこにおける芸術は一種の代替宗教なのである。これは建築においてもそういえそうだ。

(2)生田久美子『「わざ」から知る』を引用して、音楽体験におけて身体性が重要であることを指摘している点。建築言語ではこれが忘れられている。ぼくも勉強しなければならない点である。

などなどである。

全体として、音楽体験を言語化することは意味があるのだ、という論旨で一貫している。そうなのである。ぼくが『言葉と建築』でいったとおりでしょ。

とはいえぼく自身は、音楽の「聴き方」のまえに、そもそも聴いてみたら、といわれる次元なのであるが。

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2010.02.14

リーグル『現代の記念物崇拝』

名著の翻訳である。建築保存のバイブルのひとつであり、20世紀のアテネ憲章やヴェネツィア憲章の理論的支柱になった。その邦訳である。

とても難しい文献でもある。これがすらすら理解できなくとも落胆する必要がない。というか、ほとんど理解できなくて当然である。

なぜなら人物名や作品名や時代名などをふくむ固有名・具体名がまったくでてこないからである。せいぜいゴシック教会建築は・・などが最大限の具体的言及である。リーグル自身が案出したなんとか価値だの、彼固有(せいぜい彼の時代固有)の抽象概念だけが出発点だからである。したがっていくつかの概念が織りなす構図、というように理解するしかない。とりあえずは。

訳者は当分野の俊才であるようで、訳文はまことにこなれていて、「解説」も文化財行政や美術史(リーグル『美術様式論』)に目配せがされており、独立した叙述として読めるほどである。

でもこの解説を読んでも本文は理解できない。どうすれば理解できるか?

簡単である。抽象概念に、固有名がどう当てはまるか、どう対応するかを考えればよい。

リーグルが抽象概念や一般的な表現で済ましたのは、もちろかっちりした普遍的な理論を構築しようとしたいかにもドイツ語圏らしい態度をつらぬいたこととともに、やはり個人名・具体名を出さないという配慮をしたのであろう、と推測する。彼はオーストリア=ハンガリー帝国における、いわば(日本でいえば)文化庁の局長のような立場であったから、フランスや、イギリスや、イタリアにおける先行研究とその豊かな概念にあえて言及しなかったのであろう。あるいは19世紀の先行研究は激しい論争をもたらしたのであるから、その論争に後から参加することなく、それを包含しつつも、乗り越え、より普遍的な枠組みを構築しようとしたのであろう。

「解説」ではリーグル考案の諸価値の一覧表が親切に書かれているが、ぼくはさしあたり現代的価値/経年的価値という対比からはじめるのがよかろうと思う。

歴史的記念碑がもつ「現代的価値」とは、観光資産としての集客能力とかそんな皮相なものではない。これは観察者がたとえば古いも新しいも貫通してもつある芸術観をもっているときに、過去の建築であっても、今の価値があるというようなことも含まれる。あるいは古いけれど現在でもある、という判断をもつことである。すると古い建物だけれど、今の価値観で手をくわえても、そこに新旧の統一があればいい、という考え方である。これはヴィオレ=ル=デュクの修復理論である。

歴史的記念碑がもつ「経年的価値」とは、たとえば、これは7世紀前の建築だから、まさにその「7世紀前性」が意味をもつのであって、以降の修復や、現在なされるかもしれない補強工事でさえ、その価値を損ねるものだ。だから修復ではなく保存しなければならないというジョン・ラスキンの哲学である。

もちろんリーグルは19世紀的な対立をそのまま再現しようとしているのではなく、具体的な対立図式を普遍的な概念枠組みへと再編成しようとしているので、19世紀そのままを語っているのではない。

しかし読者はこのような19世紀的構図をしっかり把握できないと、リーグルを理解できないし、ということはアテネ憲章もヴェネツィア憲章もわかったつもりでわかってはいないことになってしまうのである。

そしてこの19世紀的な葛藤から、近代建築運動が生まれたのであるし、やはりそこに超越としての「建築」があったとおもわざるをえない。ぼくたちはそのような超越をいだく義務はないのであるが、やはり19世紀と20世紀の西洋建築を理解しようと思えば、それくらいは知っておいたほうがよい。

そしてそれにしても日本は、歴史/近現代(あるいは日本/西洋、伝統/近代)を切断して考えるという構図をいつまでたっても崩さないし、そのことによってわたしたちのまさに「現代」を歴史的に位置づけるという方法論をみずから放棄することになっている。もちろん優れた専門家は現代を歴史的に考察することはできるし、そうしている。しかしそれは個人的資質において可能であるのであって、学問システムはそうなっていないのである。

しいていえばリーグルはその保存論においてそうした連続性を確保しようとしたのではないか。19世紀の内部対立をアウフヘーベンして、歴史的建築を考察するより普遍的な認識フレームワークを考えてみる。歴史と現代をシームレスにつないでゆくという作業をまさに展開していたのである。

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2010.02.12

リトル・アーキテクチュア

前回「1Q84から読む建築」講演のさわりを書いた。いろいろしゃべった。「ビッグ・ブラザーではないリトル・ピープルをどう解釈するか?」という質問があったので、即興で「リトル・アーキテクチュア」論を展開した。思い出しながらそのさわりを書いてみる。

20世紀は構造技術が進歩したので、大ドームや超高層など、大規模な建築がつくれるようになった。しかしそれらは本質的な「大きさ」ではない。コールハースのいう「ビッグネス」はアイロニカルな大きさなのであって、ほんとうは小さいのだ、という含意がある。

歴史的には「大きな建築」「偉大な建築」という探求は古代ローマで完了してる。そののちムガール帝国やサファヴィー朝の建築はそこそこ偉大な建築、ビッグな感じはする。でも古代ですでに終了してしまった。だからルネサンスにしろバロックにしろ、偉大な建築をつくるときは古代の様式を借りるしかなかった。とはいえ16世紀や17世紀はまだまだイマジネーション的にかろうじて古代世界と地続きであった。だからそれは復興であったとしても、連続感はある。

しかし20世紀の巨大建築、ワシントンDC、ニュー=デリー、モスクワ、ゲルマニアなどの実現された/未完のプロジェクトは、スケールだけみると即物的にはおおきいが、精神的には訴えるものがない。いや負の方向に訴えかけてくるというべきか。つまり20世紀という時代において、古代ローマ的なものを実現することの無理さ、その無理をまさに無理矢理実現してしまったことのもたらす、どこにも収まらない感じである。ぼくは古代ローマやビザンチンのモニュメントをひととおり見たあと、近代巨大国家の20世紀初頭モニュメントを見たのだが、それは新古典主義でございという説明をはるかに超越して、まがまがしい印象しかもちえなかった。

これはデモクラティックな世紀に古代帝政のモニュメントをもってくるアナクロニックな行為のみがもたらしているのではない。

「地」として20世紀は「リトル・アーキクチュア」の世紀なのである。

そのことに無意識に気がつきながら、意識のレベルでは巨大建築をつくるというのが20世紀のアナクロニズムである。

もう40年ほどまえに日本でも「巨大建築論争」というものがあった。そのなかで宮内嘉久(だったと記憶しているが)による最高裁判所建築批判があった。自身はデモクラティックな人間ではあるが、最高権力のための国家的モニュメントであるからとびきり威圧的なモニュメントであろうと予想したが、批判の対象としたかった権力の表象とはなりえない、力のこもっていないものだったので、拍子抜けした、というのである。

宮内さんの直感はまったく正しかったとぼくは思う。20世紀の本質はたとえば団地や郊外住宅や、自動車がモデルとなった住むための機械や、それこそ狭小住宅に代表されるような「リトル・アーキテクチュア」である。高層オフィスにしたって、間口数メートルの棟割り長屋をタテにしたと思えば、リトルなものの際限ない繰り返しにしかすぎない。

ちなみに建築史の教科書を開いてほしい。歴史的な名作とされるのはほとんど個人住宅などの小規模なものである。大規模なモニュメントや公共建築はいがいと少ないことがわかる。これは歴史家や一般読者が無意識に「リトル・アーキテクチュア」を試行し、それを選んできたことの証拠である。

もちろんそれはいいことだけではない。面白いことだけではない。

20世紀は、近代的自我や、社会的サービスや、市民的自律や、家族的結合などを考えてきた。そうした主要テーマが集中してあらわれるのが「リトル・アーキテクチュア」なのである。

問題は、20世紀においてビッグ・アーキテクチュアが時代錯誤的にもえんえんと繰り返されたように、21世紀においては「リトル・アーキテクチュア」がこれまた時代錯誤的にいつまでたっても繰り返されるという、まがまがしさをみせつけられるのか、それとも・・・といったところであろうか。

それにしても上記とは矛盾するのだが、村上春樹のリトル・ピープルはじつはこれこれを意味していたというような解釈はあまりおもしろくなく、名づけられないなにかをいうためのゼロ記号であったほうが物語としては面白いのではあるが。それともビッグ・ブラザー=アメリカにたいするリトル=日本という解釈はないのかなあ?

蛇足ついでに、最新の雑誌で1Q84評もいくつか読んだが、評というよりは、批評者自身の自己分析のようであった。厳しい批判ほど村上依存症である、といった感じ。建築批評もそうなのであるが。

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2010.02.01

ドミノとタイポロジーのはざま

先日、知人から自宅に電話がかかってきて、話題のついでにぼくのブログのことになって、投稿頻度が少ない、話題が偏っている、時事的テーマにもっとふれたらどうか、建築雑誌の作品評でもいいんじゃない、と御アドバイスがあった。

そういえばぼくって、ほんとにいいかげんだ。頓挫しているシリーズものもいくつかある。そこはそれ、ブログははじまりもなく、終わりもなく、なんとかいけますよ。とはいえそういう一言でつい、なびくのである。

そこでS建築誌2月号からである。

アトリエ・ワンの《フォー・ボクシーズ・ギャラリー》が巻頭であった。ヨーロッパ的な質素でありながら豊か、という感じがつたわっている。コンセプトは4重の入れ子構造になった空間構成である。

これはアトリエ・ワンにとっては《奥のない家》でいちど構築した図式である。この原型となったものはコンパクトな立方形であったが、それがここではデンマークのランドスケープのなかにのびやかに展開されている、芝生を見る窓、空を見る窓、といった仕分けが気持ちいい。

こうした「図式」はほどよい普遍性をもっている。

つまりル・コルビュジエの「ドミノ」のようなあらゆる建築に普遍的に妥当するほどの徹底した普遍性とくらべると、そこまでではない。しかし建築類型学におけるように、ひとつの平面タイプがある特定のイデオロギーや社会集団を示している、たとえば町屋にはそれに住むべき階級が住む、といった厳格な対応はない。つまり「図式」はドミノ的普遍性と、「タイポロジー」的厳格さの中間に位置する、ほどほどの適切な妥当性をもっている。

じつはこのことは修論生の指導をしていて説明したことなのであり、世界のリーダー的建築家にはあるていど見られることなのではあるが、アトリエ・ワンが探求する図式も、そうしたゆるやかな普遍性をもっていると思った次第である。

もちろん彼らが都市の境界条件、しかも建築を建築たらしめる境界条件にきわめてセンスティブであり、そこから論理を構築してきた。しかしそれは際限ない個別解となるようなものではなく、いくつかの「図式」となるようなものであった。

これはラング/パロールのあのやや旧式の図式においてみれば、慣用句、レトリック、比喩、などに相当するものなのであろう。そしてそれは物語、寓話、などを豊かにするには不可欠のものである。

そう考えると現代建築家たちのアプローチを歴史的に位置づけることもできるように思える。

もうひとつは前田圭介さんの《アトリエ・ビスクドール》であり、最近の微分的建築のひとつであるともいえる。ただここでは、それが家具、植生、外屏、風景(空)、天井といったはっきりしたレイヤーと対応していて、納得感が違う。そのことによって書架、庭の木立、住宅地風景、空が、なんの媒介もなく遠景/近景の重層構造になっていることが新鮮な印象を与える。そういう意味ではこれもまた入れ子構造なのだが、外層と内層がきわめて圧縮されて接触せんばかりに隣接している。

伝統的な住宅と比較すれば、鴨居や長押を消去することで、文化的枠組みとして残像のようにあった居室の輪郭を消した、というようなことであろうか。

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