« 『現代建築家99』 | トップページ | サント=ベルナデット教会 »

2010.02.28

磯崎新『Any:建築と哲学をめぐるセッション1991-2008』(カント的退行?)

00年代を磯崎さんグループがどう見ているか、参考にしようと思った。「カント回帰」「カント的退行」という括りであるらしい。

カントのいう「もの自体」つまり、人間は感覚や言語をとおして世界を把握するのだが、ものそのものを五感や言葉などを経由して認識するというのは、間接的で迂回したやりかただから、もの自体はぜったいに認識できない、ということである。この構図が現代を物語っているという一貫した視点が展開されている。

浅田/磯崎対談によると、グローバル資本や地震などの大災害はまさにもの自体であって、それが直接立ち現れる構図となっている。すると細やかにシンボルや図像表現を研究することであった表象文化論などというものはすでに時代遅れらしい。時代でいうと、ロココ文化が表象の時代であり、カント的回帰をとおして新古典主義の巨大建築が登場する。それがたとえば北京の鳥の巣なのだ、ということになる。

でもフランス革命と今のグローバル経済は同じものなのかね、という疑問もいだく。

柄谷/磯崎対談によると、カント回帰がよりはっきり説明されている。それは「世界は言語的にしか把握できない」(p.38)ということである。柄谷行人は「建築への意志」をあらためて表明しており、それは建築を指向しつつ建築を批判することであり、原理的であろうとしつつ原理主義を批判することという「一人二役」であり、それがトランセンデンタルにして横断的移動である、と述べている。彼がカントのアンチノミーに注目していたことが思い出される。理論は純粋化しようとすればむしろ破綻するという(しかし無理論でいいわけではない)所論である。

岡崎乾二郎はこの論をさらに展開し、リスボン地震を語ったカントの「霊能者の夢」でいわれているのは「地震という現実世界に起こった災害が、実は、言語的な地滑りと通底だった」ことであると的確にのべている。

これはわかりやすくいうと、天災も人災ということである。ある区で被害が多いのは、都市計画制度(言語)によって災害に弱い地区が人為的に建設されているからである。だからこの意味でも言語はすでに世界を創っているし、世界は言語化されているのである。

・・・でも、手前味噌でたいへん申し訳ないが、それこそぼくが『言葉と建築』(1997)で書いたことです。ぼく自身は時流を書こうとしたのではなく、もっと普遍的なものをめざしました。たしかに20世紀初頭の言語学の発展とか、80年代の言語論的転回もあるでしょうが、ある意味、建築辞典はルネサンス以降の伝統であり、言語にそくして建築は構想されてきたのです。その意味で言葉と建築は、たんなる現代思想的な解釈ではないのです。

もちろんぼくは哲学や現代思想に関連づけてさらなる展開をめざすには時間も能力も不足していたし、似たテーマで書くとすればヨーロッパ語を母国語とするフォーティには量的にはおよびません。ただぼくは、ドリーマーあつかいされるでしょうが、ほんとうにウィトルウィウスやアルベルティらを意識して、彼らと競合しているつもりです。言語は時空をこえます。そういうことは不可能ではありません。ただそういう発想は、目下の問題に取り組んでいる建築界からは浮いてしまうのはいたしかたありません。

磯崎さんはさすがで、『漢字と建築』を書いたように、「言葉と建築」からの展開をすることができた例外的な人でした。フォーティの翻訳者たちが及ばない点ですね。

ただ建築史家としてどうか?と反省するところも大である。誰もが知っているように、時代が大きく変わりつつあるのは事実である。そして歴史家の存在意義があるとしたら、その歴史観においてである。しかるに自分の歴史観において現代を語る建築史家はいない。藤森先生は面白いが、あまりに大風呂敷である。作家の松山巌のように、昔の建物を擁護することだけが建築史家の使命であると勝手に思い込んでいる人もいる。現代を語らない・語れないのが建築史家だというなら、困ったことである。

|

« 『現代建築家99』 | トップページ | サント=ベルナデット教会 »

建築論」カテゴリの記事

コメント

著書「哲学者16人の謎と真実」は、わずか36頁で哲学史の全てが理解でき、ネットで読むことができる。
http://www.geocities.jp/k_kibino/page2000.html

ところで、ヒュームの「観念は連合する」に対し、「観念連合には分断もある」と考えるよう提唱する。
つまり、観念連合に関する3法則、因果・近接・類似の反対に、分断に関する意外・遠隔・相違がある。
こうすることでヒュームを(カントよりも)相対化し、ブッシュ・小泉時代の新自由主義にも引導を渡すことができる。
http://blogs.yahoo.co.jp/k_kibino/60877061.html

投稿: キビノ | 2010.04.10 08:06

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/424713/33567528

この記事へのトラックバック一覧です: 磯崎新『Any:建築と哲学をめぐるセッション1991-2008』(カント的退行?):

« 『現代建築家99』 | トップページ | サント=ベルナデット教会 »