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2010.02.15

岡田暁生『音楽の聴き方』中公新書2009

評判の本である。ぜひ読めと勧められたので、日曜の夜、ざっと目をとおした。

音楽というジャンルは、ヘーゲルが究極芸術であると位置づけたこともあって、芸術中の芸術であるとされている。なにしろ空気の振動だけを素材とする。物質に依拠しないだけ、よりピュアでありより純粋なのである。物質を使いまくる建築はずっとそのことに劣等感をもっていたのであった。

『西洋音楽史』も出版されてすぐのころに読んでいた。譜面の歴史を語りながら、西洋音楽は演奏され鑑賞されるものである以上に、すぐれて譜面に書かれるエクリチュールとしての音楽である。その意味では音楽は一種の建築なのである、というようなスタンスで、建築シンパとしてはありがたいなあ、なんて思っていた。

「書き方」としてのつぎは「聴き方」である。こういう組み立てもとても建築的である。

『音楽の聴き方』も、ある意味できわめてオーソドックスで教養主義的な文献である。神童モーツァルトがパリで公演したときも、ここで拍手、ここでうける、といった約束事の世界であった。また音楽の感動を言葉であらわすことも、とても推奨されるべきことだ、ということも強調されている。

これにたいして音楽の感動は言葉ではあらわせないというロマン主義の音楽や、音楽を解体してサウンドに還元するジョン・ケージのようなモダン音楽は、はたまたシェーンベルクとそれを考察したアドルノの音楽論などは、この書のなかでは、いちおう認められているが、さほど支持されていない。とはいえ筆者は、基本的には音楽文化圏のそとの、自然界の音の豊かさは積極的に認めており、たんなる保守派ではない。つまりロマン主義も、モダンも、サウンドへの還元も経由したのちに、クラシック音楽をふたたび認めようということである。

このあたりはとても共感がわく。ぼくも古典主義建築をやっていて、古典の古典たるゆえんがわからないと近代建築もわからないと思っているし、辛気くさいと思われている保存思想を理解しないとモダンもわからないとつねづね主張している(が、ほとんど理解されない)。

どちらを好むかは自由であるが、ものごとの成り立ちの空間は知って損はない。

あと参考になった点。

(1)空襲下の危機的な状況下に、ドイツ人たちがベートーベンを聴きながら精神的な共同体を構築しえた逸話。これは感動と病理が表裏一体であるというような論調で書かれている。そうなのである。近代とは世俗化であり、そこにおける芸術は一種の代替宗教なのである。これは建築においてもそういえそうだ。

(2)生田久美子『「わざ」から知る』を引用して、音楽体験におけて身体性が重要であることを指摘している点。建築言語ではこれが忘れられている。ぼくも勉強しなければならない点である。

などなどである。

全体として、音楽体験を言語化することは意味があるのだ、という論旨で一貫している。そうなのである。ぼくが『言葉と建築』でいったとおりでしょ。

とはいえぼく自身は、音楽の「聴き方」のまえに、そもそも聴いてみたら、といわれる次元なのであるが。

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