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2010.01.30

1Q84から読む建築

・・・というタイトルで講演をした。

ドネルモという、同僚である哲学の先生が座長になっていて実態上は学生たちががんばって自主企画的なことをやっているユニットに依頼されてのことである。

(1)村上春樹本の読書体験ということ

(2)1970年代ということ

(3)物語の場所ということ

(4)パラレル・ワールドということ

(5)物語ということ

(6)現実/虚構ということ

(7)終末ということ

(8)共同体ということ

 という8つの小テーマを事前に用意し、スピーチ内容をいろいろメモしておいた。時間の関係もあって前半の内容だけについてお話しした。

(1)ぼくの村上本読書体験について

これは人様に自慢できるようなものではない、ということの説明である。1987年、『ノルウエイの森』が書店に平積みになっているのをみていわゆる村上現象を体験するが、すべてのなんとか現象とおなじように、素朴な拒否反応をしめしたこと。じつは最近まで熱心な読者ではなかったこと、などである。

ぼくが読者になったきっかけは2年前に入院したとき、なにもすることがないので、文章が平易で読みやすい彼の小説を読み続けたこと、がほとんどである。

同時代人としては、阪神大震災とサリン事件をきっかけに彼がデタッチメントからコミットメントの方向に移行したということになっているし、『1Q84』も左翼運動、エコロジー運動、新宗教について触れていて、そういう意味でタイムリーな主題についてコミットしているかのように見える。

しかしぼくの感触ではそんな単純なコミットメントではないように思える。この小説が一種の小説内小説(『空気さなぎ』)であり、空想したことが現実のものになる、現実が空想をなぞっている(2つの月)ように、これは小説そのものをテーマにした小説ではないか。すぐれた芸術はほとんどが芸術そのものをテーマとする芸術となっているように。

小説内小説を現実の村上春樹が書く。そのことが作家村上を建築してゆく。そう考えるとこの作品そのものも現実をつくってゆくモーメントとなっている。

おそらく建築も、文学と似たような構図で、現実のなぞりではなく現実を構築してゆく仮想として構想されるのであろう。そう考えると、「村上春樹はいかに小説を建築しているか」という問いは、文学を参考にして建築を考えるというよりも、もっと建築の近くにひきよせて考えられるようなものとなる。

(2)1970年代ということ

大阪万博、三島事件、連合赤軍事件などが共通体験となるこの10年代、「天吾」も「青豆」も多感な時期をすごしたはずだ。ふたりはぼくの2歳年長であるにすぎない。ほとんど同世代人である。というセッティングである。

この70年代は大澤真幸が『虚構の時代の果て』で説明しているように、理想と夢の時代が終わって、資本主義がもたらす消費文化のなかですべては記号の問題として処理される世界となる。このことは今の学生諸君にとっては学習して認識するような事態のようであるが、年寄りとしては、ポパイ、アンアン、インベーダーゲームなどが登場してきたのをリアルタイムで体験し、しかも最初からポパイなどのファッションマニュアルは本質的になんちゃってファッションなのであって、そうした醒めた距離をとった情報とのつきあいかたをすべきということは、当時の(ぼくをふくめた)若者たちにとっては常識であった。だから記号の戯れ、虚構などということは、分析以前の、ごくごくストレートな現実描写なのであった。

だから当時の国民的しきたりとしての大学入学、上京というプログラムのなかで、東京にやってきた18歳の若者は、「自分というものはひとつの「無」でしかない」(ぼくがつくった文章)ということをなんの悲壮感もなくあっけらかんと認識するにいたる。村上春樹の小説がときには古典的な自己形成物語のようにも読めるというのはそのとおりであるにしても、それはほとんど無からの「私」という虚構の構築、でもあるような自己形成なのであった。

それが「天吾」と「青豆」のプロットなのである。ふたりとも共同体からも家族からも最初から切り離されている。天吾は、母親がいなかったし、育ての父親も実のそれではなかった。彼は房総半島の先端にある施設にいる父を見舞うが、それは実の親子関係ではなかったことを確認するためであった。青豆もまた新宗教にはまった両親から去ってゆく。つまり日本の近代文学では、私や自我が、いかに共同体(伝統)や家族から独立して自律するかが大テーマであったのでが、村上の小説では最初から自由であることが前提なのであって、言い換えるならまさに無としての自分、なのである。

(3)物語の場所ということ

場所のプロットはある意味でステレオタイプであり、わかりやすい。

 天吾は高円寺に住んでいる。予備校講師というセッティングも、大学紛争を体験した世代なら、一種のドロップアウトの形式、体制との距離のとりかたという意味で常套的なパターンであった。高円寺にいればお茶の水にも代々木にも通勤はらくである。さらに中央線知識人という言い方もある。やや左よりで、善良で意識の高いひとびとが沿線にはすんでいるというイメージである。そして高円寺に住むということは「新宿文化圏」なのである。そして学園紛争時代、新宿駅やその周辺でしばしば騒ぎがおこったように、どちらかというとジェンダー的には、男性的、青年的な場所なのである。だから天吾は新宿的なものを代表している。

 それにたいして青豆は、自由が丘のジムでインストラクターをしているように、「渋谷的なもの」を代表しているように思えるし、パルコ、東急文化村、東急ハンズ、渋谷109と連想すればわかるように東急的なものを示している。それは渋沢栄一や五島慶太がはじめた田園調布の正統な嫡子なのであって、その東急帝国のなかで青豆はパラサイトしているのであった。

新宿的なものとは政治的なものであり、渋谷的なものとは経済的なものであり、資本制下での記号の戯れは、すぐれて後者のものであったろう。

それにたいしてふかえりと戎野教授が住んでいる青梅線の奥地は、首都圏内の非首都圏のようなもので、小説的には一種の異界をあらわしている。ぼくは4年間、立川に住んでいたが、もちろんつまらない偏見と自覚しつつ、あちらの方面はなにかそういうイメージなのであった。

それはともかく天吾と青豆との関係は、じつは政治と経済の関係であって、そこに青梅線奥地からくる反体制的なもの異界的なものがからんでゆく、という普遍的構図が見える。

(4)パラレル・ワールドということ

 これはぼくが日本建築学会と国際交流基金の企画としてやった『パラレル・ニッポン展』に引き寄せて説明した。

 この展覧会は1995年から2005年までの日本の現代建築100作品を海外に紹介するという企画であり、そのための作業を数年まえにやっていた。10年間のくくりをどうするか、苦労したあげく「パラレル」というコンセプトを考えた。

 せんだいメディアテークの伊東案と古谷案を考えるとわかりやすいが、おなじプロジェクトでまったくことなる2案がでてくる。最終的には伊東案だが、そのよさを認めつつも、古谷案でもよかったのではないか、という意識はずっと消えない。つまり現実をみとめつつも、そうではない別の現実もありえたのではないか、という意識がずっとある。つまり「パラレル」感である。

もちろんコンペには当選案よりも優れた落選案があることはしばしばで、歴史上はそういう代替現実というものはいつもある。

しかしぼくは1885年から1995年のくくりの同じ企画も担当したのだが、この10年間はそういう迷いはなかった。しかし1995年から2005年までのくくりを担当したとき、この10年間の代表的作品100選をみながら、これらから共通する傾向としてのキーワード、キーコンセプトはもはや抽出できない、と感じたのだ。それらはひとつの現実ではなく、現実と仮想現実(虚構)が何重にもレイヤー構造をなしている、パラレル・ワールドとして記述するしかないような事態として感じられた。そのようなことを提案したとき、さまざまなまとめかたうを議論してきた展覧会実行委員会委員たちの気持ちはすごく腑に落ちたのであった。

1Q84に登場するふたつの月は、小説内小説としての仕掛けであるとともに、村上春樹の小説がパラレル・ワールドをテーマとしていることそのものの構図を表現したものなのである。

ぼくの建築的実感と、小説の構図はほとんど同じようなものなのであろう、と思う。そしてこの類似感はどこに向かうのか、なにを意味するか、いろいろ展開の余地はありそうである。

・・・ここまで話したら時間が尽きてしまった。(5)から(8)は機会があったら話してみることにします。オーディエンスからの質問もとても参考になって勉強させていただいた。

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