建築史の書き方
建築史とは建築の歴史である。
しかしこの場合の「建築」とは、いわゆる大文字の建築であり、超越であり、理念である・・・。
というように書くとすごく頭でっかちの話しをしているように感じられる。しかしこれはフツ-なのである。
最も凡庸な様式史、つまり和洋、新和洋、大仏様、禅宗様、折衷様・・・、あるいはロマネスク、ゴシック、ルネサンス・・・・といった書き方でさえ、とても抽象的で、理念的なものなのである。
つまりこれらの様式は、個々の建築の血液型や国籍などといったはっきりカテゴリーで規定できるものではなく、いわば「ものさし」を決めているだけである。「ものさし」は定義上、純粋である。しかし個々の建築はとても不純なものである。
たとえばロマーノのパラッツォ・デル・テにしたって、マニエリスムの傑作とされるが、構造は煉瓦造でありとても常套的なものだ。だから観念的にはマニエリスム、実体的には中世とさほどかわらない、なんてことになる。ミケランジェロのある作品がマニエリスムなのかバロックの先駆けなのか、など議論がかつてあったが、それは当該作品がどの様式かという議論をしているつもりで、じつは様式概念そのものをどうこういっていることになる。
だから、赤坂離宮は日本近代における洋式建築の傑作であって、本格的なバロック洋式ですよ、という議論もじっさいはとても高踏的なものである。禅問答なのである。
そういう「様式」が変遷する歴史など、これはものすごい観念論なのであって、それが時代ごとのレッテルにすぎない(からくだらない)というのは逆軽視なのである。じつは様式という観念論をたちあげて、それにより時代を区分しているのである。この構図を逆転させることで、素人はレッテル貼りと思って安心して理解できるのである。
だから近代建築の美学などまったくわからないという御仁がいたって、当然なのである。
建築史というのも、このようなまったくの観念論的構築なのであって、これほど人工的で摩訶不思議なものはないのである。
ちなみに20世紀の建築史学は、様式史とはまったく違う構想にもとづく、つまり理論という別のものに立脚した歴史叙述を構築したが、観念論的ということでは様式史の正統でかつ優性遺伝的な嫡子なのである。
・・・ではそれと異なるものはありうるのか。
理論的にはありうる。それは『「あるひとつの建築(建物)」の「歴史」』である。
たとえばアテネのパルテノン神殿はペリクレス時代に人間理性の粋を結集した傑作であり、ローマ時代はどうで、オスマトルコ時代に兵器庫になり、18世紀にヨーロッパ人がやってきて「再発見」したと思い込み、ヴィンケルマンらに幻想を与えて新古典主義の形成をうながし、やがて歴史的建造物として指定され、人類に共有された文化財となり・・・と書いてみると、「ひとつの建築事例の歴史」は書いてみる価値があるように思える。
もちろん悪い書き方をすると、たんなる逸話集、クロノロジー、経歴記録、になってしまうであろう。
しかしそこでその建築がもっている建築的価値はなにかということを問いかける姿勢を失わなければ、書けそうである。
さらにパルテノン神殿のようなA級建築になると、個々の事例の歴史ということを超えて、そこにすでに大文字の「歴史」が内包されているように感じられる。
そしていろいろ考えてみると「ひとつの建築の歴史」はありそうで、ほとんど書かれていない。すくなくとも魅力的な書き物として知られているようなものはないといっていい。これは空白域なのである。
つまり様式史にしろ理論史にしろ、構想した人間の理念だけが論じられた「イデア→制作」的価値なのである。文化財的な価値にしろ、それに立脚している。
しかし、建築がある理念や理論を担っているにしろ、建築がそれらを発信しつづけ、人間に影響を与え続けるということはある。あるいは空間を構造化しつづけ、それによって社会や人間を秩序化することで、なんらかのインパクトを与える。人間もそれを承知しているから、文化財制度などという近代的枠組みをつくったりする。
それらもろもろを描くことが「ひとつの建築の歴史」だとすれば、単純な様式史や理論史以上のものを、それは提供できるのではないか。
・・・・というようなことを帰りの電車のなかで考えた。今日は朝から6時まで会議であったので、反動のようなものであったのだが。
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