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2010.01.24

AO入試と魚

AO入試も無事終わった。

大部分の先生は監督や採点でおおわらわであったが、ぼくは自室待機で楽をさせていただきました。おかげで午前中は読書、午後はゴミ屋敷へと転落しつつある教員室を整理整頓した。すると掘り出しものの文献なんかが出てくる。お札もでてきてほしい。

暗くなって偶然が重なって不思議な打上げ会にでた。他学部の先生、他大学の先生そのほか、分析軸によっては同窓会にまで思えるような不思議な会であった。

面白い話しを聞きながら、脳はまったく関係のないことをつぎつぎに連想して思い出してゆくからヘンである。

3日前、タコ飯を炊いた。天神デパ地下でそれ用の干しダコを売っている。それを適当な間隔できって、少量の料理酒とともに炊く。このタコ飯はほんとうにおいしい。おかずなしでこれだけで済ませてしまいそうになるほどである。どういう美味しさかというと、大人の味でありつつ、いいオヤジが童心に戻るようなおいしさといえようか。

そのまえは近くの魚屋でブリを買って焼いた。この季節のブリは脂がのってまことに美味である。シンプルだが豊か。たとえていえばクレルモン=フェランにあるロマネスク教会堂。

じつはさほど遠くないところに漁港があって、それに隣接する市場で仕入れたものであるので、とても生きがいい。魚屋で魚を買う、八百屋で野菜を買う、というのがぼくの贅沢である。

そのまえはカマスを焼いてたべた。ブリがすこし肉的な感じがするのにたいし、カマスはすこし切ない感じがする。いくぶんたよりなげな食感である。そこがよい。香りもほんのり、とてもさわやかである。とても美味である。鮮度も抜群であった。たとえていえばフィレンツェにあるブルネレスキのルネサンス建築、とはいえサンタ=マリア=ヌオーヴァというよりはインノツェンティのほうに近い。

ブリもカマスもとてもおいしいものである。すると塩の味がよくないことが、露骨にわかってしまう。ぼくの舌ていどでも「塩」に問題ありと、1+1=2的にわかってしまう。そこでやはり近くの商店で「藻塩」を購入する。そこには「五島の塩」も売っているのだが、やはり藻塩に優るものはないのである。なにしろ魚に振りかけるだけでなく、ついスナック感覚でなめてしまって、笑みをこぼしたあと、塩分過剰摂取不向健康と反省するほどなのである。

この藻塩は、イメージとしては、イタリアで食する揚げイカというよりは、ブルターニュでとれた魚なのであろう。ただし鱒のような大味なものに使ってはいけない。

いつだったか忘れたが、時間があったのでやはり行きつけの魚屋でアラカブを買って煮付けにしたときは、幸福の絶頂にいるこの瞬間に世界が終わってほしいと心の底から願ったものである。正確にいうとアラカブを7割食してまだ3割残っている瞬間が、その終わりにほんとうにぴったりな瞬間であるはずであった。しかしぼくは精密機械ではないので、67%食して、つぎの一口で75%までジャンプしてしまった。だから幸運なことに、世界はまだ続いているのである。

それでも人間は謙虚であるべきだ。アラだけは、商店で見かけても、ぼくのような腕前で触れさせてはいただけない、別格のもののように思えて、手をかけられない。かつてN山に誘っていただいてアラのコースを味わったときのプラスのトラウマがずっと続いているのである。

ところでなんの話しであったか。

そうAO入試はいろいろ工夫したつもりである。くわしくは過去問を見ていただけるとうれしいです。いわゆる実技科目は、建築にとっては不利である。受験生のなかで、楽器を演奏しているひと、絵を描いたことのあるひと、なにかを制作したことのあるひと、などなどは、多い少ないはあるだろうが、ある割合でいるはずである。でも、だからこそ工夫なのだが、建築設計をしたことのあるひとは、桁違いに少なく、おそらく1%以下であり、「いない」と表現してもいいくらいであろう。

ぼくが魚を焼く割合と、ぼくがアラに出会う割合が桁違いなくらい、違うのである。

・・・・あまりうけませんね。

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