« NAME SAKE 帝国建築 | トップページ | 「批評」について---『近代建築論講義』から »

2009.12.05

古代ローマ皇帝と「口説き」の重要性

同僚のU先生が学外講師を呼んできて授業させる(実質的には講演会である)というので、聞きにいった。

テーマが「口説き」であり、異性を口説くためのノウハウが、ビジネストーク、面接、学術シンポジウムの発表、コンペやプロポーザルにおけるプレゼン、などに役に立つというお話である。

学問とはまったく違う話であるが、ぼくも学生の説明に説得力がないときにお説教として、きみたちデートに誘うときにそんな話し方するかい、とか、紙に書いたセリフの棒読みのような話し方をするね、ということをいう。よっぽどひどくて切れてしまったときだけであるが。

説明、説得、などいろいろ言い方はあるが、口説くというのはなかなかよい。話す先方が自分の言葉をどういうように受け止めているかについて敏感になるということであり、これは学術発表においても日常においても求められるセンスであるからだ。

・・・などと拝聴していて塩野七生『ローマ人の物語』を思い出した。

というか、じつは10年遅れの読書をしていて、第8巻まで読んだ。年末年始は忙しいので、いちど中断して2月頃から再開して、のこりの9巻を読んでみることにしている。こういうのは通読することに意義がある。

なぜ塩野七生かというとぼくの建築史アプローチではまったく方向性が違うので、通読することでふだん使わない筋肉を刺激しようとおもったからである。建築史はたいてい超越的な建築イデアの展開としてえがかれる。ところが『ローマ人の物語』は諸皇帝の人生絵巻の連なりである。まったく異なる。そこがよいのである。

塩野七生『ローマ人の物語』が終わったら『三国志』でも読もうかと思っている。

それはともかく共和制から帝政に移行したローマは、アジア的専制主義国家ではなく、皇帝と元老院にはある種のバランスオブパワー関係があって、牽制し合う関係にあった。また市民の利害が反映されるパイプもあった。ゆえに皇帝は、元老院にたいしても市民にたいしても、権力の付与をいつも請求しなければならない立場にあった。だから皇帝は、戦勝の功績をあげ、パンとサーカスを提供し、公衆浴場を整備しなければならなかった。つまり元老院や市民という権力の根源を「口説く」ことが求められていたわけだ。

よく「パンとサーカス」は衆愚政治のような意味合いで使われるが、古代ローマにおいては、甘やかされていた市民たちが政治に鈍感であったわけではなく、市民を敵にまわした皇帝はけっきょくは暗殺される運命にある。

「口説く」ことを必要だとおもわない皇帝、すなわち自分の命令が絶対だと思う皇帝は、皇帝というより独裁者であるとして、拒否され暗殺されるのであった。

建築史をやっていると対象とするのは、なんとか主義だの、抽象的な理念である。ミケランジェロがカンピドリオ丘を整備しなかったら西洋建築史は変わっていたか、などという設問をすることはない。現代において建築史はヴァザーリ的な建築家列伝ではないからである。

ではなぜ塩野七生などを読むのかということを自己分析すると、イデア論的建築史ではどうしても不足しがちになるエロス性のようなものにすこし触れたくなる、というようなことなのであろう。だから『ローマ人の歴史』と「口説き」がぼくの脳のなかでリンクしてしまうのであろう。

|

« NAME SAKE 帝国建築 | トップページ | 「批評」について---『近代建築論講義』から »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/424713/32500503

この記事へのトラックバック一覧です: 古代ローマ皇帝と「口説き」の重要性:

« NAME SAKE 帝国建築 | トップページ | 「批評」について---『近代建築論講義』から »