« 萩原剛さんの講演会 | トップページ | 2010年の記事 »

2009.12.28

『ローマ人の物語』

塩野七生の作品を読んだ。ローマは一日にしてならずというが、『ローマ人の物語』も一日ではならない。15巻もあるからである。とはいえラテン語で書いてあるのではないから、年内にすますことができた。

これはローマ史というよりそこへの作家の興味を読むためのような本である。それはそれで楽しめたし、近代の歴史学とはなにより文献史学であり資料批判的歴史学であるのはしかたないとして、それでも歴史とは物語的な構想力がなければいけないと思うのである。

その物語というのは、しかし、逸話の集積でもないし、事実主義でもないであろう。叙述者の構想力と、それから幻想や発想の飛躍のようなものとともに書かれていいようなものでもあろう。そういう意識で読むと、いろいろ参考になる読書であった。

皇帝列伝のようでそうではないのは、インフラや法制度から攻略しているからで、彼ら皇帝たちが生きた空間(時間×地理×宗教×制度・・・)を描こうとしているからである。また著者自身が古代ローマの地理空間をしっかりスタディしたうえで書いているからである。だから細部を見れば偉人伝的であるように思えても、全体としてはやはり主人公は帝国そのものなのである。

社会史的ではない。公衆浴場で仕事のおわったオヤジたちがどんな生態をさらしているとか、荘園やヴィラでの生活やいかにとか、そういう方向へ展開しても面白そうではあるが、著者の視点ではないのであろう。書き方としては立志伝的、偉人伝的、明治維新的である。

目配せはなかなか多面的でよろしいのだが、ウェルギリウス的世界はあまり書かれていないなあ。ついでにウィトルウィウス的な世界も。建築についてはあまり触れられていないのは残念ではある。

ぼくのような建築史家は、古代ローマというといわば抜け殻だけを見続けたようなものである。パンテオン、フォロロマーノ、マルケルルス劇場などなど。ティムガドやパルミラも大学の講義では20年近く話し続けている(たまたま旅行してたくさん撮影したからである)。興味はそこで皇帝がなにをなしたかではなく、その容器たちがいかに超越的な存在であったかというようなことである。

今回『ローマ人の物語』を読んだのは、普通のスタディとは逆で、抜け殻を知ったあとで、骨と肉についてよりくわしく読んでみるといったことである。肉と骨/抜け殻。どっちが大切か?もちろん生命は肉と骨にやどるのではあるが、永遠なるものは抜け殻のほうである。そして建築をやるということは、そっちのほうに思い入れることなのであろう。

・・・・ところで冬休みである。

フィットネスにいってリハビリに精を出したり、そこで名前だけは知っているプロレスラーを目撃したり、WEBで三島由紀夫事件がいまどう受け入れられているかをスタディしたり、体幹ランニングなるすぐれものの存在を知ったり、それでは村上春樹はいまでも毎日10km走っているか気になったり、2.5インチHDDやSSDで容量2テラになるのはいつか気にしたり、はたまた名古屋に日帰り出張をして学会の委員会に顔を出したり、帰りの新幹線で姿勢の悪い座り方をしている若い男性の腰痛がふと心配になったり、・・・はしているのであるが、ひさしぶりに静かな年末年始となりそうである。

|

« 萩原剛さんの講演会 | トップページ | 2010年の記事 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/424713/32771419

この記事へのトラックバック一覧です: 『ローマ人の物語』:

« 萩原剛さんの講演会 | トップページ | 2010年の記事 »