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2009.12.08

「批評」について---『近代建築論講義』から

最近、会議が多い。ほとんどいない自分の研究室にひさしぶりに顔をだすと、机に東大出版会から最近出た『近代建築論講義』という本がおいてあった。建築技術社から送られたものだ。

書評しろという。OKと返事をだす。

批評、理論、装飾、地霊、物語・・・という章立てである。まとめて原稿にするまえに、章ごとにブログに書いてみるのもいいかもしれない。

それで第一章のテーマ「批評」について感想を述べる。

I氏が論考し、S教授が回答するという形式である。これは建築論ではときどき使われる手法である。

まず90年代の「セカイ系」と、S教授の「私的全体性」とを比較論考しているのがたまげた。こういうのは贔屓の引き倒しなのかもしれない。

それはともかく長谷川堯の私性というコンセプトも同時代であったぼくには、もちろん人さまが私的全体性などということにはとくに異論はない。ただもちろん、それはあたり前に保証されていることではなく、それを追求するという思想なのであって、そもそも私的全体性が求めれば可能であるように思えるのも、近代社会だからこそである。

近代は歴史という枠組みをつくったのだし、現代を歴史の最先端として位置づけるのが批評の役割なら、たしかにペヴスナーもサマーソンも歴史家にして批評家であった。

八束はじめは、きわめて理論的に、現代はポストモダンであるので「歴史=近代」という図式がなりたたない、と指摘しているようである。

S教授はぎゃくにきわめて経験主義的に、丸の内地区の歴史にふれながら、建築を成立させる諸条件が変わってゆくことを指摘している。

ここで彼は、いずれにせよ歴史は現代と対峙しなければならないと結論づける。ただこの断言は、きわめて唐突に、断言的になされている。

・・・もしこれが対論だとしたら、両者の主張はあまりかみあっていないのだが、それでも行間には、あるいは文章の背景にはいくつか共通する方向性はありそうである。たとえば過去しか語らないのは歴史とはいえない。ほんとうの歴史は現代をも視野にいれるものである。歴史的視野において現代を語るのが批評である、というような姿勢。

都市の「哀しみ」とはいかなる哀しみであるのであろうか。それは都市に内在する属性ではないことは、はっきりしている。それは都市を見つめる人の心のなかにわいてくるものである。そしてこの人は、だれよりも都市の歴史と物語を熟知しているのであり、そのことにおいて、特権者であろう。いやそれは都市のスピリット、場所の精神、などが憑依する対象としての人間個体なのかもしれない。

この悲しみをいだく「私」は、もちろん近代社会のなかの存在なのであるが、しかし同時に、歴史や社会そのものを引き受けようとする、ある意味で(王様でも皇帝でもないのだから)、逆説的に強い私でもある。

これも近代的自我なのである。社会的に生産された「私」でありながら、全体を俯瞰できるというように思っている。そういう個体が成り立ちうるのが近代というものの時代の特性なのであろう。

そうすると「私的全体性」という理念が自分と地球の運命とをショートカットさせてしまう「セカイ系」と同じようなものとするのは、短絡のようでいて、ミもフタもなくそのとおりなのかもしれない。

そして日本において歴史と批評が別モノとなっているとしたら、こうとも換言できるのではないか。

(仮説1)批評/歴史が成立した順番。

ひょっとしらた建築のご本家では、まず批評というものがあって、それを母体にして歴史がでてきた。だから批評には歴史が内包されているので、どのような歴史を書こうが批評的である。

日本では近代化の乱暴さのなかで、まず歴史があって、そのなかから批評がでてきた。あるいは西洋からまず建築史を導入して、諸概念を学習し、その成果をふまえて批評がされるようになった。だから歴史は批評を内包するかもしれないが、批評性なしの歴史もできるようになった。よく事実主義的歴史と揶揄されるのは、こんなことである。

・・・さてこの推論はいちおうできてはいるが、おもしろい結論ではない。

(仮説2)批評の歴史の不在

批評すわなち現代建築についての論評と、建築史が分断されているのは、そもそも、さまざまな批評のテキストを、編年史的にまとめ、その歴史を描こうという作業がなされていないからである。つまり「批評史」が書かれていない。なぜ書かれないかというと、面白くないから。なぜ面白くないかというと、20世紀後半になっても思想の輸入にたよっているからである。建築批評輸入史なら描けるが、・・・というわけである。

ひきつづき明日も考えてみましょうか。

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