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2009.11.02

稲垣栄三『歴史的環境保存論』

この夏出版された文献で、稲垣の60年代からのさまざまな論考がしっかりしたパースペクティブで巧みに編集されている。

60年代から00年代までの保存に関する話題がほぼもれなく言及されていて、半世紀ちかい時空を追体験できるようになっている。すでにリアルタイムでかなり読んでいたつもりであったが、はじめて読むのも少なくなかった。

かずかずの論文のなかで『ミューズの幽閉』は別格であり、稲垣の保存にかんする、いや建築にかんする思想の一部を表明したものである。

「鑑賞における想像力は、創造における想像力とは異質のものではありえない。」

というような味わい深いことばで、歴史的建築の保存、あるいは近代的な課題であるミュージアムという時空のなかに、本来の時間と場所から切り離して、制作物を分類するという近代知のありかたを、むしろ擁護している。

ぼくは前項で、ブルクハルトが『チチェローネ』で再評価しようとしたのは「鑑賞」という営みではなかったかと指摘したのであるが、その翌日の稲垣の「鑑賞」論に遭遇するのは見えざる手のなせるわざなのかもしれない。あるいはぼくの無意識なのかもしれない。

ただぼくは、稲垣がなにかをストレートに肯定するというようなことも考えられない。彼の平明でダブルミーニングなどまったくないような文体の背後に、しかし、逆説が潜んでいるような気がする。それは現代の文明とは成熟せずに「幼児」でありつづけることだ、というようなくだりである。成熟した大人が、最大級の絶望を、しかしこともなげにいう、そんな語り方なのである。

たとえば復原とは一種の創作である、という簡素な表現にも、復原はだからクリエイティブな営みである、とも解釈できるし、同時に、復原はけっきょくはねつ造でもある、とも解釈できる。もちろんその両方なのである。だから結局はダブルミーニングであり、根本的な絶望の表現ともなっている。

大森荘蔵という哲学者がいうには、過去は端的に不在であって、人間はくりかえしくりかえし過去を制作するのである、といったことと、ほとんどおなじ意味であろう。1000年前の建築が残っていたとしても、1000年前の過去がそこにあるわけではない。そこから過去を想像するには、才能あふれるアーティストが心身をすりへらして作品を作りあげるのと同じくらいのイマジネーションが必要なのである。だから過去の再現などと軽々しく考えるな、と稲垣は言っているのである。

稲垣はつくづく諧謔を希望で粉飾する才に恵まれたたぐいまれなる知性であった。

さて稲垣が保存論(=文化財論)を学習するにあたって、西洋の先進性と日本の後進性という意識がつねにあったようであるし、日本の明治以降の法制度がいかにつくられたかはほとんど触れず、もっぱらヨーロッパの19世紀を論考の対象としている。

後の世代の専門家たちはより詳細なスタディをしているが、保存論をひとつの思想として哲学として論じようとしている姿勢は、稲垣に比して、むしろ後退している印象である。

いわゆる保存や遺産の専門家たちは、法制度の専門家であって、保存の意味は法制度をふかく研究することで判明すると理解しているのではないか、という印象をうける。しかし法制度を生み出したのは、そこまでに哲学であり思想であり、法制度以前になされた先駆的であるがしっかり充実していた保存の行為と実績である。法制度だけに注目していては、なぜ19世紀の保存は教会建築が中心なのか、とか、保存制度と政教分離がじつは連動している、といったことがわからない。フランスではまず文化財リスト作成が先行し、しかるのちに文化財法ができた、そのようないきさつも理解しにくいであろう。

さらにいえば保存論によって建築理論は深化し、そこから近代建築が生まれたという歴史的経緯もわからないであろう。近代建築が歴史的建築を破壊したのではない。保存が近代を生んだのである。つまり保存はある歴史意識において成立するのであって、それは過去との断絶ということである。保存はすぐれて近代的意識なのである。

稲垣は、ヴィオレ=ル=デュクとラスキンを対比的に論じて、近代の保存思想の出発点としていることはきわめて正統的である。しかしほんとうはその両者にいたる論の積み重ねがほんとうは重要であって、稲垣はそこまで踏み込む必要は感じていないようだ。ルネサンス以降の西洋(建築)文化の矜持などという表現でうまくすりぬけているようである。ぼくは稲垣の知性をもってさらに外国語を征服していればたいへんなことになっていただろうと想像する。

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