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2009.11.01

ブルクハルト『チチェローネ』

1855年に出版されたとても有名な文献である。その建築に関する部分である。英語版をぱらぱらめくって読む気をなくした程度のつきあいしかなかった。数年前の邦訳を入手して読んだ。

読み物としては面白いと思った。翻訳者の解説によると、イタリア諸都市を旅行しながら、午前は見学し、午後は執筆していたらしい。うらやましい。そんな感じでぼくも西洋建築史を書いてみたいものである。ブログを書くのもそのかわりなのかもしれない。

ブルクハルトはヴィンケルマンとゲーテの系統である。また彼の探求と執筆は1848年の二月革命の前後であり、自由という価値への指向はつよい。

パエストゥム神殿の解説からはじまっており、その点でもゲーテ的である。

ただ建築の記述はオーダーの話しがほとんどで、もちろん細部の装飾、空間、構法などもなくはない。しかしオーダー中心の説話は、彼の意識がむしろ17世紀や18世紀に近いことを物語っている。

専門家からの評価は低い。理念や理論がなかったわけではないが、ゲルマン的、北方的、単純でかつ偉大(ヴィンケルマンの単純なる高貴さと静謐なる偉大を思い出させる)、有機的、全体性、などの概念はそれそのものとしてはしっかいしている。でもそれらによって一貫した論を構築しているのではない。

ルネサンス賛美が最終目的でありながらも、ゲルマン的/イタリア的という対比はあとの世代が発展させるであろう。

旅人として移動しながら建築を論じている。翻訳だと斜め読みができるので、そのスピード感は感じることができる。なんでも鉄道で旅したという。当時としてはたいへん新しい旅行法であって、以前からあった見聞録とはひと味違うのはそういう背景があるのかもしれない。

背景と言えばブルクハルトの同時代人としてゼムパー、ヴィオレ=ル=デュク、ラスキンらがいる。彼らが19世紀の学問を基礎づけた理論を構築した。しかしブルクハルトは学知としては古くさいものを活用している。

ブルクハルトはむしろ「鑑賞」することの重要性を説いているように思える。毎日々々、歩き回って、自分の鑑識眼に誇りを持って、つぎつぎと作品を見る。そこには一般理論で解説できて悟性的に理解できることいじょうに、なにか発見や、大小の疑問や、あらたな発想が得られるであろうし、そういう新鮮さもふくめて、大文字の芸術と心身が結合されるような実感をいだくこともできるであろう。チチェローネとはつまりキケロであり案内人である。グランドツアーによりイタリアを訪れるイギリスやフランスの貴族たちにチチェローネたちが案内役をかってでたのは前世紀である。その前世紀的であることの意識があったのではないか。

ぼくは、19世紀という大学問の構築期にあってブルクハルトが時代遅れであったというより、彼はそんな時代の流れを十分意識して自己責任において、わざと時代に逆行しようとしたとさえ思える。

しかし逆説的に、体系的でない「鑑賞」によって、その現場によって萌芽的ないくつかの概念が誕生しているようにも観察される。もしそうした現場の力がほんとうにあったとしたら、読者が建築に対峙するその心構えもすこしは変わってくるかもしれない。

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