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2009.11.22

ふくはく見聞録

土曜日、テレビの収録で市内をまわった。

まずは元福岡相互銀行。

保存か取り壊しかで揺れているこの磯崎物件をひさしぶりに見る。インド亜大陸の建築の写しである。赤いインド産砂岩と白大理石のくみあわせ。それはムガール王朝の霊廟建築そのものである。

ふと気がついた。明治いらい、銀行建築はイギリスのものなどを手本としてきた。基本は古典主義であり、お金を預かり信用を基本とするので、堅牢で誠実さをあらわすグレーの御影石などがよく使われた。銀行建築はグレーなのである。しかし福岡相互銀行は「赤」である。

しかし建設当時、グレーか赤かという葛藤があったとは聞かない。インド産砂岩という意味づけで納得されたのかもしれない。しかし銀行建築に赤というのは、よくよく考えてみれば、とんでもないことである。

さらに同時代、黒川紀章が福岡銀行を建設している。黒川さんは日本文化としてのグレー文化(利休ねずみ)を主張し、この銀行でも色はダークなグレーである。ある意味、正統派である。

ここでの福岡相互銀行/福岡銀行のライバル関係は、磯崎/黒川、赤/グレー、インド/日本という背景で火花をちらしていた。ダイナミックであった。

つぎに博多小学校。都市型複合施設としての小学校である。ここはわりと平均的なコメント。管理者のおじさんに案内してもらったが、彼が誇らしげに説明しているのが印象的であった。愛されている建築である。

午後は伊東豊雄さんの「ぐりんぐりん」である。模型が飾ってあったのでひさしぶりに見たが、帯を180度ずつ2回ひねるという明快な操作であることにあらためて感銘。実現されたものは構造の制約があってその意図は100%表現されてはいない。しかし50%の実現率であっても、内部から外部へシームレスにつながっている空間体験の妙があるのは、基本がしっかり構想されているからである。

池をはさんで伊東監修の学生作品である土のフォリーがあった。それをバックにカメラにむかって最後のコメントをする。

東京や関西で明治時代から建築学科があったのとはまったく異なっていて、地方都市である福岡には戦後はじめて大学の建築学科ができる。その最初の学生たちが定年退職したのがやっと10年ほど前である。第二サイクルにはいったばかりである。

70年第から90年代まで磯崎・黒川・吉村らの県外有名建築家、グレイブス、コールハース、ホール、ポルツァンンパルク、ジャーディ、ペリ、ロッシなど有名外国人建築家たちが呼ばれ建設していった。もちろん外タレ批判もあったし、経済優先という指摘もあった。しかし地元大学建築学科の最初の卒業生たちがやっと30歳ころになったときに、地元プロジェクトを依頼するのはやはり県外建築家であったのは当然である。

事情を知らないひとは、県外の建築家ばかりですね、地元の人はなにをしてるんですか、などと批判する。しかし当然そうなってしかたない事情があったのである。

しかし状況は10年ごとに格段に進化する。地方であっても中堅建築家たちはアメリカやヨーロッパで修行して戻ってきて意識も能力もグローバルなレベルにシンクロしている。さらに各種学生プロジェクト講評会などのおかげで地方の大学生であっても首都圏の建築学生との交流は盛んで、かつての地域ギャップはかなり小さくなっている。地方はこれから成熟するのである。

そのときいわゆる外タレ建築といわれたものも、若い世代にそれなりに刺激をあたえた良きテキストであったことがわかるであろう。

成熟の時代、そのときかならずしも大プロジェクトの大建築だけが中心だとは限らない。小規模の建築であっても、理念と哲学によって、時代をリードするものは生まれうる。「小さな大建築」などというものがでてきてほしいものである。

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