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2009.10.31

シュマルゾー『芸術学の基礎概念』

建築の本質は空間ということにある、ということを指摘して、近代の建築空間論の嚆矢となった有名な文献である。1905年出版。翻訳は2003年。遅まきながら読んでみた。

まずこれは格闘の書である。つまりゼムパー、リーグルといった19世紀の巨匠たちを建設的に批判しながら芸術の「基礎」を構築しようというのであるから。ゼムパーというよりその亜流の唯物論的機能主義者たちに対する批判。「目的」のなかには即物的なものだけではなく精神的なもの人間的なものも入っているという主張。リーグルの貢献は評価しつつ、彼が古代芸術をその「平面性」において評価したことへの批判。シュマルゾーはそのようなことから「空間」を主軸として芸術を論じるのである。

といってもシュマルゾーの空間論は、いわば本質論的空間論であって、絶対空間論でも均質空間論でもなく、ましてや空間のさまざまなタイプを列挙するタイポロジーでもない。彼は人間の芸術活動の根源に人間の「身体性」を措定して、その身体が触覚や視覚により周囲を把握し、また(おもに)前後に移動することから奥行きの概念を重視しすることで、「建築の空間性」の理論的根拠を明らかにするのであった。

もちろん彼の空間論は、なんども紹介されてきた。しかし原著で読むのと、紹介で理解するのとでは、かなり印象はちがっていた。

個々の記述にはかなり面白いところがあってアンダーラインをひいたりメモをとったりした。普段はまあまりしませんが。これからなにか使えそうな文献であった。

こういう野心的な文献をよむと、まず著者が生きた状況を推測したくなる。まずウィーン学派の動向というものがあろう。それから近代芸術運動、近代建築運動との関連。ぼくとしては影響関係というより同時代を共有していたことと思いたい。ある種の還元的思考があったと思う。

まず建築史の領域では、19世紀における建築史学の発展で、古今東西の建築データが集積されて、それを百科全書的、あるいはデータベース的に編纂するか、それならどう体系づけるか、あるいは多様なデータの上位にたって包含できる理論的な骨格をつくるべきか、それならどのような理論によって、などという段階にたっしていた。基礎理論を構築するなどという冒険をするべき時期であったと思う。

もうひとつは近代建築運動との関連である。ここは微妙である。一般的には彼の空間重視の発想は、建築家たちに影響を与えたであろう。しかしミースの均質空間論はむしろ人間の非中心化を構想するニヒリズムなのであって、シュマルゾーの人間中心主義とはえらく違う。またフランプトンが建築構法を軸にして近代建築史をまとめているように、構築術というのは中心的課題であった。鉄、RC、ガラスなどの多用化で建築がいっきに変わった。しかしシュマルゾーは構築術には冷淡である。

しかしぼくはこの「冒険」を肯定的にとらえたい。つまり歴史的建築の総目録がほぼできたと思えると同時に、まったく新しい近代建築が登場していた時期。とてもエキサイティングでありながら、じつは歴史のエアポケットであった。つまり基礎概念を構築しようということは、この移行期において「基礎」がなかった、ということを物語っている。その自覚と冒険精神があることを感じる。文章は力みがあり、これでもか、という書き方なのだが、著者のそんな置かれた歴史的位置をものがたっているようだ。

最後に、主観性への没頭によって客観的なあるいは普遍的(超越的)世界にいたるという構図は、ドイツのロマン主義そのものではないかとも思える。たとえばフリードリヒの風景画において、人物=樹木=マスト=・・・=垂直線、という抽象/具象をこえたシンボリズムが展開される。これなどを下敷きにすると、シュマルゾーの理論もわりとすぐ腑に落ちるのであった。

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