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2009年10月の8件の記事

2009.10.31

シュマルゾー『芸術学の基礎概念』

建築の本質は空間ということにある、ということを指摘して、近代の建築空間論の嚆矢となった有名な文献である。1905年出版。翻訳は2003年。遅まきながら読んでみた。

まずこれは格闘の書である。つまりゼムパー、リーグルといった19世紀の巨匠たちを建設的に批判しながら芸術の「基礎」を構築しようというのであるから。ゼムパーというよりその亜流の唯物論的機能主義者たちに対する批判。「目的」のなかには即物的なものだけではなく精神的なもの人間的なものも入っているという主張。リーグルの貢献は評価しつつ、彼が古代芸術をその「平面性」において評価したことへの批判。シュマルゾーはそのようなことから「空間」を主軸として芸術を論じるのである。

といってもシュマルゾーの空間論は、いわば本質論的空間論であって、絶対空間論でも均質空間論でもなく、ましてや空間のさまざまなタイプを列挙するタイポロジーでもない。彼は人間の芸術活動の根源に人間の「身体性」を措定して、その身体が触覚や視覚により周囲を把握し、また(おもに)前後に移動することから奥行きの概念を重視しすることで、「建築の空間性」の理論的根拠を明らかにするのであった。

もちろん彼の空間論は、なんども紹介されてきた。しかし原著で読むのと、紹介で理解するのとでは、かなり印象はちがっていた。

個々の記述にはかなり面白いところがあってアンダーラインをひいたりメモをとったりした。普段はまあまりしませんが。これからなにか使えそうな文献であった。

こういう野心的な文献をよむと、まず著者が生きた状況を推測したくなる。まずウィーン学派の動向というものがあろう。それから近代芸術運動、近代建築運動との関連。ぼくとしては影響関係というより同時代を共有していたことと思いたい。ある種の還元的思考があったと思う。

まず建築史の領域では、19世紀における建築史学の発展で、古今東西の建築データが集積されて、それを百科全書的、あるいはデータベース的に編纂するか、それならどう体系づけるか、あるいは多様なデータの上位にたって包含できる理論的な骨格をつくるべきか、それならどのような理論によって、などという段階にたっしていた。基礎理論を構築するなどという冒険をするべき時期であったと思う。

もうひとつは近代建築運動との関連である。ここは微妙である。一般的には彼の空間重視の発想は、建築家たちに影響を与えたであろう。しかしミースの均質空間論はむしろ人間の非中心化を構想するニヒリズムなのであって、シュマルゾーの人間中心主義とはえらく違う。またフランプトンが建築構法を軸にして近代建築史をまとめているように、構築術というのは中心的課題であった。鉄、RC、ガラスなどの多用化で建築がいっきに変わった。しかしシュマルゾーは構築術には冷淡である。

しかしぼくはこの「冒険」を肯定的にとらえたい。つまり歴史的建築の総目録がほぼできたと思えると同時に、まったく新しい近代建築が登場していた時期。とてもエキサイティングでありながら、じつは歴史のエアポケットであった。つまり基礎概念を構築しようということは、この移行期において「基礎」がなかった、ということを物語っている。その自覚と冒険精神があることを感じる。文章は力みがあり、これでもか、という書き方なのだが、著者のそんな置かれた歴史的位置をものがたっているようだ。

最後に、主観性への没頭によって客観的なあるいは普遍的(超越的)世界にいたるという構図は、ドイツのロマン主義そのものではないかとも思える。たとえばフリードリヒの風景画において、人物=樹木=マスト=・・・=垂直線、という抽象/具象をこえたシンボリズムが展開される。これなどを下敷きにすると、シュマルゾーの理論もわりとすぐ腑に落ちるのであった。

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リーグル『ローマにおけるバロック芸術の成立』

翻訳が出たので読んだ。

これは美術史学の文献であって、ぼくのような中途半端な建築史家などが論じられるような対象ではないのであるが、建築史学にとっても不可欠な対象であるだけに、素描ということで感想を書いてみる。

クルフトもそうなのだけれど、ドイツ語文化圏の学者は、普遍的なものを論じるために自国の伝統ではなくイタリアを論じるのである。フランス人なら、ルネサンス以降のイタリア文化依存を自覚し、イタリアへの敬意は忘れないが、基本的にはフランスの芸術のみを語る。しかしヴェルフリンといいリーグルといい、クルフトはイタリアを経由して普遍を語るのである。

もちろんノルベルグ=シュルツが浩瀚なドイツバロック建築論を書いているように、フランスの端正な古典主義にたいして、ドイツの豊満で豊穣なバロック建築はすでにドイツ的なものの域に達している。リーグルはそのバロック=ドイツ的を知っていて、そのバロック概念を構築するために、ローマのみを語るという回り道をあえてしている。

もちろんヴェルフリンのゲルマン/ラテン論になるような、北方的/イタリア的といった融合的対比、ゴシック的/バロック的といった対比において、バロックのなかにいわゆる北方的なものを見るという立場である。しかもバロックは古代を凌駕したという繰り返される指摘は、これはゲルマン的なものは古典古代に勝るという自負を、きわめて婉曲に述べているように思える。フランス人は17世紀、近代人は古代人を乗り越えたとたからかに公言したのであるが。ドイツ語圏はそうではないのである。

ちなみにこれは異なる文化圏間の交通のようなもので、20世紀なら、ル・コルビュジエを理論的に論じることで、その理論的考察を自国文化にしてしまったアメリカ東海岸の動向と同じようなものと思える。コーリン・ロウによるパラディオ/ル・コルビュジエ分析は純粋に理論的であったが、同時期にマイヤーやヘイダックらいわゆるホワイト派によるル・コルビュジエ的建築展開があった。まあこれが、ウィーンでバロックリバイバルが起こりつつその同時代にリーグルがバロックを論じる、そういう構図の繰り返しに思えるのである。

読み物としては、建築を分析するにあたって中庭的原理(古代住宅のアトリウム)からファサード的原理(イタリアのパラッツォ)に移行するといい、ファサードは絵画的であるとして、さまざまなパラッツォについて述べるのであるが、正直いって、ここは退屈であった。後段で絵画をさまざまに論じている部分はまったく眠気を感じなかったのに、対照的である。ほとんどリーグルは絵画を語る人であって、おなじ能力を延長したために、建築=絵画という視点をむりやり導入しているかのようである。

もちろんこれはリーグルの説明によって建築を理解しようとするなら、そうなのである。

実際は、本書は美術一般を理解するために読むのではない。現代において本書を読まねばならないのは、リーグルの思想そのものである。その思想が作品であり、理解すべき対象であるからである。

ようするに約100年前、美術史はどう構想されたか、ということである。それに付随して、建築史はどう構想されえたか、リーグルの頭脳のなかにおいて。という視点から読むのである。

彼は二元論を多用する。北方/イタリア。ゴシック/バロック。彫刻的/絵画的。触覚的/視覚的。その二元論の構図をおきながら、しかし個々の作品の解説においてはたんなる分類には終わっていない。

彼の歴史観そのものは、二元論的のようで二元論に終わっていない。つまり極端な形式論をまず提案しながら、それがいわゆる芸術意志によってダイナミックに変容するというかたちで美術史を描く。つまり静/動、形式/運動、構造/力、である。そう考えるとリーグルというのは完全には開発されずに終わった(それでも実り多い)ひとつの可能性であるかもしれない。建築史的にはそのほうが面白いのだが。どうもぼくにとってもリーグルはこれから取り組むべき対象であるようだ。

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2009.10.29

クルフト『建築論全史Ⅰ』

建築論のトータルな歴史(その1)ということで、ど真ん中の直球のような文献である。

最近は中間管理職的な仕事がおおく、専門書に飢えていた。だから2段組430ページもいっきに読んでしまった。

すこし解説すると、建築論というのはこの場合、古典主義建築とほとんど同義である。その流れを古代のウィトルウィウスから18世紀の啓蒙主義の時代までを論じている。著者が選んだ主要な建築書を、一冊々々丹念に解説するようなやりかたである。

読了しての印象はというと、面白くない。

ウィトルウィウス論にしても、ルネサンス論にしても、もっと知的で深くて広がりのある建築論解説はもっとたくさんある。これまでも書かれてきた。そもそもウィットカウアの著作など、それこそ建築論トータルを征服しようというものであった。でもこの書は、一冊々々の誠実な解説といったものである。副題に「建築論事典」とあるから、ああそうかと思って読めばいいのかもしれないけれど。

築城術にかんする章も、代表的文献を目配りよく紹介しているが、そこにとどまっている。そもそも築城=国家による領域支配なのであって、大砲の技術的進化も決定的であろうが、それよりヨーロッパ大陸内部での支配地の拡大や縮小、それを反映しての国土意識の変化、ひいてはランドスケープ意識の成立、あるいは植民地支配といったヨーロッパ世界の拡大、という文脈において今の研究者たちは論じているはずだ。どうも視点が現代的でない。

いい意味で批判的な意見としては、ブレやルドゥのプロジェクトが「革命建築」とされるのは誤解だというくだりである。そもそもカウフマンはフランス革命とロシア革命をパラレルに論じたかったので、ブレらの建築=ロシア・アヴァンギャルド、という強引な図式をもちこんだのであった、という。なるほどよく見ると革命建築とされるものは、むしろ18世紀の爛熟した、しかしデカダンスに満ちた、社会を反映しているのである。

こういう偏見はあまりよくないかもしれないが、原著はドイツ語で書かれていることがポイントである。古典主義というのは、イタリアとフランスが中心であり、イギリスやスペインでさえ傍系である。そういった建築論=古典主義を、ゲルマン的文化を継承してきたドイツ文化圏から論じるのである。

だからよくいえばバランスがよい。イタリア、フランスだけではなく、オランダ、ドイツ、スペインなども論じている。しかも主要国からの影響だけでなく、オリジナルな論考がそれぞれの国にあったことが指摘されている。こうした構図ではイギリスも最後に論じられるだけで、従来の各国の文化的ヒエラルキーが若干覆されている。つまり古典主義を論じるわくぐみをかなり広げているのであって、これはクルフトだからもちえた視点であろう。

とくに建築オーダーはやはりイタリアで確立されたが、フランスには「フランス式オーダー」を確立しようという試みがあったように、ドイツ式オーダー、スペイン式オーダー、英国式オーダー、さらには源泉においてはソロモン(神殿)式オーダー、チュロス・オーダーもあったという考察もあったことが、紹介されている。

しかし古典主義=建築論を論じることの難しさはそこにある。つまり建築論はそれじたい普遍的であろうとするし普遍性を求める。そしてクラフトは、古典主義はたしかに普遍的であって、イタリアが中心としても、フランス、ドイツ、スペイン、イギリスにも独自のオリジナルな探求がある。しかし結果として描かれているのは、××式オーダーというような個別の現象である。もちろん普遍にして個別だなどということもできるであろう。

しかしそれでも普遍性を求める「理論」がここでは相対化されていることも否めない。結局、古典主義の良質の部分もまた、フランスにおけるアカデミズム、イギリスのおけるホイッグ党、スペインにおけるフェリペ2世宮廷といったバックグラウンドとの相関で語るときに魅力的なものに映る。

そうすると「理論」(普遍化をめざす)の「歴史」(相対化をめざす)などということがそもそも可能なのか、とも思えてくる。

でもまあぼくの関心を刺激していただいたのだから、文句というより、感謝のつもりでいったまでである。

誤植は若干あるが(人のことは言えないかもしれませんが)、読みやすい翻訳である。Ⅱ巻は19-20世紀に関してであろう。それも読みたいものである。

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2009.10.25

日曜日だからね

ゆっくりすごすべきだね。

8時までぐっすり寝ていたね。目覚めは快適。シリアルをいただいて、今日はどうやって遊んでリラックスして、楽しもうかななんて考える。

日曜日だもんね。

習慣でPCをONにしてカレンダーをみるといろいろ指示が書いてある。

しかたなく授業の準備をする。1年生に90年代建築論を話すという。なんと無茶な。現代建築が一番むつかしいのだから。ここは格段に工夫しなければならない。で、雑誌のバックナンバーをパラパラめくる。90年代はけっこう雑誌に建築評を書いていた時期なので、候補はいっぱいある。しかし10年後になって、入門者むけということになると、以外と限られる。

ということでビルバオのグッゲンハイム、横浜の国際旅客ターミナル、せんだいメディアテークという無難な選択となった。ついでにアートポリスのこととか話してみようかな。テーマはいろいろ考えてもみた。この機会に90年代をぼく自身のために再考しようとした。しかし自分自身にこれ、と思えるほどの確信は生まれなかった。今後の課題にしよう。ということで入門者向けということで、「融合」なるテーマ。造船技術、航空機技術、建築技術の融合。建築、都市、ランドスケープの融合。手作りとコンピュータの融合。などなど。融合といえばいい印象を与える。しかし建築という領域の輪郭が融解し始めたといえば危機的に聞こえる。ついでにいうとリアル/バーチャルの境界がおおいにゆらいだのもこの時期であった。

コンセプトづくりはその程度にしてパワポを準備する。ぼくは結構スライドのデジタル化も進めたし、専門内であれば画像はすぐ整理できる。2時ころには終わった。

日曜日だからね。

こんなことばかりしてるわけにもいかない。自転車にのって海辺までゆく。15分ほどで着く。途中、ラジオ局のそばでお祭りをやっていた。露天がならんでいた。この地域のイベントはすぐ盛り上がる。駐輪場に自転車をおいて、歩道橋をわたって海岸である。海岸沿いの砂浜ではビーチバレーをみんながやっていた。ここもすごい盛り上がりである。もうそろそろ11月なんですけど。

しばしたたずむ。あまり長くいると不審者と思われるので、帰る。

ここの海岸は人工的につくったものだ。だからアクセスが限定された公園である。直接自転車で海岸にアクセスする経路をさがしたが、見つからなかった。

いちど自宅に戻って、プールにでかける。自宅から自転車で2分のフィットネスである。軽く500メートルほどクロールする。以前はかるく1000メートルだったけどね。いろいろありましてね。

自転車で来てるから、ついでにスーパーで買い物して、クリーニングをとってきて、自宅にもどると、空は暗くなり始めている。

夕方、もう一件思い出した。学会関係の重要な仕事をわすれていた。これは学会が学会であるために基幹的に重要なもので、逃げていると結局自分が苦しむので、攻撃は最大の防御、とにかくやっつけることにした。水泳のあとだから集中力もアップしている。カチャカチャとやっていると、あっというまに11時である。完了!

今日はよかったなあ。自転車にのって、海辺にいって潮風に吹かれて、プールで泳いで。海岸近くの町には、高層住宅、県立図書館、博物館、戸建て住宅地など、とても人工的なところである。街路樹などのランドスケープも、きちんとしているぶんだけ、わざとらしい。良くできた郊外住宅地でも、いやそんなものに限って、快適さとそれに比例する嘘っぽさがある。いわゆる勝ち組だけが住んでそうな、高級住宅街である。でもそこに永住したい住民なんてほとんどいないだろう。でも、ぼくはそんな嘘っぽさがけっこう好きなのである。皮肉ではなく。ほんとうに。

仕事と仕事のすきまの、宙づりになった時間。そこにあるつくりものや、嘘や、虚構や、むなしさ。それが休息の意味することなのであろう。へんに充実してたらテンション上がりっぱなしだものね。・・・リアル/バーチャルの境界のゆらぎ、なんてそんな時に感じたりする。

日曜日だものね。

日曜日なのにね。

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2009.10.18

三菱一号館について

16日、建築学会で三菱一号館の再現についての鼎談に参加した。建築雑誌に掲載されるので、ここでは時間がなくてじゅうぶん話せなかったことを書く。ぼく自身のためのノートでもある。

一度完全に取り壊された明治建築が、図面や保管されていた当所材をもとに再現された。

こうした再現やレプリカはべつによくあることで、悪いことではない。日本の古建築の解体修理などはかなり大胆である。また近代の保存美学のきっかけとなった彫刻「ラオコーン」も、レプリカである。古代ギリシアのものの古代ローマのレプリカであった。しかしそのレプリカの再発見をつうじて、ヴィンケルマンは古代美術の理念を構築したのであった。そもそも芸術とは本質的に「模倣芸術」なのである。オリジナルだけが尊重されるのは近代特有なのであって、もし歴史性をもとめるのなら、判断する側の美意識も歴史的になってほしい。

鼎談では、「明治建築の再現+超高層オフィスビル」という開発行為にたいする批判があった。手続きがどうかとか、容積率操作がもはや保存を容認しないものとなっている、というようなことである。これはこれでもっともである。

しかしぼくは「明治建築の再現+超高層オフィスビル」という組合せは、まったく別の背景を、まったく意図せず反映している点で、ほんとうに興味深いと思った(のだが発言する時間がなかったので、ここに書いている)。

つまり戦後の構図は「開発か保存か」であったが、まさにここでは再現建築=保存、超高層=開発、であり、この戦後二元論をそのまま踏襲している。当初は二律背反の二元論であった。しかしいまでは開発側もそうとう優秀になって、両立しようと意図すれば、そうできるのである。

でも開発/保存の二元論そのものに限界はないか?

もうひとつ気づいたのは、丸の内のオフィス街の鳥瞰写真を眺めてしみじみ思う、その単調さ、匿名性である。いわゆるデザイン性・芸術性は感じられない。低スペックであった日本のオフィスの更新、アジアでの超高層ブームすらすでにかなり前であり、最近ではヨーロッパで超高層ブームであり、展覧会も開催されている。そうした世界の動向をみていると、なるほど容積は稼いでいるが、どうもまだまだスーツ姿のサラリーマンといった風情で、個性がない。

ぼくは、保存派の人がいうように、明治建築を保存してもそのすぐ後ろに超高層をたてるのはけしからんなんて思わない。

つまり上記の「明治建築の再現+超高層オフィスビル」という構図は、「明治建築=芸術・歴史性」であり「超高層=能率・ビジネス」という棲み分けである。きびしい言い方をすると、明治建築の保存ということで文化性を担保することで、超高層はひたすらスペックとパフォーマンスということに向けられている。だから超高層は匿名的になる。ヨーロッパの超高層が個性もあって魅力的であるのとは正反対である。ヨーロッパは遅れてきただけ、逆に芸術性と建築的魅力で凌駕しようとしているかのようである。

保存/開発、芸術/スペックという二元論の果てにおこるか?歴史の滅亡である。

つまりこのプロジェクトは、明治が歴史(文化)をやります、現代はスペックです、ということを露骨にいっている。ここでは「歴史」とは「明治」のことである。ならば現代は歴史ではない、ということになる。それは文化でもないというロジックになる。

歴史とは過去の一点ではない。歴史は流れ、いくつかの特徴ある時期をへて、現代にいたる。だから丸の内が明治だけを再現しようとするのは良くない。ロンドンを模範とした初期、アメリカ型オフィスへの転換、31メートル規制の撤廃、巨大建築論争、グローバル化でのオフィス更新、そして最近の再現建築といった一連の流れが歴史なのである。

で、なにがいいたいか。

三菱一号館の再現そのものは賛成である。ただその魅力を最大限に引き出しているかどうかが疑問だ。たとえばレンガのテクスチュアを踏襲することで、新旧の連続性を表現していることが、ぼくには不満だ。そういうことではないと思う。対比/融和という二分法の問題でもないはずだ。

たとえば菊竹清訓が出雲大社の付属施設をたてたとき、彼は単純な過去様式の延長も、陳腐な過去/現代の対比も求めなかった。建築の本質において、対話し、対決し、格闘し、そのことによって伝統的な神社建築とRC建築が、たがいに個性を認めあうようなことができた。理想をいえばそういうことである。

三菱一号館が明治のすばらしさを体現しているとすれば、その隣の超高層は21世紀初頭にしかできない魅力と空間性を持っていなければならない。しかしそれが感じられない。想像するに、それは三菱一号館再現ということに文化をほとんど預けてしまったからなのではないか?それが保存/開発、文化/スペックという二元論の帰結ではないか?

ようするに「明治建築はすばらしい。現代建築もがんばろう」と言いたいのである。もちろん大正も昭和もがんばってほしいのですよ。

で、開発/保存の二元論そのものの限界であるが。

この二元論は、日本の乱暴な近代化という事情があって、くわしく調べてはいないが、かなり日本固有ではないか。たとえばヨーロッパでは修復/保存という二元論なのである。このことの理解がどうも日本では希薄である。次回にはそのことを書いてみたい。

蛇足だが、保存派の人はどうも建築史家をこれはなに様式、これはなに時代とかを判断する古物鑑定人としてしかみていないようである。そうではない。歴史家は歴史観をもっているから歴史家である。その歴史観をもって過去も現在も語れなければならない。

しかし歴史と現代を切断してきたのは建築史家でもあって、ぼくも一方的に批判する資格があるとも思っていない。歴史家は、歴史観において責任をもつ。ならば歴史観を鍛え直すことも視野にいれるべきである。自戒として。

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2009.10.07

虚構/リアル

近代日本の建築は、この虚構/リアルという対立軸で成り立っていたように思える。

それをめぐって人と人はあらそうことはある。が、業界としてはその対立軸で繁盛する、そんな良くもあり悪くもあるような構図である。

虚構として成り立つ、虚構によって成り立つ建築とは、なにか?

たとえば日本固有の国民様式はなにか、というような議論の仕方である。すでに登場したさまざまな建物の共通項を探るのではなく、これから国民様式をつくろうというのである。ほとんど虚構宣言である。1930年代に確立した日本的なものの美学もそうである。美学によって日本というものを再編成して、その輪郭をはっきりさせようとうものであった。

丹下健三先生も、一貫して日本という近代国家の肖像を描こうとしていた。皮肉なことに、代々木オリンピックプールのいきさつで、この近代と伝統を止揚した傑作のゆえに、日本国内機構から疎外され、海外に重心を移す。海外の作品は、方法論的に一貫していうがゆえに、矛盾の止揚という彼の戦前からの美学が発揮されないものとなった。磯崎新さんは、東西の建築を広大な芸術空間としてとらえ、その融通無碍な文脈のなかで建築を位置づけ、意味づけることで建築を成立させた。もちろんその芸術大陸は、日本の現実とはほとんど関係のないものであった。しかしその虚構の豊かさはだれも否定できないものであった。山本理顕さんも虚構については自覚的であり、近代家族は制度的に構築された虚構である(つまりそうした家族は人間の自然状態ではないというあたりまえだけれど他者からは共感されないことを主張していた)ことを徹底的に自覚することから、その空間をつくっていった。

このように虚構は建築にとって必要不可欠であり、虚構こそが建築であるとさえいえる。それは現実をときに超えたり、現実の背景にある見えない構図を明らかにすることに意義がある。だから虚構であることが非難されるのではない。

建築とはそういうものなのである。

いっぽうリアルなものとはなにか?

こちらははっきりと劣勢である。その可能性はじゅうぶんに開発されたとはいえない。今の時点でリアル的なものに属すると思える例を2・3あげるだけである。

伊東豊雄さんはそうだと思う。彼が、風、海中の藻、森、などとメタフォリカルに建築を語るとき、それはかならずしも詩人の語り口ではない。いわゆるイメージではない。彼にとってはおてもリアルなものであるはずだ。想像するに、彼は建築家としてさまざまな具体的なスタディはもちろんするのであろう。しかし彼はそうした錯綜したスタディは、多元的で複雑だから、最終的にはひとつのアナロジーで表現するしかない、と考えているのではないか。でも現実というのはそういうものではないか。

たとえばいま台風18号が脅威である。しかしこの「台風」は実体ではない。それは太陽活動、海流の温度と動き、水蒸気の量、など多数の要因の結果として、それらのより具体的な実体の錯綜した影響のひとつのあらわれなのであろう。

だから逆説的に、伊東さんが風や森に言及するとき、それはメタフォリカルであると同時に、とてもリアルなものなのだ。だって嵐や、自然現象は、とてもリアルなものだ。ただそれはひとつの実体ではなく、さまざまな複雑系からなる多様な要素がもたらす「あらわれ」なのだ。建築もまたそうした、さまざまなリアルなものが、複雑にからみあって、まったく高次のべつのあらわれかたの「リアル」となるとき、それは風や森なのであろう。

同様に、葉祥栄さんもそうであろう。光、風、重力によるたわみをそのまま建築の形態とする彼は、伊東さんとは違うけれど、べつのかたちのリアルから出発している。葉さんが出発点にすえるのは、上記のような虚構であったことはいちどもない。いっぽうでリアルといっても、むかしのリアリズムのようなまったくベタな現実密着ではなく、とても分析的でもある。それは物理学者が、自然現象の法則性を発見するときの、理論的であると同時にロマンティックでもある姿勢、そんなことに似ている。

最後に、これは予感であるが、ロストジェネレーションに属する若い建築家たちも、このリアルな方に属するのではないかと思っている。

とはいえ自分より若い世代の建築家たちを批評するのはどうもはしたないと思っているので、一般論として、あるいは歴史的考察としてのみ述べるだけにしたいのであるが。

いずれにせよ虚構への意志は最近はかなり弱くなっているような印象である。リアルの時代なのだろうか?

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2009.10.06

新学期がはじまって・・・

新学期が始まった。

世間でいえば管理職なので、いろいろ大変である。

フランスでは、フランス・テレコム(日本でいえばNTT?)でいろいろ事件が起こっている。職員の自殺があいついでいる。政府も問題視しているし、職員も騒ぎ出しているらしい。フランスは個人主義の社会だから、テレビで知っても、はじめはよくわからなかったが、ようするにグローバル化、淘汰主義がここにも入り込んで、上司のいじめや労働環境悪化などが原因であるらしい。最もフランス的でない事件である。

それに比べれば日本の大学はまだ穏やかかもしれない。ただ管理強化は徐々に、確実に進んでいるようだ。そうした新傾向を先取りして対応するのはじつは大学人の自殺的行為なのであって、ここは永遠の価値観に立脚すべきであろう。世間は永遠の改革を求めるが、大学人は普遍=不変であることで防衛するしかない。

くだらないことだが、Outlook Expressに見切りをつけた。それからGoogleスケジュールもやめた。自分の将来計画を、どこのだれかもわからないグーグル様にあずけるのはどうかしている(じつは1年間ほどやってました)。ぼくはスタンドアローンで十分である。

それらにかわって古典的なOutlookにした。メールはとてものろいがスケジュール、連絡先、To doなどが一式でセットされており、相互の関係もまあまあである。ぼくのような凡庸な勤労者・ユーザーはマイクロソフトのオフィスの数分の1(数百分の1?)の機能をつかえば、なんの不足もないのである。ただワード、エクセルなどは情報システムのほとんど末端ソフトである。問題は個々ばらばらの情報を、体系化し、リンク化し、実際の仕事にあわせてパースペクティブをあたえ、構造化することである。つまり脳にあわせる、ということである。

というように考えるとPCの世界も、リアルな実体的世界にすり寄ってきている、つまり人間の思考に、すくなくとも構造的に近寄っているだけである。つまりPCは、カスタマイズされたシステム手帳である。ただ演算速度、ネットワーク、情報量、などのパフォーマンスは桁違いである。

・・で、要するになにが本質的か。人間はいろいろなことを考え、する。それらをリニアに並べていては(つまりつぎからつぎへ処理するだけ)では破綻する。それらアイテムの地図を作成し、さらにそれぞれのアイテムのなかに小宇宙とその地図があって・・・と、さまざまなレイヤー、階層、ヒエラルキーの小世界があって、錯綜している。それをなるべく理解しやすい空間として描くことである。人間の思考は生きられる時間においては一次元的かせいぜいそれ+αにすぎないが、文字、画像、記録はそれにパースペクティブを与え、一次元を多次元化するし、コンピュータはこの変換をさらに無限に加速する。

つまりぼくにとってコンピュータは地図である。しかも限界のない地図である。比喩的にいうと、フランシス・イエイツの『記憶術』である。

最近の趣味はインターネット・ラジオである。ATOMを使ったPCをお小遣いで買って、小型スピーカをつけてきいている。この世界もジャングルであるが、ラジオ・フランスとかBBCとか、超オーソドックスなリスナーである。いまさらカルト・ラジオなんか聞かない。クラシック番組なんかとてもいい。音楽も、日本できくのとヨーロッパできくのと大違いである。ヨーロッパの音楽紹介は、素人にもとてもわかりやすい。たとえば、ヴィバルディのこの旋律が、クープランではこう、バッハではこう変換されていまして・・・などということを10数秒で聞き比べてみせる。ある意味、即物的、技術論的でもある。でもある意味、それは広大な地図のある断片を紹介してくれる。それにくらべ日本の音楽鑑賞はよほど観念論的でありときには印象論的である。

この秋はいろいろ面白いお仕事をいただいている。ありがたいことです。

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2009.10.02

1990年代ってなんだったっけ?

1990年代は、なんであったか?

じつは今日、1990年代の建築とはなにか、そのさわりについて、すこしだけ講義で話してきた。ほとんどアドリブであった。自宅にもどってゆっくり考え始める。牛のように反芻しながら。なんという悠長なことであろうか。

これは1年生向けに、サウンドザイン、音楽、漫画、まちづくり、建築などを横断的にデザインとしてお話をする、いわゆる入門科目、導入科目のガイダンスなのであった。ことしは1990年代の各種デザインについて話すということで、ぼくは1990年代の建築などを話した。

1990年代とは、個人的には、外国で遊びほうけていた80年代のあと、大学に奉職してしばらくはまじめに働こうとしてこもっていた10年間であったが。この時代はバブル経済もおわり、ロストジェネレーションの人びとを生み出してしまう不幸な時期でもあった。ただ当初はそれほど顕在化していなかった。

1995年に神戸の大震災があり、地下鉄サリン事件があった。これは大きな転換点として意識されているが、そこでなにが変わったかはまだわからない。つまり帰結は時間をおいてやってくるからだ。ちょうど三島由紀夫自決とあさま山荘事件の帰結がじつは今なお未確定なように。そして1970年の事件と1995年そのれが周期律であるように語られる。するとじつは変わっていなかった。じつは周期的なものの繰り返しであった。日本という近代を支配している見えない構図。であるならどんな衝撃的な事件であっても、潜在的なものの顕在化であって、けっして変化ではないのかもしれない。

建築では複雑系やゆらぎといった概念が支配的となった。コンピュータの技術により、自由な造形ができるようになった。すると建築は変化しつづける、永遠に異体を生み出しつづける、ある変容体にすぎないのであって、現前の建物はそれをある瞬間にフィックスしたものにすぎない、という考え方である。

せんだいメディアテークのコンペがそうであった。最終的にのこった伊藤案と古谷案は、どちらも固定的な建築的フレームと、絶え間なく変化し続ける実体との関係づけ方に秀でていた。古谷案は古典的な建築タイポロジーを完璧に破壊していた。しかも情緒的ではなく理論的に。ぼくがパリで見せていただいた伊東さんのプレゼは魅惑的であった。メディアテークの同じフロアの平面が、さまざまな条件や要求面積のインプットによって、アメーバのように微細に変化し続ける。それまでなら、試行錯誤の末に最良解にいたることとされていたものを、すべての段階が等価にあつかわれ、気象現象のように変改してゆく。それが一種の建築的パフォーマンスとしてスクリーンに映し出され、観客はそれをうっとりとみることになる。

コールハースがブレークしたのもこの時期であった。デリリアス・ニューヨークのさわりは1970年代末に日本にも紹介されていたので、その時点ではまだ海外の新奇な思想家であるにすぎなかった。資本主義がその極限でもたらす空間を錯乱、ジェネリック、ジャンクと評するそのシニカルな理論家・批評家の姿が際立っているものの、じつは日本の建築関係者は、もっと純朴に、しかし意図的に素朴に、彼が創造する空間図式を理解し有用なものにしようとしたのではないか。まるで明治時代の和魂洋才のように。

ぼく自身は1990年代、批評をやっていた。メタ批評と称していたが、それは批評の批評であって、つまり、建築を論じるその論じ方をなんとかしなければならないのではないか、ということであって、個々の建物のできばえどうこうではなかった。必然的に批評するものは、高度な理論を展開する建築家に限られることになる。しかし1990年代末から、批評することの限界を感じてきた。つまり批評すべきものがない、という感じである。すでに守旧派も、頑迷な保守派もいなくなってしまったと感じた。そもそもぼくはパーマネントな批評家というものを信じない。それは職業ではない。批評はそのときどきの批評行為としてなされるだけである。

結局、ベルリンの壁が崩壊したことがいちばん重要ではないか。東西冷戦がおわる。アメリカ、ソ連という超大国によるシステムが機能しなくなる。ヨーロッパは、すでに地域自律の枠組みを整え、それを基礎にして欧州統合をなしとげる。欧州統合の重要な点は、それまでの国民国家の枠組みを弱くして、地域を単位とするシステムを整えながら、そうしていることだ。超大国的な、ひとつの普遍システムによって全体を支配する方法から、モザイク型(カッチャーリ風にいえば群島)の世界像が見えてくる。ただこのヨーロッパ的システムがほんとうに傑作建築を作り得るかどうかはわからない。しかしヨーロッパ的多様性の時代である。

ぼくにとってはまずはアメリカ的システム終焉のはじまりであるが、ヨーロッパの人にとってそれはナポレオンによる19世紀以来の国民国家システムの終焉なのであって、18世紀的な地域自律への回帰なのである。そうえいば都市連合、シティ=リージョンなど、近年の試みとして語られることのほとんどは、すでに18世紀以前にその原型がみらえるのである。

とするとやはり1990年代とは、ベルリンの壁崩壊/WTCテロ事件、で挟まれた10年間であることに本質があるように思える。あるいはそれはソ連崩壊/アメリカ一極支配終焉のはじまり、という図式がその背景にある。すると2010年前後にさらに画期があるとすれば、それは中国がらみであるだろう。

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