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2009.09.15

共和国、施主、ミッション、ラ・ロシェル・・・・

夕方、書店によって文献を購入する。ぱらぱらめくってみる。

Tarek Berrada, Architectes et commanditaires Cas particuliers du XVIe au XXe siecle, 2006(ベラダ監修『建築家と施主:ケーススタディ16世紀から20世紀まで』)。とくに19世紀から20世紀にかけてのロスチャイルド家の普請道楽についての記述が面白い。それぞれ活躍した国家の伝統をふまえて、イギリスになぜかフランス王宮風の邸宅を建てたりする。全体としては折衷主義建築のパトロンとしてのロスチャイルド家の紹介である。章の最後の方で、社会的使命に目覚めたりする(20世紀初頭、パリの公共住宅のコンペを開催したいりする)くだりはあるが、説明はかなりはしおられている。最後は、同時代の建築家に発注することはやめ、古いシャトーなどを買ってそこに住むようになった、というのが結論として述べられている。・・・ただこれは重要。日本人が西洋の近代建築を研究するとき、建築家の理論ばかりに興味がいって、施主の姿や要望や時代意識にはなかなか目がいきとどかないからだ。こういう研究も重要である。

Claude Prudhomme, Missions chretiennes et colonisation, 2004(プリュドム『キリスト教布教と植民地化』)。19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパ列強の植民地が拡大したこととパラレルに、ミッション(布教)も進展したというまっとうな文献。アジア人としてはそのような構図はとっくの昔から批判的にいだいていたのだが、カトリックの立場から、自己批判がなされる。植民地化と手を携えた福音化は、正統であったかどうか?海外布教の第二の波は、産業革命と資本主義とにもとづく植民地化と、いかなる関係があったか?教義のうえでは、カトリックはこのような近代化には批判的であった。しかし植民地の現実のなかでは、布教と植民地化は協力関係にあったのも事実だ。この曖昧な関係を、本書は解明しようとする。・・・日本については、植民地でなかったので、論じられていない。しかし日本における布教を論じる場合、世界的な視点を欠如させることとなっている。

Caudine Robert-Guiard, Des Europeennes en situation coloniale Algerie 1830-1939, 2009(ロベール・ギアール『植民地状況におけるヨーロッパ女性たち;アルジェリア1830-1939』)。文字通り植民地ジェンダー論である。もっともアルジェリアは法的には植民地ではなく、フランスそのものであったので、「植民地的状況」とされる。各種統計資料をつかった、社会学的研究でもある。

Francois Bluche, Richelieu, 2003(ブリュシュ『リシュリユ』)。ラ・ロシェル包囲を敢行した枢機卿のモノグラフ。その包囲戦にも2章をさいて記述していたので、買ってそこだけ読んでみる。ラ・ロシェルという反逆の都市をいさめただけではない。この都市は、イングランド、オランダ、スペインと独自の関係をもって、共和都市化していたのであって、独自の外交関係をもつことがフランス王国には許せなかった。だからこれは単純な内乱ではなく、国際的な力関係を決めるためのものであった。だからプロテスタント/カトリックの戦いではなかった(だからナント勅令のあとでも戦闘を開始できた)。都市の自治。ラ・ロシェルは1373年から市参事会を組織することを許されていた。フランス国王でもラ・ロシェル市に入市するときは、「福音の名において、・・・地域の自由と特権を遵守する」と誓わねばならなかった。しかし包囲ののち、国王とリシュリユは市庁舎と市参事会を廃止させた。都市としての自律性が奪われたのであった。

Jean-Yves Andrieux, L'Architecture de la Republique, 2009(アンドリユ『共和国の建築』)。フランスは共和国である。これは国是であり、この自覚的な意識(幻想)のうえにフランスのアイデンティティは成立している。かつてミテラン大統領は、年頭の挨拶でいつも、フランス万歳、共和国万歳、と締めくくっていたものであった。それはともかく、とく第三共和制時代(1870~1940)は、学校建築、市庁舎などの役所建築がスタンダード化し、全国津々浦々に共和国的公共建築として建設されたのであった。アンドリユは、まさにこの時期にフランスのランドスケープは決定されたとまで指摘する。共和国建築の源流は、フランス革命にまで遡及できるし、1980年代にとりあえず破綻するまでは、続いていた、という。共和国のアイデンティティは、ネーション=ステーツのそれとは違う。またそれを、日本にように、拡大されたモダニズム概念のなかに解消できるものではない。日本の近代を再考するためには、日本のようにモダニズム・コンプレクスから始めるのはたいへん特殊ケースなのであって、国ごとにまちまちなのだ、という当たり前のことを認識するために、このようなフランスの事例を知っておいてもいい。それは日本にとっては有用なマニュアルとはならないであろう。だからよいのである。

・・・・などなど、いろいろ考えているうちに夜は更けてゆく。

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