« 塩野七生『ローマ人の物語 最後の努力』と政権交代 | トップページ | 高熱にうなされて »

2009.09.02

ラ・ロシェルのプロテスタント博物館(文化財の破壊ということ)

京都の人がいうこのまえの戦争とは応仁の乱だったりする、などとよくきく。田舎者にはわかりにくい時代感覚である。しかし日本人がみな京都人のようなものだったら、どうか?

ラ・ロシェル市の教会建築を調べているので、補足学習的にプロテスタント博物館を訪ねた。タイミング良く、ガイド付き解説ツアーにいれてもらった。

大西洋沿岸の通商都市ラ・ロシェルは、16世紀、人口の95%がプロテスタントであった。当時のフランスでは、プロテスタント都市と呼ばれるものが17カ所にあったという。

ところがイングランド軍がかってに侵攻したこともあって、ルイ13世はラ・ロシェルを包囲し、兵糧攻めにする。15カ月のこの攻撃で、人口2万8000人は5400人にまで減った。5人のうち4人は餓死したのであった。そして王国はここにカトリックの商人たちを送り込む。やがてカトリック都市になる。そして現在プロテスタントは人口の2%を占めるにすぎない。・・・・ガイドをしてくれた老婦人はため息混じりにそう説明してくれた。

その際、いくつかのプロテスタント神殿(教会ではなく神殿と呼ばれる)が破壊された。模型や図面でそのよすがを知ることができる。

そんな話しを聞いていると、オルレアン大聖堂のことを思い出した。ボランティアで大聖堂の説明をしている老人は、17世紀にプロテスタントによって、18世紀末に革命によって、どこそこが破壊されたなどと、今もって憤懣やるかたない調子で説明する。ラ・ロシェルの逆の立場である。

よく革命や戦争のバンダリズムで文化財が破壊された、などと建築保存の文献には書かれている。しかしこうした破壊を一方的に文化の名において批判するのもよくない。なぜなら破壊の反省に立って文化財制度ができたのであって、破壊者たちにとってはそれらはまだ文化財ではなく、たんに異教徒の建物にすぎなかったからだ。

日本人はベルリンのユダヤ博物館にはおおいに共感するが、どうもプロテスタントには(地球上では強い立場ということもあって)同様な心情はいだかないようだ。しかし今でもカトリック/プロテスタントのあいだの心のしこりが完全に解消されたようでもないようだ。

文化財は、国民国家の成立と裏腹な関係にある。宗派の違う者どうしが破壊合戦をするのは建設的ではないので、建造物を、宗派を超えた国民の共通財産として位置づけなければならない。そのために文化財候補を国が引き取ってゆくのである。フランス革命のときは、国家による教会建物・不動産の接収という荒々しい手法であった。

だから近代の世俗社会にあって、歴史的建造物とは、あるいは文化財とは、宗派をこえた宗教、メタ宗教のようなものとなった。そしてつぎにフランスは制度輸出をするようになる。

そういえば建築学会大会で、太平天国の乱で蘇州のどの宗教施設が破壊されたかを調べたたいへん興味深い研究発表があった。近代化プロセスにおいてはしばしば発生することであり、たいへん普遍的な現象なのである。

だからユネスコでも戦争による破壊のことはかなり重要な案件としてとらえられている。しかしそれは、近年の戦争や争乱によって(たとえばバーミヤンのように)破壊されることがあるからだけではなく、保存は、基本的には、そしてその出自から、破壊行為とおなじコインの裏表の関係にあるのである。

破壊を悪いことだと一方的に弾劾するのではなく、破壊行為にも歴史があるように思われるし、それを調べるのも悪いことではないようである。

|

« 塩野七生『ローマ人の物語 最後の努力』と政権交代 | トップページ | 高熱にうなされて »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/424713/31201768

この記事へのトラックバック一覧です: ラ・ロシェルのプロテスタント博物館(文化財の破壊ということ):

« 塩野七生『ローマ人の物語 最後の努力』と政権交代 | トップページ | 高熱にうなされて »