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2009.08.01

五島の島めぐり

7月29日と30日は、長崎、佐世保、五島の教会巡りツアーであった。長崎県、長崎市、佐世保市、新上五島町の関係者の方々、B協会のYさん、ほんとうにお世話になりました。ありがとうございます。

2日間で、出津、大野、黒島、五輪、江上、土井ノ浦、青砂ケ浦、堂崎の教会を制覇した。専門家たちがオーガナイズしたので、とても効率がよかった。

五島の景観がとても美しいので、だまされがちではあるが、教会堂の美的判断については用心してかかるべき、などということを心がけて見学には臨んだ。とはいえ美的解釈を共有するのはとても難しい。べつに威張るのではないが、いちおう西洋建築史の専門家であり、個人写真10万点に及ぶほど建築を見続けているぼくにとっては、その美的判断が言葉ではなかなか通じないということも体験した。

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歴史的連続性の問題。16世紀のイエズス会による布教、禁教、隠れ、19世紀の再布教といったプロセスの連続性、不連続性。このことを関係者たちはいつも気にしていた。ぼくは布教される側ではなく、布教主体すなわちローマ・カトリックの意志に還元して考えると、その意志は連続していると考えられると主張した。また初期の布教、隠れ、云々は世紀をまたいでの対話だと考えられる。

素人が様式を云々することの問題。まず19世紀から20世紀の建築が、純粋にロマネスクである、ゴシックである、などと判定できるわけがない。基本的にこの時代は「折衷主義」である。だから正確には、ゴシックもどき、ゴシックのつもり、といった言い方が正確だ。しかも鉄川といった建築家が、どれほどゴシック様式の理解に自覚的であったか、は再検討の必要がある。

建築も切り取りようでは「モダン」といえる。たとえば下の写真。この光景はとてもモダンとはいえ、建築全体が、建築家がモダンとないえない。言葉の意味が及ぶ範囲を、いつも慎重に識別しなければならない。

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既存の写真集は、建築の魅力を引き出していないのではないか。そこまでいわなくとも、写真の取り方を工夫するといったことで、新しい視点や価値が生まれてくるはずだ。

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様式の完成とはなにか?もちろん鉄川の様式理解もしだいに進化したであろうし、ロマネスク的設計の連作系統もあるので、そのなかで様式の完成というようなものもいえるであろう。しかしだからといってそれは様式の、ということはある時代ある地域の集合的美意識としての様式の完成、とはいえない。

交流とは。19世紀は世界全体が交流モードであり、多少の時間差はあっても情報はどんどん伝わる。そんな状況で文化の東西交流などということが目玉になるのであろうか。むしろ基底として、おなじ課題を共有していた、というような発想と皮膚感覚が求められるであろう。100年前の同時代感覚をもっと考えるべきというのがぼくの意見である。

いろいろ考えながら、案内していただいた県や市や協会のひとたちと話し合った。

長崎の教会堂の原型は、同時代のパリのそれである。この確信がますます強くなった。

フェリーや鉄道の移動中は、読書をする。雨宮処凛『ロスジェネはこう生きてきた』平凡社2009。ぼくの教師としてのキャリアは彼らロスジェネに教えることからはじまった。文章はリズムがいい。檜垣立哉『ドゥルーズ入門』ちくま新書2009。流動/非流動の話しは面白かった。佐々木俊尚『2011年新聞・テレビ消滅』文春新書2009。マスコミを代表する新聞記者が、マスコミの崩壊を語る。語るべきことを所有している人びとが、たとえばブログのような手段で語り始めたら、世は変わってくる。『思想地図』2号、2008。特集は「ジェネレーション」。雨宮処凛の書と重なる。団塊世代の子供たちがロスジェネである。その世代間論争はどうもピンとこない。

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