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2009.07.20

建築教育国際会議

7月18日と19日、東大で建築教育についての国際会議があったのでのぞいてきた。

内容は多様であり、語り尽くせないところもあった。基本には、日本は世界標準に到達できるかという危機感と、そもそも標準とはなにか、世界性とはなにか、という根本的な問題があった。

そういうなかで論じ始めると、なにを共有しているのか、出発点となるべき共通認識はなにか、などがどんどん揺らいでくる、というのが問題の難しさを示している。

そもそもUIAの正体そのものも明らかにせねばならないだろう。UIAそのものは、19世紀にヨーロッパの各国でできていた職能団体の連合であるというのが歴史的位置づけである。建築家連合といっても団体の連合である。フランスでは19世紀から建築家中央協会というものがあって、たとえばラブルーストなどが会長をやっていた。

フランスの建築家中央協会。18世紀までの国家(王室)/王室建築家/アカデミーという三位一体が解体される。建築家たちは新しい関係を社会ともたねばならない。そこで職能団体という、中世のギルドのようでそうではないものを形成し、社会との関係を再構築するのである。

UIAを位置づける場合、都市計画、建築、公営住宅などについて問題意識がつねに共有されていたという19世紀から20世紀にかけてのヨーロッパという場の雰囲気を感じる必要があるだろう。基本的にそれは、多様性を認めるための普遍的な枠組みであって、ぼく自身は、そこから均質化が始まるというようなことはまったく想定できない。ヨーロッパの多様な地域、国家、はそのように稼働するものなのである。

ただそれを日本人が活用する場合、過度に普遍性指向的なものとして解釈してしまうという傾向はあるだろう。世界における諸勢力の動向というようなものをクールに知っておくことも必要であろう。

アメリカ側。19世紀末まで、アメリカ人は建築を学ぼうと思えばヨーロッパに留学するしかなかった。しかし世界経済の中心となると、文化も建築も、新大陸にオールインワンで移入する。しかしそのとき、コーリン・ロウのパラディオ=コルビュジエ解釈に端的にみられるように、メタ解釈をする。ロウは深さによってギーディオンを克服しようとした。それはヨーロッパを乗り越えたという自負となる。伝統ではかなわない。しかし「知的に」凌駕したのである。

ヨーロッパ側。20世紀の中庸には、逆に、ヨーロッパの学生がアメリカに留学するようになる。ヨーロッパの建築史家も20世紀はアメリカの世紀ということには異論はない(だれがみてもそうだ)。しかし過度に抽象化・一般化することなく、足下からの議論をすれば、そのまま普遍的な問題提起になり得るというのがヨーロピアンの自負であり、これがなくなることもないであろう。

それで日本はどうするのであろう?

日本の近代建築は、イギリスモデルではじめたが、20世紀初頭からアメリカモデルとなり、敗戦によって加速された。ところがそれと平行して、構造、環境などと一体化された日本モデルが構築された。教育はそのとおりではないが、50年代、60年代、エリートはみんなアメリカに留学した。70年代ころからふたたびヨーロッパモデルを評価する留学組日本人が若干だが相対的に増えてきている。日本に世界性が内包されているといえば聞こえはいいが、しっくり感はどうもない。

教育の類型化。アトリエモデル(ボザールもこれにはいる)、リベラルアーツモデル(これはアメリカ的、日本的でもある)、ポリテクニークモデル(近代欧州モデルのひとつ)という分類も結構である。そのとおりであろう。

しかし日本の建築教育システムの出自と実態はなにか?は知られていないようだ。それは1930年代前後に確立された中等教育(高専など)のカリキュラムなのである。それが戦後の新制大学における教養教育(リベラルアーツ)の上に接ぎ木されたものである。そうした歴史的出自をどう総決算するか、という問題でもある。

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