若桑みどり『聖母像の到来』(青土社)を読んで
うかつにも、最近やっときづいたのだが、若桑みどり先生の遺作(標記)が、半年ほどまえに出版されていた。
ぼくがときどき考えている長崎の教会と、同じような構図で考えることができる。つまり地方の文化財にすぎないと思われていた絵画や建築に、真の意味で国際的なあるいはグローバルな視点をもたらすことで、その深い意味を再構築できる可能性がある、というようなことである。なので、とても面白かった。
これはちょっとまえに流行った世界システム論とも重なっている。まあそれはそれとして。
論じられているのは、宗教改革がおこり、さらに対抗宗教改革がなされた16世紀という時代。ペヴスナーもまた美術を論じることをつうじて16世紀をヨーロッパ精神の危機ととらえるのだが、その視点がふたたび取り上げられている。
この書で具体的かつ綿密に述べられていることを、ぼく流に乱暴に要約してみる。つまり宗教改革は、カトリックにとっては、ヨーロッパ内部布教という点ではおおいな勢力喪失であった。カトリックはその代償を海外布教に求め、スペインの力も活用して、新大陸やアジアに布教する。そのときに「聖母マリア」崇拝を土着の人びとの教化のために活用するという、文化政策をとった。
キリスト教という普遍宗教は、ヨーロッパ内部の布教においても土着宗教と習合することで教化を進めたが、おなじ手法が、アジアでもなされたわけだ。そして日本ではそれは「マリア観音」としてあらわれた。
若桑の壮大な世界観によれば、マリア観音は中国の「子授け女神」や日本の「小安大明神」というアジア的な母性への土着信仰が、キリスト教の聖母子像と一体化したものである。
さらに彼女の指摘で興味深いのは、16世紀に日本にもちこまれた聖母像の芸術的レベルである。従来説ではヨーロッパの二級品にすぎないとされてきた。しかし実際は、海外布教のために念入りに制作された一級品であったという(p.128)。そのヨーロッパの一級品が、やはり高度に成熟していた安土桃山文化と一体化して、すばらしいマリア観音像を生み出した、というのである。
そういわれれば、今まではたったく逆の説明ばかり聞かされていた。マリア観音とは禁教のなかで信仰を守るための隠れ蓑であった、とか。その美術史的な位置づけや、さらにはアートとしての価値の客観的な評価などほとんど聞いたことがない。
そうではない。、マリア観音は、時代の狭間に生まれたエピソード的なものではなく、ヨーロッパのマニエリスム、日本の安土桃山文化の正統な嫡子であり、きわめて芸術的価値の高いものである、という説明である。
・・・・こうした16世紀の状況は、ぼくが考えている19世紀末から20世紀初頭の状況ととてもよく似ている。
フランス革命となり、教会権力は世俗権力の前におおきく後退する。教会は、ヨーロッパ内部での失地を、海外布教によって埋めようとする。16世紀にそうしたように。
カトリックはイエズス会ではなく、こんどは「パリ外国宣教会」に布教をゆだねる。19世紀のはなしはすでに書いたのでバックナンバーを読んでいただきたい。ようするに、パリ経由で長崎にやってきた宣教師は、当時のパリの教会建築の様式も参考にして、日本に教会堂を建設したっておかしくはない。
人づてに聞いた話であるが、この3月に海外の文化財専門家が呼ばれて、長崎県で教会についての国際シンポジウムが開催されたらしい。長崎県の教会堂については、地元学者らの研究成果もある。しかし現物を見た専門家たちは、ヨーロッパの同時代のものと似ている、とのみ指摘しただけで、ほとんど興味を示さなかったらしい。というわけで世界遺産登録のハードルはすこし高くなった。
ぼくなりに問題点を整理して、考え方の道筋を提言したい。
(1)外国人の視点や価値観から長崎県の教会堂がどう見えるかというイマジネーションがなかった。これは日本の文化財研究が、やはり一国建築史的な視点において閉ざされており、まだまだ国際化していないからである。
→とはいえ日本人研究者もグローバルな展開をしている。そういう新しい発想を取り入れることをためらってはならない。最近ではアジアの建築も、植民地時代を経験している。だからアジア建築専門家もイギリスやフランスのアーカイブまで遡及して調べている。長崎の教会堂を調査するために、フランスのアーカイブを調査することは、現在ではミニマムだと思われる。
(2)しかし外国の専門家が、既知感があるから面白くない、日本の土着建築と混交したのなら面白いが、というように考えるのも、一方的な態度だと思う。
→既知感があるのなら、なぜその既知感がもたらされるかを分析するのが、研究のシーズである。マリア観音も、ぼくが興味をもっている長崎の教会堂も、アーティストらがなんとなく模倣したのではない。その模倣、参照、引用のなかに、当事者たちの深い理念が反映されている。「普遍的」価値とは、そのことを踏まえて初めて明らかになるのであって、たんなる名作主義のことではないはずである。
(3)長崎の教会堂は、しょせん擬洋風であり、世界遺産などという西洋的基準で計ることそのものに無理がある。九州遺産でいいではないか。長崎遺産でいいではないか。・・・こういう意見もある。しかしこれもおかしい。
→擬洋風というのがそもそも自虐歴史観であってよくない。幕末明治の職人たちが見よう見まねでつくった擬洋風建築、といった30年前の語り口である。ぼくは、「単なる擬洋風」だと思われていた長崎の教会堂を、西洋の専門家がはじめて文化的な視点から真摯にかつ批判的に観察する。そのことの歴史的な意義をもっと大切にすることであろう。最初の見学でよい評価が得られなかったことで意気消沈し、180度方向転換するのもどうかと思う。西洋からの見方も一方的なものなのだから、反論し、対話し、主張することだと思う。そういう文化交流さえできなければ、普遍的価値など云々できない道理であろう。
・・・などということを考える次第である。ぼくの愚見はともかく、若桑みどりによる「マリア観音」再評価は、よりダイレクトに長崎の教会堂云々への力強い追い風であるはずだ。
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