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2009.05.07

《上野伊三郎+リチ展》を見て

連休であったので、標記の展覧会をみにいった。伊三郎の妻リチは、ウィーン工芸学校を出てウィーン工房で働いたデザイナーであった。展覧会では、伊三郎についての初公開資料とともに、リチの作品も多数展示されていた。

伊三郎の未発表資料についてだが、ぼくはそもそも建築家・上野そのものをはじめて見たといっていい。ブルーノ・タウトを日本で案内したことと、せいぜい群馬の工芸学校との関わりくらいを、歴史的に重要であった事件として知るのみであった。

で、建築家上野伊三郎はどうかというと、あまり論評はしたくない。島津邸はアドルフ・ロースによる住宅のあるものを思わせ、ウィーン仕込みかなどと思わせる。作風として解釈するといろいろだろう。しかしぼくは経歴に惹かれる。京都の宮大工の家系で、父親も工務店を経営していたという事情は、さもありなんと思わせた。伝統の力とはこういうものだろう、と思う。ヨーロッパでも20世紀初頭まで、建築家の家系というものが存在した。そうしたものが建築を伝えるメディアであった。20世紀は学校の時代であった。

この展覧会そのものが「ウィーン=京都」という枠組みである。伊三郎とリチは、ウィーンで知り合い結婚し、京都に戻って活躍する。そんな文化交流ができたのも、やはり京都だからだろうと思うと、うらやましい気にもなる。地方都市がどうにも及ばないのはこういう部分である。

リチの作品も、はじめて見るようなものであった。ウィーンでヨーゼフ・ホフマンに習ったというので、どんなもんであろうかと思った。もちろん前衛ではないが、基礎がしっかりしているという感じ。色のバランスがすばらしい。徹底的に奥行きをなくし、表層にすべてを還元しているところが、ウィーン世紀末からの流れといえそうか。

カタログには機関誌「インターナショナル建築」のさわりが紹介されていた。1927年に結成されたインターナショナル建築会の機関誌である。

そのなかで本野精吾の宣言と綱領などが採録されている。30年ぶりくらいに再読する。

書かれていることは簡単で、インターナショナル(重要な言説のなかでは1923年グロピウスが初出)という路線と『真正なる「ローカルティ」』という方向性である。いずれも受け売りの感はもちろんあるが、こうした言説の歴史的位置づけというものも冷静におこなっていてもいい。

「インターナショナル」ということばは、今とは違う意味をもっている。それはMoMAでフィリップ・ジョンソンが展覧会を開催し、そこでインターナショナル・スタイルというキャッチコピーを提案するより前である。だから本野らの言葉は、正確な定義を欠いているが、反面、それだけまだ見ぬものへの希求に満ちている。ジョンソンが博識にして狡猾であったとしたら、本野らは相対的に純朴であった。

「ローカルティ」や「真正なる民族的地方色」の位置づけは、19世紀的折衷主義への批判とするか、20世紀初頭の地域主義への批判とするか、微妙なところであろう。しかし現段階では、むしろぼくは、19世紀的なものへの批判が支配的であった20世紀初頭ウィーンの空気などがそのまま反映されているととらえたい。

本野は「人類の進展に伴ない必然的に生るじるべき様式」という。ちなみに堀口捨巳は「様式なき様式」という。「様式」について、近代建築運動のイデオロギーはまだよく整理されていない。つまり19世紀的な様式概念は、とても深いものであって、その基盤のうえに近代建築運動は展開した。表面的には、モダンは19世紀にたいして攻撃的であったとはいえ、基本的には親子喧嘩なのであった。

たとえば民族性、地方性(気候、素材、文化などの特性)などの総合的なバックグラウンドからある様式が生まれてくる、というのが19世紀的建築観である。20世紀は20世紀の近代の技術や生活を反映したものでなければならないという近代主義の主張は、19世紀のそれと、まったく同じ構造をもっている。

それはともかく上野たちは、自分たちがモダンを理解していることをまったく疑わなかった世代である。インターナショナルとは、むしろ自分たちはインターナショナルな人間になったという自負の表明である。同時にヨーロッパの建築家たちも日本建築を知っており、それを評価していたといいう事実から自信をもっていた。だから「ローカリテイ」を主張できたのではないか。帝冠様式的な日本趣味とは異なる日本的なものが共有されていたのであった。

ところで伊三郎の軌跡を解釈するためには、モダンがなにかというマクロな視点もいいが、よりミクロな観点もとうぜん必要だろう。京都であった。国家的な建築とは関係が薄かった。社会が急速に右傾化した。世界恐慌によって建築の枠組みがまったく変わってしまった。現在でもバブルになったり、はじけたり、グローバルになったり、数年で空気はまったく変わってしまう。上野伊三郎が生きた時代はそれ以上であったはずだ。

「ローカリテイ」に戻ると、この展覧会によって伊三郎+リチを回顧することそのものが、ローリティなのである。この展覧会が開催されたのも、京都の大学が所蔵していた関連資料を提供したことにはじまるし、図録をまとめられた専門家も、基本的に関西の建築史家たちである。それは京都力といえるものである。

それ以外の地方はというと、町を埋め尽くしているのは近現代建築なのに、いざ歴史叙述をしようと思うと近代がない(語ってもしょうがない)なんてことになる。

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