« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009年3月の2件の記事

2009.03.24

福岡の学生デザインレビュー

先日、福岡で開催された「学生デザインレビュー2009」(通算第14回目)というものに司会+ジュリイとして参加した。

5

(写真は実行委員会からいただいたものです)

これはいくつかの大学を横断して開催される学生課題講評会である。卒業設計だけでなく、学部2年生、3年生、そして修士課程の設計課題をも持ち込んでの講評会である。14年まえ、地元の大学を出て組織設計事務所に属していたり自営で設計をしている中堅建築家有志が大学教員や地元企業に働きかけて成立したものである。地方には論壇も、建築ジャーナリズムもなく、建築家たちが建築を議論する場がない。そのことにフラストレーションを感じていた彼らが、学生の作品を自由に論じあうことで議論の起爆剤にしようという、一石二鳥的なことを考えていた。フラストレーションを感じていたのは大学の教員も同じであり、それぞれの大学で設計教育にたいする周囲の無理解を痛感していたので、これを機会にカリキュラムや教育コンテンツの検討も考えた。だから最初の2回ほどは、各大学の設計カリキュラムとコンテンツを見せ合って、いろいろ議論したものであった。学会の外でこんなことがフランクになされるのは珍しいと思う。

ちなみに2001年の企画で、東北大学の教授が招待された。彼が仙台に帰り、福岡のものをアレンジして「卒計日本一」というものにした。今日ではこちらがメジャーであり、全国的な卒計展の牽引車なのであって、福岡のほうはそれに引っ張ってもらっている感がある。イベント性では仙台がすぐれている。しかしカリキュラムそのものの相互検討などまで踏み込んだ真摯さでは福岡がまさっていたと思う。

しかし福岡が老舗ですよということだけではなく、フリー建築家有志が発起人ということで、まさに草の根的なのだし、彼らの理念を大学人や企業人や建築関連諸団体が受け継ぎ育てていった、という経緯は特筆に値すると思う。

1995年度(1996年3月)を初回として、今回が第14回である。世紀をまたがっての企画である。あと数年すると1995年生まれの学生たちが参加するだろう。そのとき、開会の挨拶では、君たちが生まれたころに誕生したこのデザインレビューはね、なんてことをいうのだろうか。

最初の数年は、大人の建築家や教員たちがたきつけて学生を鼓舞して参加させていた。しかし仙台や首都圏の卒計展が展開するにつれて、大学や地域をこえた学生のネットワークができ、友情とライバル意識も高まり、それが福岡の学生モチベーションを高めているように感じられる。今回、学生は指示待ちではなかったし、企画をドライブしているのはまさに学生たちの意欲であるということを肌で感じた。20回目まではいってほしいものである。

1996年3月の初回のデザインレビューでは、審査員として伊東さん、岡部さん、葉さん、隈さんらがきていた。ぼくも地元代表で参加した。14年後、その伊東さんとふたたび同席することになって、感慨深かった。

さらに今回は、ぼくの教え子で自営建築家になっている人もジュリイのメンバーとなっていた。こんなにはやく時が流れるなんて、なんということか。

審査は未知との遭遇であり、ほかの審査員の発言にもとても影響される。学生のプロジェクトについては、ぼくはその問題点を指摘するような批評はできるだけ控える。もちろんそういうこともひととおりするのだが、それはチェックリストを埋めるようなものだ。ぼくはむしろ、学生プロジェクトの可能性をどこまで探せるか、設計者当人が考えが及ばなかったしかし潜在的にあるはずの意味や価値をどれだけ追加できるか、ということに自分の専門家としての存在意義をかけているようなところがある。誰も信じないかもしれないけれど、ほめるのが目的である。

今回もそういうことを心がけたのはいうまでもない。

それから久しぶりに建築家たちとお話して感じたのは、やはり建築とはそのつど超越的なものだ、ということ。

この「超越的」というのは誤解を招きやすい。西洋の古典主義とか、アジアのコスモロジーとか、近代の合理主義とか、そんな超越的なものと短絡されやすい。超越的なのは良くなくて、もっと草の根的で、住民参加的で、目の前の具体的な問題や生活の実感からからたちあがったような、そんなアプローチが大切だ、なんて反論がなされる。

でも建築をやるということは「そのつど超越的」なのだと思う。「そのつど」ということと「超越的」の2点あることが大切だ。つまり常時超越的なものはときに抑圧的だが、でもそうではない、その場その場での超越は必要だ。設計の与条件はそのままではフラットで、平面に投げ出されているだけだが、プロジェクトとして成立させるには、それらを構造化し、主軸を決めなければならない。これは「超越化」とでも呼べるのではないか。

2009年3月のデザインレビューでは、ジュリイの建築家から、たとえばひとつのエレメントを軸にするというアプローチ、都市や環境を構成する領域と領域のはざまのエッジを重要視しているというアプローチ、現場の特性の読み取りをきわめて精緻に誠実にこなすアプローチ、構造を造形の手がかりとするアプローチ、などが説明された。それらは普通は、アプローチ、方法論、などと呼ばれ、なにか手続き、てがかり、の問題でしかないように位置づけられる。でもそれは、どんどんコピーがファイルを厚くしてゆくだけの情報の一次元的な蓄積をのりこえて、「そのつどの超越性」をあたえることで、世界を構造化しているのだ。そういう意味で、建築家がいかにこの超越を組み立てること、この営みそのものが建築なのだ、といえる。

そういう意味では歴史家の研究も、建築家のこうした超越性探求と同じようなものだと思う。ぼくは審査員賞として、建築いろはカルタを提案したプロジェクトを選んだ。かわいい建築、よわい建築、などと建築を形容詞で分類し、それで「いろはにほへと・・・」として建築プロジェクトを分類する。ぼくはただちに妹島さんのよわいキューブ計画を思い出したのだし、学会の「かわいい建築」特集も言及された。つまり建築の理論的考察において、スタイル、用途といった分類軸は不可欠なのだが、ひとつの理論的試みとして、形容詞によって建築を分類するというようなことはとても魅力的だ。実際、18世紀の西洋ではそのような建築理論も書かれている。

なんてことを考えた。ぼくにとっても収穫の多い講評会であった。

でもそれ以上に、学生たちはとても立派で輝いていた。がんばれ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009.03.09

難波和彦『建築の四層構造』をいただきました

難波先生の最新著作をいただきました。ありがとうございます。

沖縄の学会に2泊3日の出張をする機会に目をとおした。行きの機中でざっと目をとおし、帰りの機中で下書きを書き上げた。

10年以上前、ぼくはある建築雑誌の月評を書くために、難波さんの「箱の家」001を見学させていただいた。吹き抜けの居間がそのまま庭へ、そして狭い公道へ繋がっている、その直截さが印象的であった。子供のプライバシーをあえて制限したのは、施主の教育的配慮で、雑音や他者のふるまいといった妨害にもまけずたくましく勉強する強い子供にしようということであったことは、知らなかったが。でも生活がなりたつ日常というものにたいし、虚飾も気負いもない、その率直さが印象的であった。

その箱の家が、サステイナブル・デザインに、そして「約束住宅」、MUJI+INFULL木の家」、「アルミエコハウス」などと多様な展開をもたらすことは、予想しなかった。でも確かに池辺陽の立体最小限住居の展開として「箱の家」はある。だから、この原型からの展開、という作業を1度で終わらせず、展開し続けるということなのである。

この書は、過去に書かれた論文をまとめた、ある意味で総括的なものだが、なるほどまとめて縦断的に読んでみると、彼独特の思考の型、というものがすこしはっきり浮上してくるようにも思える。「箱の家」の「ハコ」性とは、他者から見れば異質と思えるものをつぎつぎと包含してゆき、さらに高次の統一を目指しているように、彼の読書と思考も、より高次の統一を目指すのである。

たとえば映画《エイリアン》についての解釈も、理性/怪物、合理/非合理という二元論ではなく、むしろエイリアン的なものが合理主義的なものを裏から支えているというような(そういう表現はしていないが)解釈をする。より高次の普遍化を目指すのであって、善悪二元論、二者択一論ではない。

建築や思想については、アレクザンダー『形の合成にかんするノート』『パタン・ランゲジ』他、マイケル・ポラニー『暗黙知も次元』、などが言及されている。

20世紀初頭、モダニストはさまざまな反動と戦ってきた。それは陸屋根/勾配屋根、幾何学/装飾、機能/記憶、の闘いであった。このタイプのモダニストたちは、別の建築モデルと闘っているがゆえにモダニストであった。それはあれ/これの二者択一を求める二元論であって、すべての根本にある普遍的に有効な原理を探求する態度ではない。

またモダニズムを、技術の合理主義による決定論、経済論理の効率追求などと同義なものだと短絡して解釈することも、よくない。昨今ではいわゆる「モダニズム建築」などというものが話題となっている。この和製英語が言語として間違っているだけではない。モダニストとして生きることはどういうことなのか、という本質的な問いかけを忘れているのである。

難波は二元論的闘いのモダニストではなく、普遍性を目指す、もうひとつのタイプのモダニストである。世界に亀裂をひくのではない。むしろすべてを包括しようとする。合理主義の哲学によって、世界を再征服する。それが難波の立場である。

彼の理論的探求は、私見によれば、「建築とはなにか?」を真摯に、一貫して、深く問いかけることにある。建築の本質は、彼自身の言葉によれば、生得的なものであり、すでに人間の脳や身体にインプットされているものだ。だから建築のエッセンスは、人間性の深い探求によってもたらされる。それは「建築的無意識」と呼ばれたりもする。引用してみよう。

「生き生きとした建築や空間には、生まれつき人間の身体=脳に組み込まれている感知能力に共振して「感動」という反応をひき出すような「質」が内在している」(pp.57-58)

「アレグザンダーは、誰もが生きたパタンを生み出す能力をもっていると主張する。生きたパタンを感じ取る力は、人間に生まれつきそなわっている生得的な能力だという。」(p.221)

このように難波は、人間性の基底にはこのような建築のエッセンスがすでにプリントされていると考える。それは歴史主義を相対化し、さらに歴史主義/モダニズムのかつての葛藤さえ乗り越え、普遍的建築原理があることを期待させる。

もちろんそんなエッセンスがあるはずだ、という仮説は示されるが、それがなにであるか、具体的にかつ体系的に説明されることはない。

建築家としての彼の全体像からすれば、この問いかけかたそのものが、彼をしてモダニストたらしめているのだ。そしてこの生得的建築イデアというものは、彼が探求し続ける「箱の家」と無関係ではないはずだ。

他方で「箱の家」は、核家族という20世紀的モデルにもとづき、やはり最小限住居という20世紀合理主義を引き継いだもので、そういう意味では20世紀的なものを最大限に引き受けているのとまさに比例して、徹底的に私たちの日常である。それは多くの人びとが「箱の家」を受け入れ、そこに住んでいるということではない。それは私たちの日常を映す鏡のようなものである。nLDKが数的には支配的でありつつ、それへの批判的立場をしめる立体最小限住居は、理念において日常を反映している。

そんな日常というものと、建築の普遍的原理が出会うというのだろうか。ほんとうに出会うかどうか、歴史家的にはわかならない。しかし日常と原理が出会うということを信じてたゆみなき探求を続ける難波の存在こそが、歴史家にとってはひとつの重要な事実であり与件であることはたしかである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »