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2009年2月の5件の記事

2009.02.20

パリの聖地を巡って

出張も終わりに近づいたので、パリ「聖地」巡りである。ただし順不同。

「ボン・マルシェ」。これは古き良きパリの趣味をよくのこしたデパート。右岸のプランタンなどがややもすると流行に流れすぎているなかで、この店は中庸も心得ていて、安心できる。ここはパリを訪れるとりわけご婦人たちにとって聖地である。

いちどゼミの学生を連れてパリ建築ツアーを企画したことがある。学生たちをいろいろ連れ回したが、途中でまったく偶然に「ブル・ブラン」のファクトリーショップに遭遇したことがある。彼女たち(たまたま彼らではなかった)は一挙にお店に突入して、建築見学はサスペンデッドになったしまったことがある。まったく。映画ではあるまいし。

その学生たちを「夕飯はここで調達するといいよ」って感じでボン・マルシェに連れて行ったら、みるみるテンションがあがってゆくのがわかった。獲物を見つけた野獣のようでさえあった。自分の指導教員のことなどまったく眼中にはないという空気がひしひしだったので、ほうっておいた。

このようにボン・マルシェはすごくて、ぼくのような朴念仁のテンションをも一気に高める効果がある。とくに食材コーナー。一階だが、日本で言えばデパ地下である。ここには古今東西の食材が結集した食の万博である。すごい誘惑。ここでなにも買わずに通りすぎるのはとても難しい。

もちろん食のグローバル化では、フランスが最先端ではない。ずっとまえからロンドンやアムステルダムの高級スーパーでは、基本的に、ないものはない。日本食も含め、地球上の名だたる料理は網羅されている。ぼくの経験ではすくなくとも10年前からそうである。パリもようやくそうなってきた。ということで寿司もみそ汁もフツーにおいてある。

街角のスーパー「モノプリ」にも高級みそ汁が売られていた。まあ2週間の滞在ではそれほど懐かしくはありませんが。

「パリ外国宣教会」。ボンマルシェの裏にある。これは世界遺産候補である長崎の教会を建設した主体である。辛気くさい宗教団体と思ったら大間違いで、お茶やそのほかアジアの高級特産費を売っているお店も経営している。書店もある。ここではアジアを知るためのさまざまな書籍を販売しており、アジア専門書店といったところ。この宣教会設立350周年ということで、近年、布教の実体を研究して出した文献がおおい。他の客もいなかったので、レジの人にいろいろ質問して教えてもらう。さすがに長崎の教会の世界遺産化運動など、いろいろご存じであった。日本に来た宣教師についてどのように調べるか、パリの教会堂と長崎のそれの類似性について、宣教会における布教史研究の実体などについて、いろいろ教えてもらう。たんへん参考になりました。ありがとうございます。また訪れて勉強・研究させていただくことでしょう。

「建築書店」。これもまた聖地。本を買いあさり、日本に発送してもらう。ぼくは昔からのいい顧客なので名前が登録されている。するとときどき値引きをしてくれたりする。ここはさいきんやっとウェブ・サイトを構築して、ダイレクトに買えるようになった。日本や英語圏にくらべて遅れていることは否めないが、それでも文献コンテンツを考えたら、ますます聖地化した、ということである。ちなみにご愛顧という日本語があるが、フランス語では「フィデリテ」、つまりお客がお店にたいして「忠実」などと表現する。さすがアングロサクソン的資本主義とは一線を画するお国柄である。

ちなみにここんところの経済危機で、フランスのツーリズム業界は大打撃である。旅行代理店の店長がテレビで「客は王様だから」と言っていたが、すこしはこの国も変わったようである。それでも客が神さまである我が国には及ばないのも明らかだが。

「パレ・ド・トーキョー」。キリコ展をやっていた。これはすばらしい。20世紀ではもう珍しくないが、絵画内絵画、絵画そのものをテーマにする絵画である。とくに彼はイタリアの広場がトラウマになっていて、それを描いた。また静物画と風景画を融合したようなものも面白かった。彼が描いたのは彼そのものの内面であり、形而上学的絵画であった。それまでの絵画の歴史、歴史画、風景画、静物画、宗教画は、それを描くためのボキャブラリーとなる。

「モワザン」。日常の聖地。街角のパン屋です。ただしかなり工夫をこらしていて、昔気質ではない。おなじバゲット(フランスパン)でも、付加価値をつけるためか、ビオ(バイオ、オーガニック)、職人風、田舎風などさまざまな付加価値をつけたものが商品化されている。ここはビオ、昔風が売りで、規定価格のバゲットでさえ、餅のように「むちっ」として食感がすごい。

ぼくが留学してはじめて本場のフランスパンを味わったのはもう20ン年前であるが、そのころはたしかにおいしかったが、ちょっとぱさぱさしているし、塩味が強かったことが印象にのこっている。食の追求には限度がないようである。

そういえば夕方のテレビでは、素人が素人を自宅に案内して食を振る舞い、おたがいに採点しあうような番組がはやっている。無理にショーアップしたバラエティ番組のくだらなさに比べれば、かなり好印象である。日本もいまだにそうだが、フランスはまだまだアメリカからのコンテンツ輸入にかなり頼っているのである。

・・・というわけで今回はやや脱力していましたが、それでも裏切られることはなかった。

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2009.02.11

北京のコールハース物件が火災

こちらは朝ですが、インターネットをみたところ、コールハースが北京に建てた超高層が火災という報道。現地9日21時に発生。フランス語圏ではル・モニツゥール、英語圏ではbd、が報じていた。どちらも春節の休暇の最後にこの火事、という似たような書き方でした。

ル・モニツゥールのほうが若干くわしかった。超高層というのは、今年オープンする予定のマンダラン・オリエンタルホテル。高さ159メートル。客室241。オープン前なので宿泊客などはいなかった。出火原因は究明中。

この建物にはホテルのほか、劇場、映画館、録音スタジオ。有名なCCTVはすぐ近くだが、被害はなかったもよう。

オープン前の21時だからおそらく犠牲者はいなかっただろうし、歴史家はあとになっていろいろ象徴的意味を与えたがるものですが、技術的な事故とかんがえたいものです。

・・・とここまで朝書きました。夜、になりました。朝日新聞のWEBをのぞくと、これはCCTV(国営中国中央テレビ)の敷地内の、別棟の建築で、テレビ局のスタッフが数百発の花火を違法にあげていたのが出火原因であるという。消防士がひとり犠牲になったという。

業界紙と一般紙の違いはあるからしょうがないが、日本のプレスではコールハース物件であることはほとんど意味をもたないようです。欧米だと、火災事件というよりコールハース建築だということがポイントだし、出火原因よりもいかなるプログラムの物件が炎上したかに興味があるようです。

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2009.02.10

アレゴリーとシンボルの20世紀

修士論文発表会であった。ベンヤミンについて書いた学生がいて、その審査員になったので、ひさしぶりにベンヤミンについて考えてみた。

ベンヤミンはほんとうに久しぶり。彼は永遠の存在かどうかが知らないが、時代が変わるたびに、くりかえし再読されるようなタイプの思想家であるようだ。

1960年代はマスメディアの発展を背景にして『複製技術時代の芸術』がよく読まれた。

1980年代のバブル時代は一種の消費社会論として『パサージュ論』が注目された。この時期は、アレゴリーとしてのパサージュのみならず、実物のパサージュについてのモノグラフが刊行されたり、その修復が話題にされたりもした。

WEBなどで調べると21世紀の初頭のこの時期、初期の著作や、アレゴリー論が注目されているようだ。今アレゴリー論が語られるべき背景とは何か?専門家がなにを言っているかを調べるまえに(調べたりせずに?)、自分でかってに想像してみる。

彼は1920年代中盤に『ドイツ悲劇の根源』を書いて、シンボルを批判して、アレゴリーに注目する事が大切なんだと力説した。

しかし1923年のおなじころカッシーラーは『シンボル形式の哲学』を書いた。ぼくは学生のころ、彼の『実体概念と関数概念』を読んでとても面白かった。哲学の事情はまったくしらないけれど、日本では、ハイデガーが当初から注目されていのにたいして、カッシーラーの主張は1980年代以降にやっと完訳がでたようで、まったく遅い。ぼくが大学の教養課程でドイツ語をならった先生が、下訳をつくっているようだ。

それはともかくベンヤミンはアレゴリー論を書き、その対概念として批判的にシンボルについて論考したころ、まったく同時代に、カッシーラーが、哲学、科学、美術のコアに「シンボル」を措定して、それが人間の精神活動の基本的な図式であることを前提としていたことを、知っていたのであろうか?

彼がそう意識していたかどうか、ぼくは知らない。なのでご存じである専門家がいらしたら、おしえていただきたいと思う。

そう意識していたにしろ、いなかったにしろ、アレゴリー/シンボルという構図は、20世紀そもののであったと思う。そういう意味で、ベンヤミンを、カッシーラー以降の系譜と対比的に位置づけてみたい。

パノフスキーは、カッシラーにおおくを負っていると述べながら、『イコノロジー研究』や『シンボル形式の遠近法』などを書いた。イコノグラフィーとイコノロジーの相違などを解説していた。学生のころ、この区別がいまいちわからなかった。なぜアレゴリーとシンボルを区別するのか。どのみち、ある図像は、なにか図像そのものでないこと、概念、などを意味している。鳩は、たとえば鳩そのものではないもの、たとえば精霊とか平和を意味している。そんなことを論じるために、なぜ区別が必要か、ということ。

しかしパノフスキーは芸術ではこのように区別されますよ、と説明しているのではない。彼は自分の方法論はこうだ、と宣言したのである。私と私の学派は、この意味付与のしかたを、2層に階層化して考えるのですよ、といっていたのだ。つまり鳩は精霊といったまず下層の解釈のその上に、いくつかの図像が組み合わさって一つのタブローを構成するときのその全体的な意味、そしてこうした別の何かによって意味されることのシステムにより、芸術を構築する精神に営みそのものを「シンボル形式」として考えようというのである。

そこではパノフスキーは、シンボルは上位、アレゴリーは下位、とはっきり階層化した。これならベンヤミンは激怒するであろう。そのあたりをぼくはよく知らない。ふたりはお互いの仕事を知っていたのだろうか。ベンヤミンは、同時代にカッシーラーがシンボル哲学を構築していたことをうっかりして知らなかったのだろうか。どっちだろうか。でもベンヤミンが他の研究者のことを知らなかったとしても、それならいよいよ、シンボルとアレゴリーの対峙というものは、意味深である。

『シンボル形式の遠近法』。空間や視覚そのものが成り立つための、見方の図式のようなもの。これは個々の見え方のより上位にある、普遍的な「見方そのもの」はなにか、を問うようなものである。

ウィットカウアはそれを継承する。高次の意味解釈を建築に適用する。ルネサンスからバロックを、ネオプラトン主義の系譜としてとらえた。彼によれば、この時代のイタリアは、まさにひとつの形式を構築しようとしたのであった。そこでは個々の建築はそれぞれ異体であり、上位のイデア的なもののさまざまなバリエーションなのであった。

コーリン・ロウは、ウィットカウアのパラディオ分析を引用しながら、おなじ図式がル・コルビュジエにも見られると指摘した。16世紀にも20世紀にも通用する形式があったという指摘、それはまさに建築というイデアの存在の指摘である。

これは20世紀のアメリカ建築思想の底流となる。ピーター・アイゼンマンは建築というのはひとつの数学形式であると宣言したが、これはパノフスキー/ウィットカウア/ロウの路線にとても自然に位置づけられる。

ベンヤミンは、自分が批判的に位置づけた「シンボル」がこんなに20世紀を支配するとは想像しなかったのではないか。しかしそれだからこそ、シンボルではない、アレゴリーは、20世紀におけるもうひとつの可能性であったものとして、輝きつづける。

『パサージュ論』はアレゴリー論の自然な展開である。本来の意味から切り離され、パサージュのショウウインドウに陳列される。本来の実用的意味はなくなり、回想、素材、原型の図像、など別のさまざまな意味が付着してゆく。しかしそれらは、構造化され、上位のイデア的意味に回収されることだけは、徹底的に拒否するのである。

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2009.02.09

なぜ都市計画は無宗教的か?

これは前の投稿とセットです。

なんでもかんでもフランスをモデルにする必要はないのですが。まあ今フランスに滞在しているということで。

つまり都市計画には一般的に宗教施設の配置やなんかは考慮されないし、そもそも「都市計画学」というのは宗教など関係なく体系づけられている。このことは明らかだと思う。宗教はそのとき任意の団体にすぎず、あってもいいけれど、なにか「その他」カテゴリーにはいっているように思われる。

もちろん政教分離だ。ただ厳密にいうと、「政教」とはもともと政治と教会のこと。政治と宗教ではなかった。ただ社会の世俗化ということが広まると、カトリック教会のみならず宗教と政治のこととなった。

だが「宗教と都市計画」とは、「宗教と政治」のこと、ではない。「宗教と行政」のことであるはずだ。行政が地域に住むいろいろなことに関わるとすれば、宗教はどうなるのだろう?微妙なところです。ぼくには本質論的レベルで指摘する資格はない。ただ政教分離とは、わかったようで、よくわからないシステムなのである。

こんなことを考える理由は、フランスの宗教建築を考えていると、つぎの3点に気がつくからである。

(1)カトリック教会はもともと行政を担当していた。

いまでは出生、婚姻、死亡の届けは役所にいってするが、かつては教会にいってやっていた。つまり市役所、区役所の仕事をしていた。もちろん日本の近世においても仏教というかお寺はそんな存在であった。しかしキリスト教の場合、宗教は主体的であった。日本の場合、世俗権力が優位にあって、宗教にその仕事をやらせていたという違いはある。

(2)カトリック教会は地理的広がりをよく考えている。

新しい都市が建設されたり、市街地が成長すると、かならずカトリックは教会堂を建設する。この宗教は、布教の空白域をつくりたがらない。だから20世紀、郊外が急速に成長しても、教会はそれに追いつこうとする。

比較すると面白いと思うけれど、日本の郊外は完全に無宗教であることがある。寺、神社、教会のない郊外住宅地は多い。だからそんな空白域をねらって新宗教がはいることもある。ぼくは外国の例をいろいろ見ていると、日本の郊外がこれほどまでに無宗教的でいられるのか、不思議な気がする。

ともかくカトリックはつねに、世界、国土、都市など地理的なものを考えているように思える。だからイエズス会の世界布教も、20世紀における都市郊外への布教も、根は近いように思える。

(3)都市計画と政教分離

フランスでいうと20世紀になってすぐ「政教分離法」ができる。これより、政治は政治、教会は教会。教会は政治には介入できない。いっぽうで国や自治体も、宗教には介入しない。

建築にとって重要なのは、教会堂を建設したり、修復したりするために、基本的には公金は使えなくなった、ということである。それ以前はどうか?19世紀においてそれは可能であった。税金で、教会堂を修復したりしたのであった。

ただ1913年の文化財法のようなものによって、文化財(歴史的記念碑)に指定された教会建築には、公金が使われえる。これは財政的には、世俗国家としては「宗教」は支援しないが、「文化」は支援しましょう、というような意味をもっている。

近代的な都市計画は1910年代以降である。だからものの順番からいえばあたりまえである。「都市計画学」が大学などの研究機関におけるディシプリンとして登場したとき、社会はすでに政教分離であった。だからそこでは宗教や宗教施設が対象とされないことは、理論的には自明のことなのだ。

しかしもし都市計画が1850年頃に成立していれば、これまた理論的に明らかなことに、宗教施設を一種の都市施設として扱わなければならなかったのである。なぜならそれは地方公共団体の所管であるからである。だから都市計画では教会堂を扱わねばならないことになっていたはずである。

世の仕組みというのは、時系列でおってゆくと、けっこうはっきりわかるのである。

ただ実際は、都市計画事業のなかで、宗教関係者がしっかり介入し、教会堂を建設している。よくあるパターンは、都市計画区域のなかで、行政が宗教団体に、その敷地をきわめて廉価に99年間貸与するというようなものである。さすがに上物は募金や喜捨などに頼るのであるが。

でもあらかじめ宗教がインプットされている都市計画を想像しても面白いかもしれない。日本にも実例はあるし、地球上はそんなもののほうが、多いはずである。

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2009.02.08

宗教的なパリの日曜日

またまたパリにきています。今回はパリとボルドーで資料蒐集。日程は比較的余裕をもたせています。

往路は、日仏の航空会社のコードシェア便でした。ありがたいことに出発直前、航空会社がビジネスクラスにしてあげる、という。席があまっていたのだろう。ありがとうございます。とても快適でした。

エコノミー乗客のなかからどうやって選ぶのか、(顧客サービスのシステムということで)知りたいところだが、マイレージの多い順、渡仏回数の多い順、過去の滞在期間の長い順、親仏派の順(まさかね)、などといろいろ推測するが、まあどんなところでしょうね。

パリは、郊外は雪化粧、でも市内はふつう。

夜、ホテルに到着。

日曜の朝は、すこしだけTVの宗教番組を見る。

ミサの日だから、ラジオやテレビでは宗教番組をやっている。これは20年前に留学したときもそうでした。メディアができたときから、そうであったのでしょう。

乏しい体験から言ってるにすぎませんが、番組のスタイルもずいぶんかわったような気がします。

かつては司教、牧師、ラビが信者などに直接語りかけるスタイルでした。

しかし今は、指導者が導くというより、信者の紹介のような感じです。信者たちが、いかに生活し、どんな困難を乗り越え、心が満たされているか、淡々と紹介する。あるいは宗教的モチーフが出発点とはいえ、それがどんな社会活動となって実現されているか、など。

メディアの宗教番組は、基本的にはフランスにある主要な宗派を偏りなく紹介することになっています。

今回は最初から最後まで見たのではないのですが、下記のようなものが紹介されていた。

ユダヤ教については、イエルサレムにおける医療活動。2005年から、女性の活動家が、心臓の平和的な運動を展開している。つまり医師と連携して、先天的に心臓に重大な疾患をもつパレススチナ人の赤ん坊や子供のために、彼らを受け入れ財政支援もやっている。番組によると、パレスチナは社会保障がないので、ただでさえ高額な心臓手術など難しいし、イスラエルの病院がパレスチナ人をこういうふうに受け入れることはいろいろ意義深い。いままでに155件の手術件数であり、ただひとり亡くなったが、大多数は家族生活に復帰しているという。

プロテスタントについて。いろいろな信徒の人生が紹介されていた。スイス在住のアフリカ系スポーツインストラクターは、家庭崩壊の危機をのりこえ、立派なインストラクターとなり、生活も安定し、ボディビルコンクールのようなものでは優勝して、社会に受け入れられた。救急士。彼はの福音とは理論ではなく、実際だという。困っている人を目の前にいるからだ、ともいう。自然災害被災者の心的外傷をケアする精神科医も語ってました。

オーソドキシーでは、集会所に来た信者が信心を語っていました。

カトリックについては、局スタッフが信者の家族を訪問して、取材していました。題材は、金曜日は肉ではなく魚を食するという一般的なものですが、子供も確信を持ってその信心を語っていたのが印象的でした。

ところでこの種の日曜宗教番組では、ミサの中継は定番です。今回は、パリ郊外ルイユ・マルメゾン(裕福な人びとの戸建て住宅地もあるけっこういい地区)のサンテレーズ教会。昔の画像を見せながら、1960年頃の建設、信者たちの寄進、その当時の殺風景な郊外の様子、今の団地とオフィスビルが建ち並ぶ様子、を紹介していた。教会堂を鍵にして、半世紀にわたる郊外成長のパノラマのようなもので、面白い。教会堂そのものはとても簡素なつくり。建築に詳しい人なら、50年代的、といえば「そうか」と理解していただけるようなものです。

普通にしていればあまり見えないが、この社会はとても宗教的であることには、変わりない。共和国としてのフランス。それはしっかりある。共和国は宗教的ではない世俗社会を構築しようとした。だからといってカトリックとしてのフランスがなくなったのではなく、しっかり連続している。もちろん他宗派のフランスも。

・・・蛇足。今回の出張のために誓いをひとつたてました。コーヒーは1日一杯だけ。コーヒー大好き人間なので、ときどき摂取過多で体調を崩す。その悪癖を改めよう。神さまの前ではなくみなさまの前で誓うことにいたします。

・・・蛇足の蛇足。宿の事情で、1時間あまり、カフェで時間つぶしをしなければならなかった。

だからカフェのテラスでこれを入力しています。禁煙となった公共ゾーンのなかで、テラスは喫煙ゾーンのようで、煙は我慢します。道もよく見えます。街中のふつうの歩道でジョギングする人も増えた。日曜とはいってもね。この社会も変わったものです。注文したのはコーヒーではなく、紅茶。

で、近場のおじさんから「あなたはこれ(PC入力)のためにいくら払っているのかね?」と聞かれた。

彼はヘッドフォンでCDを聞いていたのでした。迷惑にならないようにわざわざテラスを選んだのだが。「キーボードを叩くのでうるさいのですね」とダイレクトすぎることを言ったら「いやまあそうじゃなくてね、まあ・・」と返ってくる。静かにキーをたたくことにしました(おじさん、気が利かなくてごめん、時差ボケ+外人だから)。

・・・おフランスでございます。

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