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2009.01.15

マーケットとの相関(モム建論3)

「モダニズム建築論」はながったらしいので「モム建論」とします。

ほかの話題はないのか、と叱られそうですが、いろいろ考えていると、けっこうたまっていたものがあったようです。いちどはき出すのも悪くはないでしょう。この問題をいろいろ揉んでみましょう。

"Modern Architecture"という英語を、日本人はなぜ「モダニズム建築」と訳すのかという疑問です。いろんな事情があるんだよ、という御仁は、「Modern Architectureをモダニズム建築と訳すんだよ、その訳はね・・・」と堂々と人に言ってみてください。でもなかなかいえませんよね。どうしてそんなことになるか。

今回は原因をいっきに考えるのではなく、周辺を観察してみよう。

つまり「なぜ」ではなく、「Modern Architecture=モダニズム建築」、ということの意義です。

これはまず「日本」という建築や文化の空間が、閉鎖的であるということ。それから閉鎖的なのだけれど、それで成り立ってしまうような「マーケットの規模」がすでに確保されていること、ということなのです。

つまり「Modern Architecture=Modernism Architecture」という、なんじゃこりゃ、でも通用してしまう日本建築界でも、規模が大きくて、出版も、アカデミズムもそこそこ大きくて、自立してしまう。するとそこのローカル・スタンダードがちょっと変でも、食えるのだから、成り立ってしまう。

これは野球に喩えると簡単です。メジャーはレベルも市場規模も格段に高い。でも日本のプロ野球も、日本人口1億3000万人を背景に、儲かるし、すこしばかり日本人がメジャーにいっても興行は成り立つのです。日本と、韓国や台湾との違いは、プレーのレベルではなく、このマーケット規模にあります。日本マーケットはけっこう大きい。だから一昔前に、「トンネル」といったり、「ナイトゲーム」ではなく「ナイター」という和製英語があっても、それが老舗の慣用でなかろうとも、成り立てしまいます。

建築における「モダニズム建築」は、野球における「ナイター」なのです。あるいは「サドンデス」をあえて拒否して「Vゴール」としてしまうリテラシーと似ているかもしれません。

日本は島国で小国かもしれないけれど、興行、文化、などを成立させるには十分な大きさをもった「マーケット」です。これが自律的文化を保証しています。

戦後の経済復興は、積極的な輸出によるものだという説もあるけれど、国内マーケット、つまり内需が大きかったからできた、という説もあります。つまり繊維、トランジスタ、自動車の輸出も確かにあったけれど、持家政策による住宅産業の躍進、というまさに内需拡大政策があったことは確かです。80年代の外圧で、とくにマーケット開放が求められたのは、建設産業であったことを思い出してもいいでしょう。

このように日本は国内マーケットがけっこう大きいので、日本の常識=世界の非常識であっても、それは地域性ということで、やっていけます。

でも最近そうもいってられない状況になってきた。ぼくもかかわっていますが、日本建築学会が韓国や中国と共同で出している英語の学術論文集です。

なんでも韓国や、アジアの国の研究者が、アメリカに留学し、本場の建築理論を研究し、英語で論文を書くことが多くなってきた。この学術雑誌はまだできて数年です。しかし10年をすぎれば、爆発的に支配的になってしまうことも考えられる。いわゆる「黄表紙」に追いつき、追い越し、立場を逆転することだってけっこう現実的にありうることです。彼ら、日本人ではない研究者たちは、たとえばアメリカ人の先生について、自国の文化をふまえても、グローバルな英語とその用語の意味にちゃんと立脚して論文を書く。それから学問では、韓国やアジアの諸国では、国策的に、英語で論文を書くという状況になっている。

そのかたわらで日本では、「Modern Architecture=モダニズム建築=Modernism Architecture」という鎖国的な状況がつづく。すると、どんなことになるのでしょうね?

たぶん日本からは、グローバルに評価される偉大な建築思想は生まれないでしょうね。

でも日本という、いちおう中規模マーケットのなかでぬくぬくと生きられるのでしょう。

それから日本語で書くことの意義は「日本語と外国語のはざまに」で指摘したとおりですが、でも、翻訳は翻訳として正確であったほうがいい。

これは資格問題と同じです。韓国、中国、アジア諸国が、いちはやくUIA体制などの国際的建築家資格制度に対応したのは、国際マーケットにリンクしないとどうしようもないからです。日本がこの課題にどう対応するかで遅れているのは、国内の建設マーケットだけでも、なんとかなりそうな気がするからです。ほんとうは、なんともならないかもしれません。でもまあ、とにかく国内マーケットはけっこう大きいのです。

それはともかく、日本人が世界に通用する建築理論や建築研究論文を書くとして、「モダニズム建築」について書くとする。それを英語で発信するとして、modernism architectureと訳すのでしょうか。そんなことするわけがありません。結局は、modern architecture としたり architectural modernism としたりするのですよ。

ただまあ、それで通用するくらい日本マーケットは大きい。そこに私たちの幸福はあります。それを鎖国だ、内向きだ、というように批判することは大人げないとはいえるでしょう。それでもねえ。

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