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2009.01.10

「モダニズム建築」というメタ問題(1)

「モダニズム建築」などという用語がとうとうテレビの教育放送にまで登場してしまって、それが専門用語としておかしいという正論はもう勝ち目がないようです。

しかし負けたから、例外的少数派になったから、正しい議論をしないのは研究者らしくない。そこで過去二回の投稿(http://patamax.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_9c66.html、 http://patamax.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_a90b.html)もふまえ、すこし議論を追加したい。

日本語版ウィキペディアでは「モダニズム建築」の解説がかなり詳しくのっている。その定義は英語版とも違っている。この定義はどう読んでも専門家が書いたものです。ウィキペディアなので匿名です。ぼくは名のって意見表明していますが、匿名の相手ならしこりは残らないでしょう。しかし同じ学会の会員だろうし。複雑なところです。

ぼくは「モダニズム建築」は英語の"Modern Architecture"の定義とはことなっている事実は確認しなければならないと思う。それがまず一点。しかし違っててもいいかもしれないけれど、定義が違っていることは、翻訳が不可能だと言うこと。さらにそれらを日本人が自覚しているかどうかというのも問題である。

日本語ウィキペディア(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0%E5%BB%BA%E7%AF%89)から引用してみよう。最近になって改訂されたということを人からきいた。のぞいてみたが、これはかなり長い説明である。そこで1回1項目ずつ検討してみよう。今回はまず、冒頭の「定義」から検討する。

「モダニズム建築(Modernism Architecture)は、19世紀以前の様式建築を批判し、市民革命産業革命以降の社会の現実に合った建築をつくろうとする近代建築運動により生まれた建築様式。新しい建築を求めて各国でさまざまな試行錯誤が繰り返され、国を超えて大きな運動になっていった。モダニズム建築(近代主義建築)は、普遍性・国際性を主張するが、いうまでもなくその表現には幅があり、「まったく同じ様式が世界中に普及した」訳ではない。

モダニズム建築は20世紀になって突然生まれたものではない。建築を理念によって支えるという点は新古典主義建築において萌芽したものであるし、要求に則した建築を機能的に設計するというプロセスは、用途や要求などの諸要素に対応して様々な様式を採用するという19世紀の歴史主義建築の手法においてもみられる現象である。むしろモダニズム建築は、それまでの建築思想を拡張し、再構成することによって成立したと言える。

単に装飾を省略するだけではモダニズム建築は成立しない。18世紀後期に相対化された歴史的様式の代わりに、普遍的な「空間」の概念が導入されている。」

・・・専門家としてぼくが読むと、あらゆる行に、問題が含まれている。

(1)Modernism Architecture という英訳をしている。googleなどで検索してみれば瞬時にわかることだが、Modernism Architecture という表現は英語ではしない。つまりModernism Architecture は和製英語である。そして英語などで構築された文化体系、そして「モダニズム建築」という表現で指示される対象が展開した文化体系では、そういう言葉づかいはされない。 

(2)論理形式が破綻している。モダニズム建築は、近代建築運動から生まれたとしながら、20世紀になって突然生まれたのではない、とする説明。つまり20世紀のものだけど、以前から少しずつあった、というような説明。つまり、ある事柄が、ある時代に特定されるのか、あるいはどの時代にも見られるものなのか。こういう時代性をはっきりさせるのが歴史研究なのだが、固有でもあり普遍的でもあるという書き方は、たとえば方法論的遡及主義(現代のものでも古代にまで遡及できる)の典型的な欠陥を露呈している。遡及主義がそもそも歴史認識として問題をはらんでいるという、常識的なことすら把握されていない。

(3)「モダニズム建築は・・・・生まれた建築様式」という構文における矛盾。つまりイズムを問題としながら、それは「様式」として理解されている。つまり思想といったり様式といったり、どの指標に即した定義なのか、作文者そのものが揺らいでいる。これは作文上の初歩的破綻なのだが、それに気づいていない。

(4)「歴史主義建築」という用語も間違っている。ぼくは西洋建築史、その17世紀から20世紀全般をやっているが、そこで歴史主義といっても、通用しない概念である。あるいはごく狭く使うことがあるにしても、一般的ではない。過去の様式を使う方法論は、「リバイバリズム」と呼ばれる。歴史主義は、思想や哲学で使われる(ポパー『歴史主義の貧困』)が、建築史においてはきわめて限定的に使われるにすぎないし、ましてや歴史主義建築などいう用語は誤解をまねくだけだ。

(5)いわゆる「歴史的様式」が18世紀後半に相対化されたなどということも意味不明。18世紀後半は、新古典主義というかたちで、その時代固有の様式がまさに創出されたのであって、それはたんなる復古でもなくしっかりした思想にもとづく創造的なものであった。

(6)それまでの思想を拡張し、再構成したのがモダニズムだとしている。しかしどの時代もそれなりに、それまでも思想を拡張し、再構成している。この作文者は歴史を知らない。人間が有史以来、理性をつかっている以上、合理主義はどの時代にもある。機能主義もしかり。

(7)様式否定だけでなく空間がモダニズム建築の基準だというのは、まさにこの作文をした人物の思想にすぎなくて、それを匿名で普遍化するのは危険である。

・・・・以上は、作文のなかでいわば露出している間違いです。しかしそれを指摘するだけでは不十分である。問題は、人はなぜこのような間違いをするか。それを分析することで「モダニズム建築」というメタ問題が理解できる。

(a)まず「イズム」と「スタイル」を混同している。

「イズム」とは、当事者が意識して言葉にして主張したことの内容。「スタイル」は建築作品がもつ全体の統一性、他とは異なる表現である。

もちろん作品を根拠にして、建築家の思想を、推測し、判断することはある。しかし「イズム」とはまず自覚的な思想の表明でなければならない。

だからモダニズムが「イズム」であるからには、だれが、いつ、どのように(どの著作で)考えを表明したか、その事実を組み立てて構築されるものだ。もし、そうではないという指摘があるとしよう。では本人(たち)が自覚的に表明していないことの、背景に、あるいはそれらの総体から、あるイズムが抽出できるというのなら、それはどういう方法論で、どの権利によって、そういうことが指摘できるのか。それは「モダニズム」という概念をもって歴史を説明しようとしている人物その人の思想なのである。

(b)「モダニズム」という「思想」があったのか?

ウィキペディア的定義における「モダニズム」という思想は、俯瞰的、全体視的なものにすぎず、そして観察者自身の思想の投影にすぎず、当事者の思想ではない。つまり近代建築運動の、未来派、デスティル、ピュリズム、バウハウスはそれぞれ「異なる」主義主張をし、互いに異なるがゆえにときに闘いにもなった。

しかし今問題になっている定義はそういう、「異なる」さまざまな主張を含み、それらを総括する、観察者自身の思想の投影なのであって、それはヘーゲル的な「時代精神」のようなものである。おそらくそこに日本人の限界があって、欧米ではそれぞれ顔のことなる、それぞれかけがえのない思想を、十把一絡げにして、モダニズムというレッテルを貼っているだけである。これは外国人が日本をみてなんでもかんでも禅として理解するに等しい。

つまりテキスト、教義、マニフェスト、中心的な文献というコアをもった当事者の自覚的「イズム」と、事後的に浮かび上がる、ということは観察者が事後的にそう解釈するという意味の「イズム」が区別されていない。そして後者はほとんどヘーゲル的時代精神のようなものであって、そのような歴史主義はまさに「歴史主義の貧困」である。

(c)「歴史主義」という思想があったのか?

同様に「歴史主義」も同じように理解されている。建築史上で想定されている「歴史主義」とは、過去の様式を復興させるさまざまな、「異なった」アプローチをひとまとめにして、そう呼ぶものである。しかし、ゴシック・リバイバルはひとつの完結した、他とはことなる思想にもとづいている。ルネサンス・リバイバルもしかり。バロック・リバイバルも同様。それらのどれを支持するかは、思想の表明と同等であり、それらのリバイバリズムは思想として対立するがゆえに、意味があった。しかし、それらを包括的にまとめることは、そうした思想の同時代的な意義を薄めることにしかならない。

本来の「歴史主義」とは、歴史がある法則にしたがって展開している、というような考え方である。それは全体主義を擁護し、支配的な意見や主張を、より強化する。だから近代のテクノロジーなどを根拠に、モダンアーキテクチュアが展開されねばならないという主張は、一種の歴史主義なのだ。ウィキペディア定義では、そういうモダンの出自もまた自覚されていない。

・・・・・共通しているのは「モダニズム」も「歴史主義」も;

(i)いろいろな思想を乱暴に束ねたものである。

(ii)後世の人が遡及的に束ねただけであって、当事者たちの意志には関係ない。

(iii)「モダニズム建築」という発想そのものが「歴史主義」的であり、「貧困」である。

というようなことです。そもそも「モダニズム」という概念は、きわめて漠然と想定されているにすぎない。ウィキペディアの著者は、じゅうぶん定義しないまま書き始め、ああでもない、こうでもないと論じています。いくら説明を追加しても「定義が不十分」状態は解消されない。これはきわめて日本的なアプローチといえます。

・・・さて次回は「成立の背景」項目などを検討します。

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コメント

『建築思想』をアカデミックに扱っている土居さんならではの正論であると思います。拍手!!!

日本語版ウィキペディアでは「モダニズム建築」の解説が気になって読んでみましたが、確かに『建築概念』が曖昧で、誰かからの引用を自分の思い込みもしくは書いているような内容でした。いわゆる建築ジャーナリスティクな書き方で正確さに欠けているように思いました。例えば、ここでの『歴史主義』は『(過去の建築スタイル)の折衷主義』と読み替えた方が近いのではというように。

スペインではガウディ、ドメニク・モンタネール、プッチ・カダファルク等の『アールヌーボー建築』のことを『モデルニスモ建築』と一般に呼んでいます。日本では、明治期の折衷主義建築、いわゆる『様式建築』に対しての分離派を中心として始められた新興建築デザインは『モダニズム建築』として呼べるものではないかと思います。しかし、あくまでも日本限定です。

建築ジャーナリズムで一般に使われてきた『ポストモダン』『デコン』『ハイテック』『レイトモダン』感覚で『モダニズム建築』として自分で感覚的に建築フォルム拡大解釈して使っているように思われます。

もっとこういった議論が真剣に建築ジャーナリスムで行われるようになれば、今の閉塞感の真っ只中にある建築デザイン界を活性化できるのではないかと思います。

今後の活躍に期待しています。

投稿: ユーイチ | 2009.01.12 02:00

初めまして。
先にコメントされたユーイチさんが、
モダニズムという言葉の使い方に関し

アカデミック⇔建築ジャーナリズム

という対概念で説明されたことに触発されたので、
少しコメントさせてください。

実は、私はある地方の情報誌に関わる仕事をしていて、
その中で建築を紹介する機会がときどきあるのですが、
建築専門用語の取り扱いに悩む場面があるのです。
ここで主題になっている「モダニズム」はもちろん、
「近代建築」から「RC造」、「木部」といった言葉まで。

アカデミーのように学術的な正確さを追求する場ではなく、
建築ジャーナリズムのように専門家同士の(符丁の)会話でもない。
「建築」というジャンル自体を意識したことがない、
そんな読者に向けての言葉使いです。
たとえ注釈印を付けても、
注釈の解説部分まで読んでくれるかどうかという…。

そうした悩みを抱えている私から見ると、
土居さんが問題にされているウィキペディアの解説も、
「モダニズム」に対する捉え方の誤りという部分以外に、
そもそもウィキペディアの文章は
「誰に」「どのレベルの知識を共有している読者に」
向けて書くか? という点も
考え合わせる必要があるのでは? と感じました。

もちろん、誰が誰に向けて言う(書く)場合でも、
正確さ、正確であろうとする誠実な下調べは当然の義務ですが。

投稿: すっとん卿 | 2009.02.17 10:30

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「モダニズム」や「モダニズム建築」の言葉の問題については土居義岳氏のブログに「「モダニズム建築」というメタ問題(1)」という記事が掲載されています。 [続きを読む]

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