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2009.01.24

雪降る午後の審査・・・

雪が降っています・・・・。静かに。でも圧倒的に。

ぼくは、もくもくと仕事。どういう因果か、昨年末から論文審査の集中降雪です。いくつかの形態で発表されるべき(これ以上はいえません)研究論文を、なんと30編も審査することにかかわっている。そのうち外国語論文が20編ほど。さらには年度末には恒例の卒論、修論、博論などもいれると50編を超えるだろうね!私大の先生はもっとすごいかもしれませんが。でもたいへんだ。ふう。

もっともぼくが偉くなったのではない。もともとぼくは人様を裁くようなことは嫌いです。でも年齢的に順番がまわってくる。研究論文を出すということは、若手や中堅の人がより上をねらって活発にやることです。そして若手どうし、中堅どおし、の審査はやりにくい。だからできあがりつつある年齢層が審査者として祭り上げられることになる。他の人はともかく、ぼくは本質的に人様を審査するような偉いひとではないのです。

しかし社会を運営するにはなにごとも、研究においても、「審級」が必要です。たとえば学生が研究したものを、指導教員が審査し、さらに学内の委員会が審査し、さらに学会が審査する。ちょうど裁判所の三審制のようなものだ。アカデミックな場合は、裁くというより、権威づけであることは、いうまでもありませんが。

ところでこの審級/権威づけ、はいろんな種類があって、その違いが書くことの多様さを保証しているような気がします。

(1)学会的な審級。ある人の研究論文を、学会が受理する。学会はそのメンバーのなかから信頼できる研究者を複数選ぶ。彼らは匿名で、その論文の合否を審査する。一方的なコミュニケーションでしなかい、ユニラテラルな審査だが、だいたいこれでうまくいっている。匿名であることが客観性を保証しているようなものです。

(2)出版社的な審級。この場合は編集者が「審級」となる。彼は、その編集方針にそって、発行部数を気にしながら、執筆者を選び、書かせる。そこには文化原理、営利原理がせめぎあう。営利原理は、発行部数だが、しかしこれは執筆者が一般読者という別の審級をクリアするかどうかという重要な点です。だから学会的な審級とはちがうが、それでも客観性はある。ただ編集者と執筆者はおたがいに気のあう、あるいは認め合ったあいだがらであることが多く、いわゆる恣意的なものにも見えることがあります。ただし編集者に認められることじたい、執筆者が審級をひとつクリアしたことになります。

(3)同人誌的な審級。他人にどうこういわれたくない人びとは同人誌を発行することになります。建築でも戦前からあったし、日本分離派も原理はそういうものでした。ただしグループ、ユニットも、最初はきままでよかっても、長続きしない場合があります。それはボス的な人ができてしまうなど、「審級」ができあがってしまう。このことが多いようです。

(4)WEB的な審級。もちろん市民として言ってはいけない、書いてはいけないことは、常識であるていどはわかるのですが。いわゆる炎上ですが、不適切な書き込みにたいしてネット社会が批判をするということです。これは形式上は、「審級」がちゃんと機能しているということです。もっとも、ときに本人のみならず所属組織まで責任が及ぶことがあり、過剰な反応になることが危惧されるようです。ちなみにその方面からきいたところでは、西洋の一神教の文明では、つねに神さまが自分を見張っているという意識があるため、抑制がきくのだそうです。

ネットはあらゆる場所に遍在し、人間を超えたようなものですから、この「神」モデルは説得力があります。ちなみに以前、日本のネットのありようは、やはり「世間」をなぞっているのではないかという憶測を書きました。日本人は神さまが怖いから、というより世間、他人、人様が怖いということが自制につながるのではないか。

ちなみに山本七平は、旧約聖書では端的に「人を殺すな」と書かれているけれど、日本の法律では「殺人罪の量刑」を書いてあるだけだ、と説明しています。殺人は禁じられてはおらず、それは良心にまかされているというようです。学生時代にイスラム圏を旅行したとき、同世代の青年から、イスラム教は大切だ、コーランは大切だ、だってそれがないと人は泥棒も殺人もしてしまう、と真剣に訴えられて、当惑したことがありました。でもそういうことだったのですね。

普遍的神/世間のアナロジーが正しいかどうか、専門家にきいてみたい気がします。

(5)、(6)と思いつくのに時間がかかりそうなので、このへんでやめますが、こう書きならべてみるとアカデミックな審級というのは、たいへん平等で、客観的で、よろしいように思えます。象牙の塔的イメージはいつもつきまといますが、学会のメンバーは会費をはらっており、それにみあう権利があるし、いつでも、だれでも、投稿できます。また審査員がダメといったばあいも、文句もいえるし、再投稿もできる。こんないいシステムはありません。

だからぼくも不平不満をいってはいけません。がんばります。ぼくだって昔は結構な数の論文を投稿して、どなたかは存じ上げぬ先輩研究者にみていただいたではないか。その恩返しとして、40編、50編の審査など、なんてことはありません(ね?)。

とはいえウィークエンドです。明日もこの仕事です。夜くらい、近くのフィットネスでプール+サウナくらいして、リラックスしましょうか。

・・・雪は降る・・・しんしんと。

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