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2009年1月の26件の記事

2009.01.24

雪降る午後の審査・・・

雪が降っています・・・・。静かに。でも圧倒的に。

ぼくは、もくもくと仕事。どういう因果か、昨年末から論文審査の集中降雪です。いくつかの形態で発表されるべき(これ以上はいえません)研究論文を、なんと30編も審査することにかかわっている。そのうち外国語論文が20編ほど。さらには年度末には恒例の卒論、修論、博論などもいれると50編を超えるだろうね!私大の先生はもっとすごいかもしれませんが。でもたいへんだ。ふう。

もっともぼくが偉くなったのではない。もともとぼくは人様を裁くようなことは嫌いです。でも年齢的に順番がまわってくる。研究論文を出すということは、若手や中堅の人がより上をねらって活発にやることです。そして若手どうし、中堅どおし、の審査はやりにくい。だからできあがりつつある年齢層が審査者として祭り上げられることになる。他の人はともかく、ぼくは本質的に人様を審査するような偉いひとではないのです。

しかし社会を運営するにはなにごとも、研究においても、「審級」が必要です。たとえば学生が研究したものを、指導教員が審査し、さらに学内の委員会が審査し、さらに学会が審査する。ちょうど裁判所の三審制のようなものだ。アカデミックな場合は、裁くというより、権威づけであることは、いうまでもありませんが。

ところでこの審級/権威づけ、はいろんな種類があって、その違いが書くことの多様さを保証しているような気がします。

(1)学会的な審級。ある人の研究論文を、学会が受理する。学会はそのメンバーのなかから信頼できる研究者を複数選ぶ。彼らは匿名で、その論文の合否を審査する。一方的なコミュニケーションでしなかい、ユニラテラルな審査だが、だいたいこれでうまくいっている。匿名であることが客観性を保証しているようなものです。

(2)出版社的な審級。この場合は編集者が「審級」となる。彼は、その編集方針にそって、発行部数を気にしながら、執筆者を選び、書かせる。そこには文化原理、営利原理がせめぎあう。営利原理は、発行部数だが、しかしこれは執筆者が一般読者という別の審級をクリアするかどうかという重要な点です。だから学会的な審級とはちがうが、それでも客観性はある。ただ編集者と執筆者はおたがいに気のあう、あるいは認め合ったあいだがらであることが多く、いわゆる恣意的なものにも見えることがあります。ただし編集者に認められることじたい、執筆者が審級をひとつクリアしたことになります。

(3)同人誌的な審級。他人にどうこういわれたくない人びとは同人誌を発行することになります。建築でも戦前からあったし、日本分離派も原理はそういうものでした。ただしグループ、ユニットも、最初はきままでよかっても、長続きしない場合があります。それはボス的な人ができてしまうなど、「審級」ができあがってしまう。このことが多いようです。

(4)WEB的な審級。もちろん市民として言ってはいけない、書いてはいけないことは、常識であるていどはわかるのですが。いわゆる炎上ですが、不適切な書き込みにたいしてネット社会が批判をするということです。これは形式上は、「審級」がちゃんと機能しているということです。もっとも、ときに本人のみならず所属組織まで責任が及ぶことがあり、過剰な反応になることが危惧されるようです。ちなみにその方面からきいたところでは、西洋の一神教の文明では、つねに神さまが自分を見張っているという意識があるため、抑制がきくのだそうです。

ネットはあらゆる場所に遍在し、人間を超えたようなものですから、この「神」モデルは説得力があります。ちなみに以前、日本のネットのありようは、やはり「世間」をなぞっているのではないかという憶測を書きました。日本人は神さまが怖いから、というより世間、他人、人様が怖いということが自制につながるのではないか。

ちなみに山本七平は、旧約聖書では端的に「人を殺すな」と書かれているけれど、日本の法律では「殺人罪の量刑」を書いてあるだけだ、と説明しています。殺人は禁じられてはおらず、それは良心にまかされているというようです。学生時代にイスラム圏を旅行したとき、同世代の青年から、イスラム教は大切だ、コーランは大切だ、だってそれがないと人は泥棒も殺人もしてしまう、と真剣に訴えられて、当惑したことがありました。でもそういうことだったのですね。

普遍的神/世間のアナロジーが正しいかどうか、専門家にきいてみたい気がします。

(5)、(6)と思いつくのに時間がかかりそうなので、このへんでやめますが、こう書きならべてみるとアカデミックな審級というのは、たいへん平等で、客観的で、よろしいように思えます。象牙の塔的イメージはいつもつきまといますが、学会のメンバーは会費をはらっており、それにみあう権利があるし、いつでも、だれでも、投稿できます。また審査員がダメといったばあいも、文句もいえるし、再投稿もできる。こんないいシステムはありません。

だからぼくも不平不満をいってはいけません。がんばります。ぼくだって昔は結構な数の論文を投稿して、どなたかは存じ上げぬ先輩研究者にみていただいたではないか。その恩返しとして、40編、50編の審査など、なんてことはありません(ね?)。

とはいえウィークエンドです。明日もこの仕事です。夜くらい、近くのフィットネスでプール+サウナくらいして、リラックスしましょうか。

・・・雪は降る・・・しんしんと。

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2009.01.22

住宅の近代化にとっての「女中」について

ぼくは基本は怠惰であり、家事は必要に迫られてやっている。しかし前項「わたしの家」ではご婦人が台所で調理するさまが、アトリエにおけるアーティストのように撮影されていて、いまどきはこれなのだとあらためて知った。つまりかつて「家事労働」であったものが「生活アート」となっている。性差であったものが、文化に昇格した。

それで住宅について、うじうじ再考してみると、かつて家事労働を「女中」がひきうけていたが、近代化にとって「女中」とはなんだったか?である。とはいえ「女中」概念は広い。江戸時代からあって近代にも存続した、住み込みの家事労働者「女中」。それにやや近いビクトリア朝イギリスの「家事使用人domestic servant」。仲介斡旋所から派遣される「家政婦」。近過去にオタクがはまった「メイド」。

まあそれはいいとして、中廊下式における「女中部屋」を論じる住宅専門家はいるが、女中からみた近代住宅などというテーマもけっこういいのではないか。ぼくは書きませんが、だれかやってみませんか?

「おしん」というNHKドラマがあった。ぼくは馬鹿にしてみなかった。しかし人に教えてもらったところ、その80年代、いよいよ女中という慣習がなくなったとき、かつて女中を雇っていた人びとが懐古的に鑑賞したのだという。ぼくは苦節なん年の物語だと思っていたが、れとはまったく異なる見方もあったわけだ。

歴史的にみれば「女中」とは住み込みの家事労働者であり、近世の慣行が、近代にまで、おそらく1960年代ころまで、続いていたものであった。

実際、よくできた女中さんは、家族以上に家族的になり、家内のすべてのことを熟知していて、家の実質上の管理者であったりする。これは日本近代におけるひとつの典型である。

それが廃れたのだが、いろいろ理由は想定できる。

(1)家事労働の機械化。いわゆる三種の神器、炊飯器、掃除機、洗濯機がこの家事というものを合理化し、人手があまりいらなくなった。

(2)雇用形態がすこし差別的と感じられるようになった。仲介者が介在し、雇用契約がはっきりした形式が近代的と考えられるようになった。

(3)家族の引きこもりという一般的な現象。これはぼくの専門のフランス建築でもときに議論される。18世紀までの王室・貴族はさておき、19世紀以降のブルジョワ家族において、女中は一般的であったが、しかし女中は、「同じアパルトマンに住み込み→同じ建物の屋根裏部屋に住む→別の町の別の住所からかよう」というように、しだいに家族からとおざかってゆく傾向がはっきりしている。

この第3の理由は、女中の人権にようなものかもしれないが、家族史などでは「家族の引きこもり」現象としてとらえられている。つまり近代家族とは、社会から自分たちを隔離しようとする血縁者集団である、というわけである。だから最初は女中を「家族同様」とみなしていても、しょせん血縁者ではなく、家族の外部であり、社会からおくられた人間であるから、それをなるだけ遠ざけよう、という傾向である。

つまり家族は近代において、いろいろ形態をとりつつ、最終的には核家族へ、そしてそれも終わってとうとう個人のアトム化、そして原子的個人の再グループ化、というような流れらしい。

しかし近代家族とはすぐれて血縁家族だったというわけである。核家族化のまえに、血縁のない人間を排除することが試みられた。そののち3世代のうちの1世代が排除されて、2世代家族となった。これが核家族である。

フランスの学者が主張しているのは、家族そのものの「引きこもり」である。社会から引きこもって自律的な空間をつくろうとする。他者を排し、社会を排した。現代日本の若者の「引きこもり」はたんに社会性のなさというより、家族そのものの引きこもりが大前提であるようだ。

ところでシャルロット・ギンスブール主演の《かわいい泥棒 La Petite Voleuse》にあるように、女中はときどき主人の財産をくすねたり、ひどいときにはごっそり盗んで夜逃げしてしまう。女中文化とでもいうのか、それは日本でも同じであったようで、資産の社会的再配分とわりきって女中を雇用するというのが正しいやり方などという人もいる。

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2009.01.21

『わたしの家』を賜った

鹿児島を拠点とする「シンケン」社からいただきました。フルタイトルは『日だまりと暮らす 木陰に憩う わたしの家』で、副題に「福岡・鹿児島で家を建てる人のための本」とある。つまり地場の工務店が、潜在的施主にむけたPR本である。

発行所は「エクスナレッジ」である。建築知識のころから評価の高かったところだが、エクスナレッジになってますますパワーアップしたように思える。

地方の工務店は、地場に伝わる技術があったり、建材の産地に近かったりそれなりのメリットがある。しかし編集、出版、販売などのノウハウはまだまだ東京独占である。だからこの住宅ガイドはそれら長所を組み合わせたものといえるだろう。

この文献は、住宅PRなのであるが、最近の料理本やエステ本やフィットネス本などのように、小洒落ていて、楽しい。住宅物件紹介のみならず、施主がそこで住んで、料理をつくったり、土間で日曜大工をしたり、機織りをしたり、洋裁師をしたり、そして広々とした海や緑を眺めたり、というような具体的なよき生活が、写真で紹介される。つまりホビー本のノウハウを住宅に応用したものと読める。

同時に専門工務店として、住宅の企画、計画、デザイン、素材、構法、などオールラウンドにわかりやすく一般市民に説明している。かなりノウハウを蓄積した、志の高い工務店である。

ネオバナキュラーということばがあったが、有名/無名、建築家あり/建築家なしという二元論はもはや過去のもので、このような地方の工務店でも、デザイン、構法、構造、環境工学などを包括的にシステムとして所有し、それを反省的に研究しつつ、そうした姿勢さえも商品として施主に提供できるという、小宇宙になっている。そしてこのように情報発信するのであれば、アカデミーを頂点とするヒエラルキーは、消失しないにしても、かなり霞のようなものとなっているということであろう。

ちょうど1世紀くらい前、住宅の近代化がはじまり、電気・ガス・水道がユニバーサルなものになりはじめ、また百貨店が住宅展を開催することで、市民を啓蒙し、住宅をコアとする消費生活の姿を広めようとした。それは一種の啓蒙であった。それから100年。たしかに隔世の感、ではなく、まさに隔世そのものである。

でもこういう状況はなんと形容するのであろうか。

10年ほどまえ『建築キーワード』を編集していたころ、サブカルチュア、オタクというのは、これから建築のひとつの軸になるのではないか、と考えていた。つまり100年前なら「アヴァンギャルド(前衛)」、50年前なら「ラディカル」である。そして今なら「サブカル」。それは選ばれし少数者であり、自覚的自己登録的エリートの系譜である。よくもわるくも選良意識。その系譜は歴然とある。

しかし地域に基盤をおきつつ小宇宙を構築できる状況がくると、すこし変わってくるかもしれない。ぼくは地域小宇宙的な組織がたくさんできて、それがおおきなうねりになって、などとは思わない。しかしそんな自律的なものが、多数できると、そこから、例外的にしても、突然変異的になにか新しいものが生まれる可能性はあるとは思う。突然変異は、理論的に予想できるものではない。だからぼくはそれがなにかを言い当てることはできない。しかしそれが可能になる素地はできつつあると思われる。

サブカルは大都市圏に生息するのであろう(死に絶える可能性もあるが)。もはやバナキュラとはよべないバナキュラであったものは、地域に繁殖するであろう。棲み分けはだいたい予想される。

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2009.01.18

『OURS:居住都市メソッド』をいただきました

これも昨年末にいただいたものです。かなり遅ればせのお礼ですが、ありがとうございました。

これは横浜国立大学大学院/建築都市スクール"Y-GSA"の報告書である。

海外(とくに英語圏)では建築スクールが、そこで展開された建築論、サーヴェイ、学生プロジェクトをまとめて刊行することはある。しかし日本で本格的なものはここが最初であろう。

横国のこのスクールは日本で最初の本格的なアーキテクト・スクールとして注目を浴びている。とくに(ぼくのような)地方の同業者は、これであるていどスタンダードができるのではないか、などと固唾をのんで見守っている。ほかの関係者たちも同様であろう。将来的には、建築系大学院は、研究大学院、設計教育スクール、総合型、と3極くらいにパターンがわかれるのではないか。

徹底的にリアリティをもたせ、しかも批判的にかつ提案型のプロジェクト展開は、まさにヨーロッパ型ともいえるし、ある意味ではそれ以上かもしれない。

『OURS:居住都市メソッド』なる報告書は、パリ市都市計画アトリエがだしている「パリ・プロジェ」などを思い出させる。こちらは官製プロジェクト広報なのではあるが、しかしプロジェクトそのものよりも都市の分析をきわめてビジュアルに示しており、プロジェクトというよりは都市そのものを知るために役に立つ。横国の報告書も、そんな意味を兼ね備えている。

個人的に面白かったのは「関外歴史地図」というような、時間軸と空間・項目軸からなるマトリクスに重要項目をプロットし、データマップ、データスケープを示しているものだが、これはすでに歴史叙述になているからだ。そしてこの方法論は、経済動向のみならず、反映された都市計画、地域の姿、などがこの歴史空間のなかにどのようにオーバーラップしているかを示している。

ぼく自身も、たとえば、ある都市の中心地区の1670年から1730年までの同様なマトリクスに、重要項目をプロットして整理すると、個々の項目を検討していたときには気がつかなかった横の連関に気がついて、全体を把握するにはほんとうにいい。だからこれは歴史家にとっても利用可能な手法である。

またパリの中心市街地の研究で、中世における土地所有と経済動向の相関関係にかんする分析がある。つまり好況だと、地価が高騰し、土地は細分化される。不況だと、地価が下落し、土地は買われて、買い足されておおきな敷地となり、一筆あたりは広くなる。その動向が数量的に展開される。こうした土地の動向のうえに、建築がなされ、スタイルが選択され、間取りが選択される。こうした下部構造から上部構造までがいっきにイメージできるようになっている。

都市の把握とはそういうものであろう。横浜の新機軸は、ぼくが知っているパリの例とよく似ている。

もうひとつこの報告書の特徴は「プロジェクト」を手がかりにしたアプローチだということだ。従来、都市史・建築史では「建築のイデア」「都市のイデア」がどうであったかが探求の対象とされてきた。しかし「イデア」はスタティックなものだし、現実の雑音にみちた都市の挙動を反映しない。

しかし「プロジェクト」はそれぞれに輪郭があり、主体があるていどはっきりしているし、批判性もある。こうしたさまざまな「プロジェクト」が積層したのが現実の都市だし、建築スクールはそこの新しいプロジェクトをさらに展開することで、現実や歴史と対話しようとしているのである。

ただし「プロジェクト」はいわゆる現行制度での、予算や主体の輪郭がはっきりした「事業」のことではない。もうすこし幅があるものである。

じつは「プロジェクト」中心に都市をみてゆこうという試みを、この秋に書いた論文のなかでやってみた。建築史・都市史の学術論文としてである。今年中には出版されると思うので、みつけたら読んでください。

というわけで『OURS:居住都市メソッド』はたいへん面白かった。パイオニアとして注目されているけれど、アプローチはとてもオーソドックスで重要だと思う。

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2009.01.17

楼慶西『中国歴史建築案内』をいただいた

楼慶西著・高村雅彦監訳『中国歴史建築案内』をいただいた。心より感謝いたします。

いただいておいて定価のことなど話題にするのは不謹慎ですが、400頁あまり、すべてカラーページで定価3000円というのは、ほとんど文化慈善事業の域に達しています。

じつはいただいたのは昨年の11月ころであったのですが、海外出張やらばたばたしていて、目をとおす暇もなかった。ぼくは本をいただいたら、感想をブログに書くことで、謝辞としております。かさねがさねありがとうございます。

ぼくは中国とは縁がない。そもそも1980年代に中国研究ブームがわきおこり、雪崩のように日本人が大陸をめざし、これからは中国だ!という趨勢が誰の目にも明らかになったときに、ぼくのなかであまのじゃくの気持ちがめばえて、フランスに留学したりするという、まったくなにやっているんだろうね。

ただぼくなりにグローバル化趨勢への意識はあって、ヨーロッパ内だけでなく、北アフリカ、中近東、ペルシア、インド、ネパールなども若いときにいちおう見ました。そのころ見なかったのはアメリカとソ連(現ロシア)という、これまたあまのじゃくなのであったが。だから日本人が中国へいって、いろいろ驚いたり感動したりするようなことは、なかった。これは10年前にはじめて中国を観光したときの率直な印象であった。

ぱらぱらとめくっての印象は、大文明の建築は、すぐれてシステムとしての建築だ、ということ。建築がシステマティックだということ以上に、「システム」=建築、ということ。だから識者たちが指摘するように、中国とアメリカはよく似ている。ヨーロッパの建築は、古代ローマを継承していることになっているから、こうしたシステム=建築の系譜なのかと思いきや、そうでもない。

とはいえなかなか無関心のままほおっておいてはくれず、つい先日も中国人留学生が、日本と中国の戦後建築思想の比較研究をしたので見てくれといって、やってきた。修論として発表される直前なのでこのブログでいろいろ書くわけにはいかないが、抽象的な方法論をすぱっとたてて、機械的にどんどん処理してしまう。昔の日本人は、中国の古典文学を中高でちゃんと勉強するのだよ、とか、日本人自身が意識していなくとも中国文明が底流にあるのだよとか、『三国志』なんか読んでる日本人多いよ、とかいう話がけっこう新鮮らしい。それはともかく、方法論的にすぱっとしてしまうのが中国式なのだろうか。

日本が近代建築理論を構築していたころ、中国建築ではないものとして、日本美の特質を描こうとした。1930年代の「日本的なもの」議論である。日本の不思議なところは帝国主義的段階で、ナショナルなものを探求する動きがおこってくる点である。ただそういえばヨーロッパ諸国の19~20世紀の建築をみても、帝国主義/ナショナリズムは、概念としてはお互いに矛盾するものでありながら、それらの発生と形成は同時期であり、あたかもキャラの違うコンビとして、おたがいに相方なのかもしれない。

・・・などとぐじぐじ考えています。とりあえず『中国歴史建築案内』は、とてもカラフルで、固有名詞などにはルビがふってあって、とても素人にやさしいので、手元において、ときどきめくってみます。大学受験のころの苦手科目克服みたいな感じですけどね。

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2009.01.16

フレノ神父と浦上天主堂(長崎)

日本における教会建築の歴史についての研究は、どうも一国史的、国内史的だなあとおもっていた。建築はまず事業者があって実現し、それから利用者がつかう。教会建築の場合、利用者である信者たちの立場から見ているが、建設主体である宣教師たちがいだいていた建築理念、デザイン感覚、などは二の次である。

宣教師の側からみた教会建築史は、ありそうでないので、そういうものを書かねばならないとはおもっていた。そうこうするうちに、アマゾンで19世紀に日本にきたフランス人宣教師のモノグラフ(2008年8月刊)を発見したので、さっそく購入して読んでみた。

ピエール=テオドール・フレノ神父(1847-1911)である。石工・大工の家系だが、カトリックの家系でもあり、カトリックの中等教育を受け、パリにある外国宣教師養成施設にはいって、1873年に長崎にきた。

とうぜんずっとフランスにいて、教会堂でミサをし、パリでは当時の教会堂建築も見ていたはずで、日本にきて浦上天主堂を建設しようというときに、そうした宗教者としての経験がまったく反映されないことなどありえない。しかも神父はみずからプランを作成したのである。

そして19世紀末は、ヨーロッパではすでに近代のさまざまな建築設計の新しい方向性が模索されていた。その近代性という視点から、長崎の教会堂建築を考察するべきである。またそれは可能なはずだ。

そしてそのとき、カトリック教会と、フランス世俗国家、神父が育ったジョンザクという都市とその地域、の19世紀近代における新しい関係を見なければならない。当然だが、フランスはすでに伝統的社会から脱皮して、社会における教会の新しいかたちを模索し、葛藤をくりひろげていたのである。日本における教会堂建築も、たとえ間接的であるにせよ、そうした同時代状況のなかにあった。このことを忘れてはならない。

ぼくが入手したフレノ神父の伝記がかかれたきっかけは、2007年に長崎大司教がフランスの上記地域の司祭であるパスカル・ドラジュ神父に手紙を書いたことによる。つまり長崎司教は35人の巡礼者を従えてジョンザクをちかぢか巡礼する、というものであった。

ジョンザクにとっては青天の霹靂であったらしい。つまりご当地出身であり長崎に布教にいって貢献した神父の存在など、だれも憶えていなかった。だからこれはジョンザクの人びとにとっては再発見であった。そしてもてなしとしてフレノ神父についてのコンフェランスを開催することとなった。そのためにアーカイヴを発掘して、神父の足跡をたどる小冊子を数週間でまとめた。・・・これがぼくが入手した文献のもととなった。

当時のフランスにおける教会/世俗社会の関係をあらわすエピソードをご紹介しよう。

フレノ神父がそだった町でも、教会は困難な時代をへていた。まずフランス革命で教会堂が破壊される。ピエール=テオドール司祭はこの教会堂を修復するために、市や市議会にはたらきかける。苦労のすえ1854年に聖別される。・・・ここで司祭が、市(=世俗権力)に働きかけるという意味がわかるでしょうか。つまり革命によって、教会組織は特権集団ではなくなり、世俗社会によって管理されるものとなった。これは教会にとってはほんとうにつらいことである。

フレノ神父は中等教育としてモンリユ神学校に入学する。この神学校は、1906年、政教分離法によって閉講となる。つまり宗教は、教育の場から完全に追放される。これを「世俗化」(ライシテ)という。ライシテは世俗社会、とくに共和派がつよくいだいた理念であった。これもまた世俗社会と教会のあいだの闘いのひとつ。

渡日する直接のきっかけは、日本にいた宣教師から、パリの宣教団体本部に「テレグラム」で連絡がはいり、新たに宣教士を派遣するよう要請したからである。宣教師は、つねにハイテクを利用していたのだった。

神父の母親は健康がすぐれなかった。また神父は日本にゆこうとしていたし、当時は、フランスに帰国する可能性などまったくなかった。だから家族は、1872年ころ、最後の家族旅行をした。その先が、スペイン国境ちかくのルルドであった。このルルドもまた、19世紀中盤に少女が聖母マリアの姿を見てその言葉をきいたということで、カトリックはそれを奇跡として公認し、ルルドは大巡礼地として発展した。

1872年、「鉄道にのって」故郷からパリにゆき、宣教団体に入会する。鉄道開設の直後であった。

1873年、訪日するために、マルセイユで船にのり、レセップスが1869年に建設したスエズ運河を通過する。そんなに運河は大きくない、というのが彼の印象であった。

・・・などなどです。

このように宣教師のモノグラフを描いてみると、そのディテールを一別しただけで、時代性がつよく反映されていることがわかる。あたりまえのことだが、宣教師たちもつねに、いま、ここ、を生きている。彼らもまた近代性のただなかで海外布教に携わった。では彼らのその近代性のなかで、建築はどう思念されていたか?そこがこれからの課題である。

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2009.01.15

マーケットとの相関(モム建論3)

「モダニズム建築論」はながったらしいので「モム建論」とします。

ほかの話題はないのか、と叱られそうですが、いろいろ考えていると、けっこうたまっていたものがあったようです。いちどはき出すのも悪くはないでしょう。この問題をいろいろ揉んでみましょう。

"Modern Architecture"という英語を、日本人はなぜ「モダニズム建築」と訳すのかという疑問です。いろんな事情があるんだよ、という御仁は、「Modern Architectureをモダニズム建築と訳すんだよ、その訳はね・・・」と堂々と人に言ってみてください。でもなかなかいえませんよね。どうしてそんなことになるか。

今回は原因をいっきに考えるのではなく、周辺を観察してみよう。

つまり「なぜ」ではなく、「Modern Architecture=モダニズム建築」、ということの意義です。

これはまず「日本」という建築や文化の空間が、閉鎖的であるということ。それから閉鎖的なのだけれど、それで成り立ってしまうような「マーケットの規模」がすでに確保されていること、ということなのです。

つまり「Modern Architecture=Modernism Architecture」という、なんじゃこりゃ、でも通用してしまう日本建築界でも、規模が大きくて、出版も、アカデミズムもそこそこ大きくて、自立してしまう。するとそこのローカル・スタンダードがちょっと変でも、食えるのだから、成り立ってしまう。

これは野球に喩えると簡単です。メジャーはレベルも市場規模も格段に高い。でも日本のプロ野球も、日本人口1億3000万人を背景に、儲かるし、すこしばかり日本人がメジャーにいっても興行は成り立つのです。日本と、韓国や台湾との違いは、プレーのレベルではなく、このマーケット規模にあります。日本マーケットはけっこう大きい。だから一昔前に、「トンネル」といったり、「ナイトゲーム」ではなく「ナイター」という和製英語があっても、それが老舗の慣用でなかろうとも、成り立てしまいます。

建築における「モダニズム建築」は、野球における「ナイター」なのです。あるいは「サドンデス」をあえて拒否して「Vゴール」としてしまうリテラシーと似ているかもしれません。

日本は島国で小国かもしれないけれど、興行、文化、などを成立させるには十分な大きさをもった「マーケット」です。これが自律的文化を保証しています。

戦後の経済復興は、積極的な輸出によるものだという説もあるけれど、国内マーケット、つまり内需が大きかったからできた、という説もあります。つまり繊維、トランジスタ、自動車の輸出も確かにあったけれど、持家政策による住宅産業の躍進、というまさに内需拡大政策があったことは確かです。80年代の外圧で、とくにマーケット開放が求められたのは、建設産業であったことを思い出してもいいでしょう。

このように日本は国内マーケットがけっこう大きいので、日本の常識=世界の非常識であっても、それは地域性ということで、やっていけます。

でも最近そうもいってられない状況になってきた。ぼくもかかわっていますが、日本建築学会が韓国や中国と共同で出している英語の学術論文集です。

なんでも韓国や、アジアの国の研究者が、アメリカに留学し、本場の建築理論を研究し、英語で論文を書くことが多くなってきた。この学術雑誌はまだできて数年です。しかし10年をすぎれば、爆発的に支配的になってしまうことも考えられる。いわゆる「黄表紙」に追いつき、追い越し、立場を逆転することだってけっこう現実的にありうることです。彼ら、日本人ではない研究者たちは、たとえばアメリカ人の先生について、自国の文化をふまえても、グローバルな英語とその用語の意味にちゃんと立脚して論文を書く。それから学問では、韓国やアジアの諸国では、国策的に、英語で論文を書くという状況になっている。

そのかたわらで日本では、「Modern Architecture=モダニズム建築=Modernism Architecture」という鎖国的な状況がつづく。すると、どんなことになるのでしょうね?

たぶん日本からは、グローバルに評価される偉大な建築思想は生まれないでしょうね。

でも日本という、いちおう中規模マーケットのなかでぬくぬくと生きられるのでしょう。

それから日本語で書くことの意義は「日本語と外国語のはざまに」で指摘したとおりですが、でも、翻訳は翻訳として正確であったほうがいい。

これは資格問題と同じです。韓国、中国、アジア諸国が、いちはやくUIA体制などの国際的建築家資格制度に対応したのは、国際マーケットにリンクしないとどうしようもないからです。日本がこの課題にどう対応するかで遅れているのは、国内の建設マーケットだけでも、なんとかなりそうな気がするからです。ほんとうは、なんともならないかもしれません。でもまあ、とにかく国内マーケットはけっこう大きいのです。

それはともかく、日本人が世界に通用する建築理論や建築研究論文を書くとして、「モダニズム建築」について書くとする。それを英語で発信するとして、modernism architectureと訳すのでしょうか。そんなことするわけがありません。結局は、modern architecture としたり architectural modernism としたりするのですよ。

ただまあ、それで通用するくらい日本マーケットは大きい。そこに私たちの幸福はあります。それを鎖国だ、内向きだ、というように批判することは大人げないとはいえるでしょう。それでもねえ。

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2009.01.13

「モダニズム建築」というメタ問題(2)Ch.ジェンクス

今朝はコーヒーをきらしていたので、近所のスーパーまで買いにいって、ヨーグルトも野菜も調達して、ついでにむかいのパン屋で焼きたてのものを買って、朝食をいただいたものです。朝食も朝になって考えればいい。便利。商店街ばんざい!

それから授業の準備。なぜか1年生を相手に「80年代の建築」について話すことを請け負ってしまって、あわててパワポをつくる。この年代といえば、ポストモダン、デコン、ハイテクの三題噺でしょうねえ。ということで"a+u"のバックナンバーなどをぱらぱら見ていたのです。

で、ぼくは建築の神さまはいるんじゃないかと思ったりします。つまり"a+u"誌の特集号で、チュールズ・ジェンクス著『ポスト・モダニズムの建築言語』(1978年)ですが、そこに「モダニズム建築」という表記が、訳語として登場するのです。「モダニズム建築」を検討せよ、という神のご意志なのではないか。

なにごとも初出は重要です。ついうっかり「モダニズム建築」と書いてしまった、などという勢いで書かれてしまい、忘れられたり、結末のない表記はそれまでにもあったかもしれません。しかし著名で重要な批評家が、自分のしっかり構築した考えにもとづいて書いたものとしては初めてでしょう。

まず、問題は翻訳です。書名ですが、原著では:

Charles Jencks, "The language of Post-Modern Architecture", Academy Editions, London, 1978

これが

チャールズ・ジェンクス著『ポスト・モダニズムの建築言語』

と訳されています。いまからちょうど30年前です。原語にはなかった「イズム」が挿入されている。なぜか?

翻訳者はたいへん高名な現役の建築家だし、アメリカ建築を知り尽くしている人なのです。この意訳については、ご本人に説明していただければいちばん明快でしょう。しかしぼくは糾弾したいわけではないし、直接の意図よりも、こういう意訳が成り立つ背景や、歴史的な構図を考えたほうがいいとおもっています。だからかってに解釈します。

直訳すれば「ポスト・モダン建築の言語」です。なるほどこれではすわりがわるい。

まずそもそも英語です。ジェンクスの表記そのものに工夫がうかがえます。

Modern Architectureとは当時すでに一般的な概念であり、近代建築運動を支援するためにペヴスナーらが提唱し、研究によってしっかり跡づけた概念です。ですからジェンクスの表記は

(1)Post- "Modern Architecture"とも解釈できる。つまり「近代建築」が終わり、そのあとにくるもの、という意味です。それは近代建築の成立を歴史的に考えると、間違った歴史観ではない。ハイフォン(-)はここでは重要です。

ところが、仮に、

(2)Postmodern Architectureとしてみると、まだ確立されていない、これから確立しようとしているPostmodernという形容詞を使わざるをえない。これは言葉の流儀に反する。

で、 Post-Modern Architectureというのは、(1)と(2)の折衷であり、なかなか巧妙です。

しかし翻訳はさらに先を読もうとしている。

「ポスト・モダニズム」なる主義がすでに確立されたような書き方です。そこには「近代建築」の終焉とそのあと、というような意識よりも、「近代建築 Modern Architecture 」という(アートにおける印象派、デスティルのように輪郭のはっきりした)カテゴリを使うのではなく、それが「モダニズム」と言い換えられている。

ここでも「ポスト・モダニズム」とはじつに曖昧な表現であって、

(1)ポスト・「モダニズム」→モダニズムの終焉についての意識が強調される。

(2)「ポストモダニズム」→ポストモダニズムなる主義がはっきりあるかのよう。

(3)「ポスト・モダニズム」→上記ふたつのどちらかでもとれる。

これらの翻訳作業は、意訳だ、誤訳だということではありません。それは外国文化を受容するさいに日本人がいだくあるメンタリティを体現しているのではないか、それはほとんど、「近代についての日本人の精神史」になるようなことではないか、とぼくは予想しています。前項にコメントしていただいたユーイチさんも、話題貧困の現在、「モダニズム建築」はいい話題ではないか、と指摘していただきました。そうなのです。これは単純なあげ足とりではなく、私たちのリテラシー、私たちが母国語をつかうときにあまりに自明なので意識しないリテラシーを再考するよいチャンスです。

なにはともあれ「モダン・アート」ではなく「モダニズム芸術」と、「モダン・アーキテクチュア」ではなく「モダニズム建築」と表記したがる日本人の習性というか、精神構造がある。それをダメだダメだではなく、クールに解き明かすべきでしょうね。

・・・今日は授業の準備、委員会、ミーティング、書類の処理とてんこ盛りなので、続きはまたにします。よい一日を。

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2009.01.10

「モダニズム建築」というメタ問題(1)

「モダニズム建築」などという用語がとうとうテレビの教育放送にまで登場してしまって、それが専門用語としておかしいという正論はもう勝ち目がないようです。

しかし負けたから、例外的少数派になったから、正しい議論をしないのは研究者らしくない。そこで過去二回の投稿(http://patamax.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_9c66.html、 http://patamax.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_a90b.html)もふまえ、すこし議論を追加したい。

日本語版ウィキペディアでは「モダニズム建築」の解説がかなり詳しくのっている。その定義は英語版とも違っている。この定義はどう読んでも専門家が書いたものです。ウィキペディアなので匿名です。ぼくは名のって意見表明していますが、匿名の相手ならしこりは残らないでしょう。しかし同じ学会の会員だろうし。複雑なところです。

ぼくは「モダニズム建築」は英語の"Modern Architecture"の定義とはことなっている事実は確認しなければならないと思う。それがまず一点。しかし違っててもいいかもしれないけれど、定義が違っていることは、翻訳が不可能だと言うこと。さらにそれらを日本人が自覚しているかどうかというのも問題である。

日本語ウィキペディア(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0%E5%BB%BA%E7%AF%89)から引用してみよう。最近になって改訂されたということを人からきいた。のぞいてみたが、これはかなり長い説明である。そこで1回1項目ずつ検討してみよう。今回はまず、冒頭の「定義」から検討する。

「モダニズム建築(Modernism Architecture)は、19世紀以前の様式建築を批判し、市民革命産業革命以降の社会の現実に合った建築をつくろうとする近代建築運動により生まれた建築様式。新しい建築を求めて各国でさまざまな試行錯誤が繰り返され、国を超えて大きな運動になっていった。モダニズム建築(近代主義建築)は、普遍性・国際性を主張するが、いうまでもなくその表現には幅があり、「まったく同じ様式が世界中に普及した」訳ではない。

モダニズム建築は20世紀になって突然生まれたものではない。建築を理念によって支えるという点は新古典主義建築において萌芽したものであるし、要求に則した建築を機能的に設計するというプロセスは、用途や要求などの諸要素に対応して様々な様式を採用するという19世紀の歴史主義建築の手法においてもみられる現象である。むしろモダニズム建築は、それまでの建築思想を拡張し、再構成することによって成立したと言える。

単に装飾を省略するだけではモダニズム建築は成立しない。18世紀後期に相対化された歴史的様式の代わりに、普遍的な「空間」の概念が導入されている。」

・・・専門家としてぼくが読むと、あらゆる行に、問題が含まれている。

(1)Modernism Architecture という英訳をしている。googleなどで検索してみれば瞬時にわかることだが、Modernism Architecture という表現は英語ではしない。つまりModernism Architecture は和製英語である。そして英語などで構築された文化体系、そして「モダニズム建築」という表現で指示される対象が展開した文化体系では、そういう言葉づかいはされない。 

(2)論理形式が破綻している。モダニズム建築は、近代建築運動から生まれたとしながら、20世紀になって突然生まれたのではない、とする説明。つまり20世紀のものだけど、以前から少しずつあった、というような説明。つまり、ある事柄が、ある時代に特定されるのか、あるいはどの時代にも見られるものなのか。こういう時代性をはっきりさせるのが歴史研究なのだが、固有でもあり普遍的でもあるという書き方は、たとえば方法論的遡及主義(現代のものでも古代にまで遡及できる)の典型的な欠陥を露呈している。遡及主義がそもそも歴史認識として問題をはらんでいるという、常識的なことすら把握されていない。

(3)「モダニズム建築は・・・・生まれた建築様式」という構文における矛盾。つまりイズムを問題としながら、それは「様式」として理解されている。つまり思想といったり様式といったり、どの指標に即した定義なのか、作文者そのものが揺らいでいる。これは作文上の初歩的破綻なのだが、それに気づいていない。

(4)「歴史主義建築」という用語も間違っている。ぼくは西洋建築史、その17世紀から20世紀全般をやっているが、そこで歴史主義といっても、通用しない概念である。あるいはごく狭く使うことがあるにしても、一般的ではない。過去の様式を使う方法論は、「リバイバリズム」と呼ばれる。歴史主義は、思想や哲学で使われる(ポパー『歴史主義の貧困』)が、建築史においてはきわめて限定的に使われるにすぎないし、ましてや歴史主義建築などいう用語は誤解をまねくだけだ。

(5)いわゆる「歴史的様式」が18世紀後半に相対化されたなどということも意味不明。18世紀後半は、新古典主義というかたちで、その時代固有の様式がまさに創出されたのであって、それはたんなる復古でもなくしっかりした思想にもとづく創造的なものであった。

(6)それまでの思想を拡張し、再構成したのがモダニズムだとしている。しかしどの時代もそれなりに、それまでも思想を拡張し、再構成している。この作文者は歴史を知らない。人間が有史以来、理性をつかっている以上、合理主義はどの時代にもある。機能主義もしかり。

(7)様式否定だけでなく空間がモダニズム建築の基準だというのは、まさにこの作文をした人物の思想にすぎなくて、それを匿名で普遍化するのは危険である。

・・・・以上は、作文のなかでいわば露出している間違いです。しかしそれを指摘するだけでは不十分である。問題は、人はなぜこのような間違いをするか。それを分析することで「モダニズム建築」というメタ問題が理解できる。

(a)まず「イズム」と「スタイル」を混同している。

「イズム」とは、当事者が意識して言葉にして主張したことの内容。「スタイル」は建築作品がもつ全体の統一性、他とは異なる表現である。

もちろん作品を根拠にして、建築家の思想を、推測し、判断することはある。しかし「イズム」とはまず自覚的な思想の表明でなければならない。

だからモダニズムが「イズム」であるからには、だれが、いつ、どのように(どの著作で)考えを表明したか、その事実を組み立てて構築されるものだ。もし、そうではないという指摘があるとしよう。では本人(たち)が自覚的に表明していないことの、背景に、あるいはそれらの総体から、あるイズムが抽出できるというのなら、それはどういう方法論で、どの権利によって、そういうことが指摘できるのか。それは「モダニズム」という概念をもって歴史を説明しようとしている人物その人の思想なのである。

(b)「モダニズム」という「思想」があったのか?

ウィキペディア的定義における「モダニズム」という思想は、俯瞰的、全体視的なものにすぎず、そして観察者自身の思想の投影にすぎず、当事者の思想ではない。つまり近代建築運動の、未来派、デスティル、ピュリズム、バウハウスはそれぞれ「異なる」主義主張をし、互いに異なるがゆえにときに闘いにもなった。

しかし今問題になっている定義はそういう、「異なる」さまざまな主張を含み、それらを総括する、観察者自身の思想の投影なのであって、それはヘーゲル的な「時代精神」のようなものである。おそらくそこに日本人の限界があって、欧米ではそれぞれ顔のことなる、それぞれかけがえのない思想を、十把一絡げにして、モダニズムというレッテルを貼っているだけである。これは外国人が日本をみてなんでもかんでも禅として理解するに等しい。

つまりテキスト、教義、マニフェスト、中心的な文献というコアをもった当事者の自覚的「イズム」と、事後的に浮かび上がる、ということは観察者が事後的にそう解釈するという意味の「イズム」が区別されていない。そして後者はほとんどヘーゲル的時代精神のようなものであって、そのような歴史主義はまさに「歴史主義の貧困」である。

(c)「歴史主義」という思想があったのか?

同様に「歴史主義」も同じように理解されている。建築史上で想定されている「歴史主義」とは、過去の様式を復興させるさまざまな、「異なった」アプローチをひとまとめにして、そう呼ぶものである。しかし、ゴシック・リバイバルはひとつの完結した、他とはことなる思想にもとづいている。ルネサンス・リバイバルもしかり。バロック・リバイバルも同様。それらのどれを支持するかは、思想の表明と同等であり、それらのリバイバリズムは思想として対立するがゆえに、意味があった。しかし、それらを包括的にまとめることは、そうした思想の同時代的な意義を薄めることにしかならない。

本来の「歴史主義」とは、歴史がある法則にしたがって展開している、というような考え方である。それは全体主義を擁護し、支配的な意見や主張を、より強化する。だから近代のテクノロジーなどを根拠に、モダンアーキテクチュアが展開されねばならないという主張は、一種の歴史主義なのだ。ウィキペディア定義では、そういうモダンの出自もまた自覚されていない。

・・・・・共通しているのは「モダニズム」も「歴史主義」も;

(i)いろいろな思想を乱暴に束ねたものである。

(ii)後世の人が遡及的に束ねただけであって、当事者たちの意志には関係ない。

(iii)「モダニズム建築」という発想そのものが「歴史主義」的であり、「貧困」である。

というようなことです。そもそも「モダニズム」という概念は、きわめて漠然と想定されているにすぎない。ウィキペディアの著者は、じゅうぶん定義しないまま書き始め、ああでもない、こうでもないと論じています。いくら説明を追加しても「定義が不十分」状態は解消されない。これはきわめて日本的なアプローチといえます。

・・・さて次回は「成立の背景」項目などを検討します。

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2009.01.05

2009年新春十大プチ予言。ん?

あけましておめでとうございます。

新年そうそうは今年を予想したり占ったりするものです。ぼくの世代はノストラダムスの大予言などを若い頃にしこまれて、滅ぶぞ滅ぶぞとささやかれつつ成長したので、どうも明るい予言はあわない。むしろ黙示録的なことをささやかれつつ、不安をいだきながら、頑張る(頑張らない)というスタンスであって、そういうカラダになってしまったようだ。1999年7月、結局のところ恐怖の大王は降臨しなかったのだし、予言を信じている人は少ないのだけれど、この世間ではそういう予言が云々されるのだ、という事実性が、この世がみせる断面なのだな、などと考えるのである。

ということで、週刊誌を参考にしてそこそこ当たる予想をするよりは、荒唐無稽な予言をするほうがよっぽど難しい。貧弱なイマジネーションに悩みつつ、こんな10項目はいかがでしょうか。年末にチェックして、おお全部はずれたぞ、なんて結果のほうが楽しいでしょうねえ。

(1)建築家伝はひきつづきプチブーム?

古くはヴァザーリの芸術家列伝があったし、村松貞次郎の『日本建築家山脈』などというものがあった。近年では、伊藤ていじの『重源』だとか、安藤忠雄の光の教会についてだとか、磯崎新の都庁コンペのモノグラフなどが出版された。モノグラフ的でノンフィクション的な伝記にようなものである。あちらではFLライをモデルにしたというトランド著『水源』、映画では《建築家のはらわた》、《マイ・アーキテクト ルイス・カーンを探して》、あるいは最近出た『ル・コルビュジエ・ル・グラン(偉大なるル・コルビュジエ)』(翻訳はまだ)。ミースのモノグラフもあるから、20世紀3大巨匠はみな出たということか。

よくできた通史は、じつは巨匠という存在を位置づけしにくい。つまり通史は、歴史家のパラダイムが主人公なので、ひとりで宇宙をつくってしまう巨匠は扱いにくい。だから20世紀を論じるために、まず巨匠をとことん崇拝し、神棚に飾っておく。そうするとおうちの間取りも書きやすい、というわけである。20世紀半ばだと、ミケランジェロやパラディオを神様にすることで、やっとルネサンスの全体を語れるようになった。そんな感じですかね。

だから20世紀の巨匠たちの伝記はもっと書かれなければならない。

(2)1テラのSSDにより、ほんとうのモバイルPCが庶民の手に?

ストレジとして今のところはHDDが汎用性がある。しかし今年はどんどんSSDに置き換えられるであろう。SSDが1テラバイトくらいになれば、写真、動画、などなんでも入れてしまい、重量は100gていど、つまりほとんど重さを無視できるまでになる。それに消費電力などもほとんど考えなくともよくなる。PCは脳の補助であるから(もっともPCとネットワークは脳を末端消費者と思っているだろうが)、この段階でやっとモバイルの完成である。

アーカイブには公共的なものと、個人ベースのものがある。前者はネットでかなり自由にアクセスできるので、現行の技術でも問題はない。後者は、個人的なクリエイティビティーの源なので、そうそう公開はできない。ので公共/個人は分けなければならない。個人ベースのものは超高密ストレジに圧縮するのがいちばん便利がいい。つまり書庫、CD、ヴィデオを持ち歩く感覚である。重量にすれば数トンのものを100gに、つまり数万分の一にするわけで、・・・ぼくはなにをいっているのだろう?

でもいちばん重要なのはインターフェース。ユビキタス、ウエアラブル、いろいろアイディアはあったけれど、液晶ディスプレイも紙のようにペラペラになれば、なんのことはない、ノートPCはそのうち書物のような姿に戻るのではないですか。ハードカバーが電池だったりして。でも紙の書物のように、ページをめくることはないだろうね。

(3)アメリカの公共事業が活発に?

世界大不況なのであるが、新自由主義の崩壊という指摘があるいっぽうで、アメリカは大胆に社会主義化することで危機をいちはやく回避し、結局は日本も救われるなどというご託もある。日本はグローバルスタンダードなどといってアメリカモデルを導入して、この不況だから、それを反省して日本的経営を見直そう、などという声もある。でも日本はアメリカよりも方向転換が難しいのだから、そうはいかない。つまりアメリカにはやく回復してもらってその恩恵で景気回復をするか、あるいは不況が長引けば、やはりアメリカモデルを採用するのだ、などといって新ニューディール政策を真似るのである。

問題は?グローバル化の趨勢にそってなどといって推進されてきた建築家資格の国際化という話題であって、不況というのもグローバル化の危機なのだから、マクロにみればなかなかまっすぐには進展しないでしょうね。

(4)「建築界の遼くん」が出現か?

仙台の卒計日本一といった企画にあるように、学生の才能を発掘するチャンスが増えるとどうなるか?建築界でも若々しい天才建築家を出し、あるいは演出し、危機の時代に新しい世代がそだってゆく、というようなストーリーを展開する知恵者がいたって不思議ではない。スケートに真央ちゃん、ゴルフに藍ちゃんや遼くん、卓球に愛ちゃん、などがいることで、スポーツは業界として注目をあげるのである。このタレントシステムはけっこうアーキテクト界でも有効かもしれない。アーキテクチュア界の建ちゃん、なんちゃって。

現在の卒計展は、審査スタッフもしっかりついた、実質的で、かなり権威のあるものである。いずれかの卒計展で賞くらいとっていないと、有名組織設計事務所などには、なかなか就職できない。また人事の担当者の立場になれば、これらの審査員評はかなり信頼のおけるものでもある。

でもまあタレントシステムは問題も多いだろう。プロモートされる若手有能建築家は、世の中のなにかを誤解して、そのうち人格に問題をかかえそうだ。また建築家は60歳から本番なのだが、そういう建築家人生からはずれるだろう。でもこのような悪魔の手法もいちどやってみれば?

(5)日本人建築家の活躍はつづく?

なんでも専門家によると、日本の「特許」は国際貿易において1992年から黒字となり、現在では総貿易黒字額の10分の1を占めるという。その割合は年々、着実に増えており、3分の1、2分の1になる日も遠くないという。つまり日本はモノ(ハード)ではなくまさに技術(ソフト)を売る国となる。

日本人建築家たちの海外での活躍も、それと同じようなものと考えると面白いかもしれない。より上位のシステムを設計しているのは日本人ではないみたいだけれど、いちおう働く場はあるようだ。違うけれど似たものの動向は重なるもので、とりあえず不況が克服されてグローバルな状況がくれば、マーケットは世界中からタレントをかき集めようとするのであるから。

それから日本人建築家が海外で教授になるといったことも、もっと多くなるであろう。これはふたつのことを意味している。まず日本人建築家はよく評価されている。しかし日本の教育機関は、評価されていない。だから頭脳流出が教育界でもおこる。そのうちアメリカの××大学には有名日本人建築家○○先生がいるから、そこに留学したい、なんて学生もあらわれる?

(6)地球は温暖化している/(じつは)寒冷化している、の勝負が見えてくる?

国際社会は地球温暖化を懸念している。しかし世の中には逆のことを主張する科学者たちがいて、あと2~3年で、寒冷化が始まるなどといっている。どっちかにしてほしい。問題のたてかたそのものが問題だ。資源の枯渇、環境汚染、温暖化、人口爆発、いろいろある。考えてみれば人口問題がいちばんやっかいで、つまり人口調整などということはそら恐ろしいからです。地球上では人口爆発問題といいます。国内は少子化問題といいますが、でも子供たちに問題はない。多すぎる老人に問題があるとも、おそれおおくていえない。バランスが悪いときに、一方だけを問題などというのはよくないのですが。資源、食料も、人口との相関において問題です。1970年代、寒冷化がいわれて、日本人口を半分以下にすれば適正規模なんて議論されたし、佐渡が自給自足できる理想郷などといわれた。昔のことなどどんどん忘れてゆく。

(7)21世紀の一揆は起こる?

失業者がどんどん多くなっても、これはほとんど可能性がないけれど、予言だから。歴史的にいうと内乱を克服した国は先進国といえます。昔だと内乱になるかもしれないような火種は(国内では)、テロ、犯罪になってきている。でも不幸な人がより不幸な人をおそうという、やりきれないものになっていますが。

(8)20世紀建築アーカイヴが日本に?

近代化が悪いなどという原理主義的な人もいるけれど、20世紀は日本の創造性が発揮された1世紀であったことにかわりない。だから国策的には、20世紀建築ミュージアムなりアーカイヴなどがあってもいい。たとえば建築写真は20世紀のそこそこはじめころから撮影されている。西洋では、19世紀はまだまだ版画やスケッチが中心でして、いろいろ細部が重要な建築は粒子の粗い写真よりも、線画のほうがよっぽど情報量が多い。それから建築ドローイングは、もともと実体ではなく理念を伝えるものであった。実物写真より図面のほうがワクワクしますよね。あれです。

ともかく、写真による記録という点では西洋にくらべてそれほど遜色ないと思えるし、そもそも20世紀は日本にとって、一方的な輸入ではなく、そこそこの国際交流の世紀なのですから。そこでの作品、理念、論考、プロジェクトは基本的にはすべて存在意義を認めるべきです。よく機能主義の建築は、その自らの論理にしたがって機能的でなくなったら消えるべきなんて暴論をいう人がいましたが、その物件をうまく演出したらいかに稼げるかというポジティブな発想がないのです。日本建築20世紀はかなり食える飯の種ですね。

あまりイズム、スタイルで峻別して差別するのはよくありません。普遍主義、博愛主義でいきたいものです。国内紛争をしても、外国にはアピールしないのです。その点、20世紀!で括ると単純明快。すっきりします。

(9)ぼく的には良い一年となる?

ふりかかってきた災難というのは、よけようもなく、受け入れるしかないのですが、まあ今年はすこしはましと思いたいものです。リハビリもしたし。

(10)ぼくがけっこうなお年玉をいただく?

もうおじさんですからお年玉もないのですが。はずれ覚悟の予言。でもこのブログを書いていると、近所の人がやってきて、大きな大根をひとつおいていった。近くの農家からいくつももらったので、近所にくばってあるいているという。まだ土がついていて、葉っぱまで美味しそう。さっそくふろふき大根にしていただきました。

・・・ということで、予言を10件も考えるなんて大変ですね!想像力もすくなくなったものです。

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2009.01.03

「ランドスケーププロジェクト」(6)最終提出

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【1】ランドスケープ・デザイン論について

PDF添付によるレポート宿題の提出:すでに〆切っています。

【2】ランドスケープ・プロジェクトについて

最終プロジェクト(土居、頴原、松岡プロジェクトを再編集したもの)を、7月30日のジュリイをふまえて調整したものを、PDFファイルとしてメール添付で提出してください。

・ポートフォリオ化できるていどのクオリティを満たすこと。

・A4×5枚ていど。

・5M以下。

・〆切:8月16日(月)17:00

ランドスケープ・プロジェクト/講義のJABEE用記録簿2種類(福島先生の授業用サイトに掲載)を、最終課題提出締切日(上記8月16日17:00)までに、福島先生の教員室メールボックスに提出してください。

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注意:

「メール件名」=「添付PDFファイル名」=「添付PDFのヘッダー」とし、下記の様式を厳守してください。
             学籍番号 氏名-講義日(6桁)講義名01(テーマ)
プロジェクト課題  1DS12345G塩原芸子-100816P(LP最終)

・英数字・ハイフォンは半角。そのほかは全角。スペースは使わない。

メール添付送信先: 土居・福島 (←クリック)

        福島先生、土居に同時に同一物を提出すること。

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7月30日「ランドスケーププロジェクト」ジュリイ

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(1)提出物リスト(A1×3枚+発表原稿)

A1図面×1枚 →プロジェクトの範囲全体をアクソノメトリックなど立体的に描いた図版1点。図版は寸法をとったものであること。

A1図面×1枚 →プロジェクトの主要な部分を建築的にわからせる、アクソノメトリックなど立体的に描いた図版1点。図版は寸法をとったものであること。

A1図面×1枚 →上記2枚を補足する概念図、断面図、写真、などを適宜組み合わせたもの。

発表原稿(800字以内)×コピー6枚。発表原稿のテンプレートは「福島先生HP」よりダウンロードのこと。発表時に教員5名、TAに渡すこと。

模型は任意:模型写真を図面に貼る、ジュリイ時に教員に見せる、など。

(2)提出の日時と場所

7月30日(金)11:20~12:00

2号館3階プレゼ室にTAの先輩が控えているので、提出すること。遅れて提出した作品は、受理はするがジュリイは保証しません。

(3)ジュリイの日時と場所場所:2号館2F プレゼ室

13:00~15:00 ジュリイ(パート1) 2階プレゼ室
15:00~15:30 休憩
15:30~17:30 ジュリイ(パート2)+総評 2階プレゼ室
発表1.5分、講評6分

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7月23日「ランドスケーププロジェクト」エスキス

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7月23日(金)13:00~ 2号館2階 プレゼ室

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「ランドスケーププロジェクト」(4)松岡プロジェクト

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10:00- スライドレクチュア(松岡先生による自作解説)

11:30- 「ランドスケーププロジェクト」

松岡プロジェクト split and seam ほころびと縫い目」

町の様子を布地に見立てよう。

ほころびは何処だろうか。

どこで織り目が変わっているだろうか。

どのほころびはそのままがいいだろう?どれを縫い合わせた方がいいだろう?

どんな縫い目がいいだろう?

そしてどんなファブリックに仕立てよう?

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宿題:松岡プロジェクトの内容を、A4×4枚、写真・スケッチ・説明文などでまとめてください。

添付ファイル(PDF形式)容量: 3MB以内

件名=添付ファイル名=レポートヘッダの様式:

1DS12345G塩原芸子-100709P4(松岡プロジェクト)

メール添付送信先: 土居・福島

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「ランドスケーププロジェクト」(3)頴原プロジェクト

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2010年7月2日(金)「ランドスケーププロジェクト」(3)

頴原プロジェクト 「海と山をつなぐ」

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宿題:頴原プロジェクトの内容を、A4×4枚、写真・スケッチ・説明文などでまとめてください。

添付ファイル(PDF形式)容量: 3MB以内

件名=添付ファイル名=レポートヘッダの様式:

1DS12345G塩原芸子-100702P3(頴原プロジェクト)

メール添付送信先: 頴原・土居・福島

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「ランドスケーププロジェクト」(2)土居プロジェクト

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土居プロジェクト「地形・まち・歴史からなる3次元空間」

・自分がスキャンした海/まち/山の断面図のなかにクロスするコンパクトな3次元空間を想定し、そこに2~3枚の平面を立体的に構成し、その構成原理を提案してください。

・選んだ3次元空間+挿入する平面を、アクソノメトリック、断面図、模型で説明してください。

図面、スケッチ、コピー、写真などを切り貼りするA1サイズの紙(ケント紙、パネル等自由)を用意すること

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【参考】2009年度課題「平戸のヴォイドを整備してください」

・どういう形態的操作(削除、接続、軸線の延長、反転、移動、断面・・・・・)をしたかを明記すること。

それによって都市組織(tissu urbainがどのように再編成されたかを図示すること。

どのような新しい「価値」が生み出されたかを明記のこと。たとえば、××から○○への近道、文化施設機能、象徴的・精神的空間、眺望が開ける、それまで気がつかなかった△ △を明るみに出す、□□に視線を導く、新しい外部空間・・・

12:0016:40 各自作業 

構想を練り、図面、スケッチ、コピーなどをA1パネル切り貼りする。 コンセプトを示すKW200字ていどの説明文、もパネルに切り貼りなどする。 パネルをプレゼ室ボードに掲示する。

16:4018:10 プレゼと講評

25日。プレゼに基づきPDFを送付。 →下記「宿題」

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宿題:25日の即日設計のプレゼ内容について、体裁を整えたうえで、PDFファイルとし、送付してください。

添付ファイル(PDF形式)容量: 3MB以内

件名=添付ファイル名=レポートヘッダの様式:

1DS12345G塩原芸子-100625P2(土居プロジェクト)

メール添付送信先: 土居・福島

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「ランドスケーププロジェクト」(1)サーベイ・プロジェクト

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【1】説明(準備):6月11日(金)5時限

資料の配付(各種プラン)/サーベイポイントの準備/昨年のプロジェクト成果の紹介

・「海~都市~丘」の断面を採取する。

・断面①②③④⑤は配布した地図を参照。

・グループ①=断面①担当=学籍番号の最後の数字が「1」と「2」の人。以下同様に;

グループ②=断面②担当=「3」と「4」

グループ③=断面③担当=「5」と「6」

グループ④=断面④担当=「7」と「8」

グループ⑤=断面⑤担当=「9」と「0」

「都市組織(urbain tissu)」/道路、空き地、路地の写真撮影、形状分析、分布調査

建物の写真撮影、デザイン分析、分布調査

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【2】平戸ツアー/サーベイ集合:6月18日(金)大橋キャンパス正門

8時30分に借上バスが出発します。それまでに搭乗して待機していてください。

持参するもの:前回配付した平戸関連資料、デジカメ、スケッチブック、各種筆記用具、など。

(あ)グループ作業:各断面をグループごとに作成してください。

(い)個人作業:自分のプロジェクトが展開されるであろう町並みの空白域(何カ所でも可)を探し、場所とスケール(歩数で記録しておく)を記録しておいてください。上記(1)とダブりますが、個人的にとくに気に入った場所について、そうしてください。

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【3】調査結果の送付

〆切:6月24日深夜まで。

グループごとに添付ファイルとして送付。サーベイ結果をグループごとにまとめ、PDFファイル(5MB以内)にして送ってください。

件名=添付ファイル名=レポートヘッダの様式:

1DS12301代表者氏名-090612P1平戸サーベイ(1)空白域

1DS12302代表者氏名-090612P1平戸サーベイ(2)公共建築

・・・(以下同様)・・・

*添付PDFのヘッダーの直下に、メンバー全員の学籍番号と氏名を書いてください。

メール添付送信先:土居・福島

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【4】調査結果の発表6月25日2時限(プレゼ室)

グループごとに発表。前日までにメール添付で送付されたPDFにもとづき、各グループが発表。1グループ7分。

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2009.01.02

2010年7月02日「ランドスケープデザイン論」(6)『英国の保存』

これは2010年7月02日「ランドスケープデザイン論」(6)の内容です。(履修されていない方はパスしてください)

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10:30(524教室/2号館2階製図室)-:「ランドスケープデザイン論」(6)『英国における歴史的建造物の保存について』(頴原先生)

講義の概要:

1877年にウィリアム・モリスによって古建築保護協会が設立されるまでの過程について概観しつつ、「古建築保護協会宣言」の歴史的位置について考察する。

また、19世紀末から20世紀に整備された英国の歴史的建造物の保護制度について解説する。

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講義レポート課題6:授業の内容を、A4×1枚、1600字ていどにまとめてください。適宜図版(1図版あたり50KBに縮小のこと)を添付のこと。

添付ファイル(PDF形式)容量: 500KB以内

件名=添付ファイル名=レポートヘッダの様式:

1DS12345G塩原芸子-100702L論6(英国)

メール添付送信先: 頴原・土居・福島

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2010年7月02日「ランドスケープデザイン論」(7)まちを育てる

これは2010年7月02日「ランドスケープデザイン論」(7)の内容です。(履修されていない方はパスしてください)

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10:30(524教室/2号館2階製図室)-:「ランドスケープデザイン論」(7)『まちを育てる』(頴原先生)

講義の概要:

1877年にウィリアム・モリスによって古建築保護協会が設立されるまでの過程について概観しつつ、「古建築保護協会宣言」の歴史的位置について考察する。

また、19世紀末から20世紀に整備された英国の歴史的建造物の保護制度について解説する。

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講義レポート7:授業の内容を、A4×1枚、1600字ていどにまとめてください。適宜図版(1図版あたり50KBに縮小のこと)を添付のこと。

添付ファイル(PDF形式)容量: 500KB以内

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1DS12345G塩原芸子-100702L論7(まち)

メール添付送信先: 頴原・土居・福島

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2010年6月25日「ランドスケープデザイン論」(5)海外の秀作

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08:40(524教室/2号館2階製図室)-:「ランドスケープデザイン論」(5)『海外の秀作』(土居)

臨海都市(+臨河都市?)において水と関連して生活がいかに展開したかを多くの画像で知る。またランドスケープデザインの秀作を見る。古代建築と現代建築の対比的、相互依存的、相互付加価値的な、傑作を知る。これらからコンセプトづくりのヒントを得る。

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講義レポート課題5:授業の内容を、A4×1枚、1600字ていどにまとめてください。適宜図版(1図版あたり50KBに縮小のこと)を添付のこと。

添付ファイル(PDF形式)容量: 500KB以内

件名=添付ファイル名=レポートヘッダの様式:

1DS12345G塩原芸子-100625L論5(海外の秀作)

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2010年6月11日「ランドスケープデザイン論」(2)『海・港・都市』

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10:30(524教室/2号館2階製図室)-:「ランドスケープデザイン論」(2)『海・港・都市』(土居)

「海・都市・港市」という概念の成立

網野善彦は、70~80年代、都市史研究の深化のなかで中世都市論を展開し、百姓≠農民というまったく新しい説を述べた。

日本の伝統的ランドスケープ=水田とその村落という通念はかならずしも普遍的ではなく、それは天下統一者の年貢至上主義的な、管理農業的な理念が反映されたものであったという。

網野は、それとは対照的な、管理されざる自由空間を、堺、港町、市場、などに発見した。無縁・公界・楽であった。貿易、廻船産業が生む空間は、共同体と共同体の狭間に存在する、管理されざる自由空間であり、そこに大航海時代の世界性とそのシステムのなかでの日本の位置づけを物語る。

*参考文献:網野善彦『無縁・公界・楽』平凡社1978;網野善彦・阿部謹也他『中世の風景(上)(下)』中公新書1981;網野善彦他『境界領域と交通(日本の社会史2)』岩波書店1987;網野善彦『日本中世都市の世界』ちくま学芸文庫2001;網野善彦『日本の歴史をよみなおす』ちくま学芸文庫2005;

安野眞幸(あんの・まさき)はこの論をさらに発展させ「港市」論を展開した(国際貿易都市・平戸、自由都市・長崎)。港市=間共同体な空間という枠組みのなかで、さらに宗教はたんなる内面の救済にとどまるどころか、交易活動を推進するための教えとしてきわめて現実的に機能していった。

*参考文献:安野眞幸『港市論』日本エディタスクール1992;

西和夫は、こうした海からの日本史という観点をいかして、「建築から海を見る」あるいは「海から建築を見る」という枠組みで、出雲大社、三内丸山遺跡、長崎出島、平戸オランダ商館などについて論考してきた。それは「海から見たランドスケープ」「海をみるランドスケープ」というおおきな枠組みを提供してくれる。

*参考文献:西和夫『海・建築・日本人』NHKブックス2002;西和夫『長崎出島オランダ異国事情』角川叢書2004;深沢克己『海港と文明近世フランスの港町』山川出版2002

それゆえ:
「稲作=共同体内的ランドスケープ」(日本的ランドスケープ)は、伝統的に日本の為政者たちが必要としてきたイデオロギーであったといえる。それは必然的に農本主義的、村的、土着的、定住的である。
「港・港市=間共同体的ランドスケープ」(異国的ランドスケープ)は、それに対し、伝統的に日本の為政者たちが、経済的に必要としながら、宗教的、文化的、外交的、国防的につねに注意を払いつつ、コントロールしようとし、ときには破壊しようとしたものであった。それは交易的、都市的、グローバル、流動的、交通的である。

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■西和夫『海・建築・日本人』(NHKブックス2002)のなかの、平戸にかんする章を読んで、歴史的な経緯、海と都市との関係、を知る。

KW:「平戸オランダ商館復原。平戸大橋による地続き化。薄れた海の意識。海を見る城。船入りの痕跡。宮之前の波止。城と藩邸。「海を渡った教会」。

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■西和夫『平戸の町並み』(日本ナショナルトラスト2003)で、歴史的な町並みや海との関連を知る。

・町並みの特徴(瓦葺き、切妻屋根、平入り、揚げ戸、雨戸、出桁(だしげた)形式の庇、2階の手摺、バンコ(折り畳みの台)、など)

・町屋の間取りの特徴(通りニワ、ミセ、座敷、テンガイ(吹き抜け)、など)

・海の町(船入、藩主の乗船場、海に降りる階段、藩主別邸には船で、海を渡った教会(司祭は「カコー船」で移動、教会堂を船で移築)など)

・埋立て(築地町1796-1804年、旧船入、現公会堂、交流広場、など)

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講義レポート課題2:授業の内容を、A4×1枚、1600字ていどにまとめてください。適宜図版(1図版あたり50KBに縮小のこと)を添付のこと。

添付ファイル(PDF形式)容量: 500KB以内

件名=添付ファイル名=レポートヘッダの様式:

1DS12345G塩原芸子-100611L論2(海と都市)

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〆切;6月18日

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2010年6月11日「ランドスケープデザイン論」(3)海外の事例

(講義を履修されていない方はパスしてください)

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13:00(524教室/2号館2階製図室)-:「ランドスケープデザイン論」(3)『海外の事例』(福島)

キーワード:インフィル、水辺空間、ウォーターフロント

概要:

町並みの中の部分的な空地に新築をおこなうことを、オーストラリアなどでは、インフィルという。

特に歴史的な環境においては、新築のデザインには事前の十分な歴史調査、デザインや用途が適切かどうかといった検討が必要となる。本講義では、インフィル・デザインの考え
方と国内外の事例を紹介する。

また、国内・海外のウォーターフロントにおける再開発事例についても紹介する。

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講義レポート課題3:授業の内容を、A4×1枚、1600字ていどにまとめてください。適宜図版(1図版あたり50KBに縮小のこと)を添付のこと。

添付ファイル(PDF形式)容量: 500KB以内

件名=添付ファイル名=レポートヘッダの様式:

1DS12345G塩原芸子-100611L論3(海外の水辺空間)

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〆切;6月18日

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2010年6月11日「ランドスケープデザイン論」(4)平戸史

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14:50(524教室/2号館2階製図室)-:「ランドスケープデザイン論」(4)『平戸の古図・都市・教会』(土居)

平戸の都市史について、まず政治・外交・行政、代表的建築のごく簡単な年表的理解をする。

平戸史編委員会『絵図にみる平戸』2001、西和夫『平戸の町並み』日本ナショナルトラスト2003、より下記の画像を転写します。

Photo Photo_2

△平戸の編年史的航空写真です。埋立の進捗がわかります。海岸通りは戦前のもののようです。

1621 17 23

△(左)1621年平戸図:平戸オランダ商館が見える。(中)正保平戸城下図。「築地」が埋め立てられる以前。(右)平戸城下家中之図。部分。平戸城下町周辺。

Photo_3 Photo_4 Photo_5

△(左)嘉永元年平戸町屋之図(部分)。崎方。浦の町。宮の町。(中)同(部分)。新町など。(右)寛政四年平戸六町図(部分)。宮の町。本町。安富町。----地割が判明する図面。海岸通りはない。各戸が石垣を介して直接海に接している。これをどう解釈するか。土居としては・・・。共有される海岸はない。海辺空間そのものがなく、共有も、公有も、ない。各戸に船着きがあって、船を接岸できる。それはいわば勝手口。

Photo_6 Photo_7 Photo_8 Photo_9

△4点はいずれも亀岡と平戸年中行事絵巻から。左から。①幸橋周辺、②富江町周辺、③築屋敷周辺、④七郎宮祭礼。----接岸空間。石積み+白壁、で海に接している。

以上から海辺空間の歴史がうかがわれる。武家も町人も、海に対しては壁をもって接していた。もちろん各戸が船着きをもつなど、機能的には海を使い込んでいた。その意味で、共同体が共有しているのは、海そのものであった。海そのものが、共有であったが、水辺空間などというものは、そもそも存在していなかったし、共有もされていなかった。

現在あるウォーターフロントは、海岸通りが建設され、さらにフェリーターミナルができたことで、整備された、きわめて新しい、近代的な公共空間である。共同体的な背景がまったくないところに、海外の事例を踏襲したウォーターフロントが、唐突に建設された、というべきであろう。楽しい水辺の生活、賑わい、といったものが、ステレオタイプ化したイメージとなって、それが導きの糸となって公共施設が整備される。しかしそれを受け取る共同体は、かならずしもなじんでいないのである。

諸外国の先例から、にぎわう水辺空間という成功イメージがここにも導入される。しかしそれは共同体の実体とはなんの関係もない、異質なものであり、当然、遊離してしまう。

これは近代化として建設された広場空間が、いつまでたってもヨーロッパのようなヒューマンな広場とはならないことと、相似の現象であろう。

「平戸と教会の歴史」

つぎに長崎県には教会が多いことから、教会建築に関する基礎知識と、イエスズ会がキリスト教を日本に布教しはじめ、パリ外国宣教会が長崎に教会堂を建設していった経緯(大浦天主堂とパリ外国宣教会宣教会について)を理解する。

代表的研究として、川上秀人『大いなる遺産 長崎の教会』の概略を知る。
参考文献:西和夫『平戸の町並み』日本ナショナルトラスト2003;萩原博文『平戸オランダ商館』長崎新聞新書2003;『長崎県の歴史』山川出版社1998;『長崎県の歴史散歩』山川出版社2005;川口洋平『世界航路へ誘う港市長崎・平戸』(シリーズ「遺跡を学ぶ038」)新泉社2007、

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講義レポート課題4:授業の内容を、A4×1枚、1600字ていどにまとめてください。適宜図版(1図版あたり50KBに縮小のこと)を添付のこと。

添付ファイル(PDF形式)容量: 500KB以内

件名=添付ファイル名=レポートヘッダの様式:

1DS12345G塩原芸子-100611L論4(平戸史)

メール添付送信先: 土居・福島

〆切;6月18日

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2010年6月11日「ランドスケープデザイン論」(1)風景論

(講義を履修されていない方はパスしてください)

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08:40(524教室/2号館2階製図室):『風景論』(土居)

はじめに:集中講義(6月5日1~4時限)の位置づけ

(1)景観論→平戸にも教会堂があり、景観の要となっている。絵画の類例を知ることで、教会を含む景観が重要なテーマであったことを知る。

(2)海・都市・港市→歴史学のテーマで、海運を軸とする歴史観があったことを知る。これは平戸という都市の歴史的な背景を知るうえで、重要。

(3)海外の水辺空間→平戸にも古い港の一部分を埋め立てて、広場として整備した箇所がある。これは一昔前のウオーターフロント開発の系譜に属する。そうした水辺空間開発の海外事例を知ることで、問題の本質を知る。さらに町並みに欠損部分が生じたときに、それを補填する手法について海外事例を知る。

(4)平戸史→都市の歴史の概略を知る。城、松浦資料館、など主要記念碑の概略をしる。また長崎の教会堂についてもその概略を知る。

『古典主義的な風景/ロマン主義的な風景』(土居)

古典主義的な風景。古代文学に描かれた牧歌的な風景は、ヨーロッパのルネサンス以降の文学、絵画、庭園、建築において復興され、いわゆる田園的な生活、風景式庭園、ピクチャレスク(絵画のような景観、都市、建築を整えること)というかたちで実現した。ランドスケープはまず古代においてウェルギリウス『牧歌』などの文学において記述された。そこにはかつての理想世界が失われたことが書かれていた(ウェルギリウス『農耕歌』)。絵画はそれを回復しようとした。ケネス・クラークの風景画論をベースにして、「象徴としての風景」、「事実としての風景」、「理想の風景」の考え方を学び、クロード・ロラン、ニコラ・プッサンといった風景画家の基本的な手法を知る。

*参考文献:ケネス・クラーク『風景画論』、マラン『崇高なるプッサン』みすず書房2000;越宏一『風景画の出現』岩波書店2004;

ロマン主義的な風景。ロマン主義は、人間を超越したものに憧憬する心情であり、失われたものを希求する願望である。18世紀末から19世紀初頭にかけて、文学、芸術、建築などの分野でおこった。今日の文化財保存の概念の出自はここである。風景画家フリードリヒのロマン主義たるゆえんを、思想、技法から理解する。さらに建築家シンケルがおなじロマン主義的構想から、風景画を描き、建築プロジェクトを構想したことを理解する。

参考文献:アイネム『風景画家フリードリヒ』高科書店1991;Snodin, KF Schinkel a universal man, 1991;Szambien, SCHINKEL, Hazan,1989など

*参考サイト:

ARTCYCLOPEDIA:            http://www.artcyclopedia.com/
WEB GALLERY OF ART:    http://www.wga.hu/index1.html
アート at ドリアン:            http://art.pro.tok2.com/
アートスケープ:              http://www.dnp.co.jp/artscape/

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講義レポート課題1:授業の内容を、A4×1枚、1600字ていどにまとめてください。適宜図版(1図版あたり50KBに縮小のこと)を添付のこと。

添付ファイル(PDF形式)容量: 500KB以内

件名=添付ファイル名=レポートヘッダの様式:

1DS12345G塩原芸子-100611L論1(古典/ロマン)

メール添付送信先: 土居・福島

〆切;6月18日

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「平戸プロジェクト2010」の考え方

2010年度「ランドスケープ・プロジェクト」(演習)と「ランドスケープ論」(講義)の内容とスケジュールです。これら講義と演習をあわせて「平戸プロジェクト2010」と仮称します。

2010年度のテーマ:「街並みの空白域をどう埋めるか?(仮)」

(1)スケジュール(■●をクリック)
2010年6月11日(金)プレゼ室。 集中講義と小プロジェクト
    08:40-「ランドスケープデザイン論」(1)景観論
    10:30-「ランドスケープデザイン論」(2)海・都市・港市
    13:00-「ランドスケープデザイン論」(3)海外の水辺空間
    14:50-「ランドスケープデザイン論」(4)平戸史
    16:30-「ランドスケーププロジェクト」(1)サーベイ・プロジェクト・オリ
2010年6月18日(金)8:30 平戸ツアー
    「ランドスケーププロジェクト」(1)サーベイ・プロジェクト
2010年6月25日(金) 土居プロジェクト
    08:40-「ランドスケープデザイン論」(5)海外の秀作
    10:00-サーベイ結果の発表
    10:30-「ランドスケーププロジェクト」(2)土居プロジェクト
2010年7月02日(金) 頴原プロジェクト
    08:40-「ランドスケープデザイン論」(6)英国
    10:30-「ランドスケープデザイン論」(7)まちを育てる
   12:00-「ランドスケーププロジェクト」(3)頴原プロジェクト
2010年7月09日(金) 松岡プロジェクト
   □ 10:00-スライドレクチュア
    11:30-「ランドスケーププロジェクト」(4)松岡プロジェクト
2010年7月16日(金)【月曜日の授業】
2010年7月23日(金)エスキス
    13:00-(2号館2Fプレゼ室)

2010年7月30日(金)ジュリイ
    13:00-(2号館2Fプレゼ室)

最終提出(ランドスケープ・デザイン論とランドスケープ・プロジェクト) 〆切:8月16日(月)17:00

注意:ランドスケープ・プロジェクト/講義のJABEE用記録簿2種類(福島先生の授業用サイトに掲載)を、最終課題提出締切日までに、福島先生の教員室メールボックスに提出してください。

(2)対象 九州大学・芸術工学部・環境設計学科・3年

(3)担当   常勤=土居、福島
                非常勤=松岡恭子先生(東京電機大学准教授)、頴原澄子先生(九州産業大学講師)

(4)文化遺産としての建築をどうとらえるか?

現代の歴史的建造物、文化遺産の概念をつくったのはおもにフランスである。

古建築の保存(001)革命から王政復古まで----革命による建築破壊への反省。シャトーブリアンロマン主義の基礎を築いた。いわゆる文学的・ロマン主義的保存運動。

古建築の保存(002)七月王政----ヴィクトール・ユゴーの古建築擁護、古建築保存のための政府委員会、「目録」。

古建築の保存(003)修復家と博物館について----ヴィオレ=ル=デュクらの修復概念、様式概念が生まれた。「歴史的記念物建築家」の制度ができた。

*ヴィオレ=ル=デュクの重要性。伝統的建築を破壊して、近代建築が登場したという理解は一面的。古建築修復のためのスタディのなかから、普遍的建築の概念が形成され、近代建築の理論を提供した。保存運動が、近代建築を生んだともいえる。

古建築の保存(004)指定と登録について----保存の対象は、しだいに広がっていった。

「歴史的建造物」と「遺産」---「遺産」とは、建築、メディア、アーカイヴ、文献、埋蔵文化財などの上位概念、メタ概念である。「遺産法典」とは、従来のいくつかの法律を体系だてたもの。

建築をどう評価するか?

これまでは建築の、歴史的価値、文化的価値、芸術的価値を評価してきた。

これからは建築の建築的価値を評価できるようになるかもしれない。イタリア、フランスではずっとそう。英米では新傾向。

(6)プロジェクトへの展開

ランドスケープの歴史的変遷をふまえたうえで、平戸の文化財ストックをおさえたうえで、都市の道路、敷地、建築からなる都市空間組織を再構想し、再編成する。しかしこの場合:

「施設」とは、具体的な建物のみを意味しない。それは文化を気づかせるあらゆる装置であり、それが都市や自然の空間のなかに配置される。だから建物、公園、都市空間、メディアも文化施設である。さらには町並みそのもの、景観そのものが、文化であるとどうじに、啓蒙する装置である今日、オブジェクト=メディア、という等号がなりたつ。

学生にはしかじかの課題、プロジェクトが与えられるのではない。各教員はそれぞれプロジェクトを提案するが、それはヒント、枠組みにすぎない。学生は、そうした導きの糸を参考にしてよいが、まず、いかなるプロジェクトが平戸に有効であり、文化的価値を高めるか、を提案しなければならない

(7)サイト  平戸。その周囲の教会建築と集落。

(8)細部
・課題=平戸を景観、都市史、建築史、文化財、まちづくりなどの観点から多角的に分析し、どのような建築的介入が景観や都市に有効かを考えさせ、設計させる。
・イメージ=平戸の町並みは歯抜け状態が進行している。過疎化、経済の沈滞を背景に、通りに面して並んでいた建築が、ひとつひとつ取り壊され、空地や駐車場になっている。あるいは建設されるにしても、数階建てのRC造であったり、極端に引き込んだり、既存の町並みのコンテクストからまったく逸脱したものとなっている。
・課題文言「平戸の都市と景観をスタディするなかから、空白域にどのように介入すべきかを提案し、それを建築として設計しなさい。ただし単純な活性化や文化財活用ではなく、都市の組織、空間を再編成するようなことを考える」

(9)学生に提供できる観点、授業テーマなど
・西洋の景観概念「象徴としての景観」「理想としての景観」など
・教会堂を中心的要素とする西洋都市の景観(実際の都市、絵画に描かれた景観)
・教会堂と都市の空間的関係(ヨーロッパの諸例から、多様な関係が可能)
・教会建築の基礎知識
・日本の木造教会堂の構法的理解
・伝統的都市建築の構法的理解
・「長崎県の教会」世界遺産暫定リストのことなど
・文化的景観の概念
・都市史、町並み
・「海からの日本史」の観点から平戸が注目されてきたこと
・海からの景観
・今の都市平戸が抱える問題点。自治体の文化政策など。
・場所の発見。介入すべき場所を、学生に見つけさせる。教員は場所を指定しない。
・介入方法の発見。機能、プログラム、減築か新築か、など。学生が選んだほうがよい。

(10)提出物リストと注意

●提出の注意:

すべてPDFファイルとし、メール添付で提出してください。紙での提出は受け付けません。PDF化は情報基盤センターでできます。なお、「チェックリスト」にあるひな形をカット・アンド・ペーストし、カスタマイズすると便利で正確です。

PDFファイル

「メール件名」=「添付PDFファイル名」=「添付PDF内記載(レポートタイトルに追加して書く)」とし、下記の様式を厳守してください。
             学籍番号 氏名-講義年月日(6桁)講義名01(テーマ)
講義レポート    1DS12345G塩原芸子-090606L論1(古典/ロマン)
プロジェクト課題  1DS12345G塩原芸子-090606P2(土居プロジェクト)

・英数字・ハイフォンは半角。そのほかは全角。スペースは使わない。

提出先(←クリック):土居、福島、(+非常勤講師)に同時に同一物を提出。非常勤講師による演習・講義の宿題は、非常勤の先生にも送ってもらうようにします。メーラーは、それぞれの授業紹介のブログのものを使ってください。

注意:

・添付ファイルは、10Mを超えると、九大のシステムが受け付けません。この課題では、講義レポートは0.5M以下、プロジェクト課題は5M以下のもののみ受け付けます。そのため、Microsoft Picture Managerなどで、写真などを適宜、圧縮することをおぼえてください。

・〆切:次週の講義日まで。

・PDFファイル名、メール件名などが指示どおりでない場合、添付ファイルサイズが上記制限を超えている場合、提出したとはみなしません。

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2009.01.01

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2009/09/19  グラン・パリをめぐる国際シンポがポンピドゥ・センターで開催されるという
2009/09/20  フランス建物建築家(ABF)の権限が国に戻される?

▽2009年10月の記事

2009/10/02  1990年代ってなんだったっけ?
2009/10/06  新学期がはじまって・・・
2009/10/07  虚構/リアル
2009/10/18  三菱一号館について
2009/10/25  日曜日だからね
2009/10/29  クルフト『建築論全史Ⅰ』
2009/10/31  リーグル『ローマにおけるバロック芸術の成立』
2009/10/31  シュマルゾー『芸術学の基礎概念』

▽2009年11月の記事

2009/11/01  ブルクハルト『チチェローネ』
2009/11/02  稲垣栄三『歴史的環境保存論』
2009/11/04  レヴィ=ストロース
2009/11/07  アメリカの20世紀
2009/11/14  クリエイティブ都市
2009/11/22  ふくはく見聞録
2009/11/24  NAME SAKE 帝国建築

▽2009年12月の記事

2009/12/05  古代ローマ皇帝と「口説き」の重要性
2009/12/08  「批評」について---『近代建築論講義』から
2009/12/11  『近代建築論講義』その2
2009/12/13  ヨコミゾマコトさん講演会
2009/12/20  萩原剛さんの講演会
2009/12/28  『ローマ人の物語』

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