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2009.01.05

2009年新春十大プチ予言。ん?

あけましておめでとうございます。

新年そうそうは今年を予想したり占ったりするものです。ぼくの世代はノストラダムスの大予言などを若い頃にしこまれて、滅ぶぞ滅ぶぞとささやかれつつ成長したので、どうも明るい予言はあわない。むしろ黙示録的なことをささやかれつつ、不安をいだきながら、頑張る(頑張らない)というスタンスであって、そういうカラダになってしまったようだ。1999年7月、結局のところ恐怖の大王は降臨しなかったのだし、予言を信じている人は少ないのだけれど、この世間ではそういう予言が云々されるのだ、という事実性が、この世がみせる断面なのだな、などと考えるのである。

ということで、週刊誌を参考にしてそこそこ当たる予想をするよりは、荒唐無稽な予言をするほうがよっぽど難しい。貧弱なイマジネーションに悩みつつ、こんな10項目はいかがでしょうか。年末にチェックして、おお全部はずれたぞ、なんて結果のほうが楽しいでしょうねえ。

(1)建築家伝はひきつづきプチブーム?

古くはヴァザーリの芸術家列伝があったし、村松貞次郎の『日本建築家山脈』などというものがあった。近年では、伊藤ていじの『重源』だとか、安藤忠雄の光の教会についてだとか、磯崎新の都庁コンペのモノグラフなどが出版された。モノグラフ的でノンフィクション的な伝記にようなものである。あちらではFLライをモデルにしたというトランド著『水源』、映画では《建築家のはらわた》、《マイ・アーキテクト ルイス・カーンを探して》、あるいは最近出た『ル・コルビュジエ・ル・グラン(偉大なるル・コルビュジエ)』(翻訳はまだ)。ミースのモノグラフもあるから、20世紀3大巨匠はみな出たということか。

よくできた通史は、じつは巨匠という存在を位置づけしにくい。つまり通史は、歴史家のパラダイムが主人公なので、ひとりで宇宙をつくってしまう巨匠は扱いにくい。だから20世紀を論じるために、まず巨匠をとことん崇拝し、神棚に飾っておく。そうするとおうちの間取りも書きやすい、というわけである。20世紀半ばだと、ミケランジェロやパラディオを神様にすることで、やっとルネサンスの全体を語れるようになった。そんな感じですかね。

だから20世紀の巨匠たちの伝記はもっと書かれなければならない。

(2)1テラのSSDにより、ほんとうのモバイルPCが庶民の手に?

ストレジとして今のところはHDDが汎用性がある。しかし今年はどんどんSSDに置き換えられるであろう。SSDが1テラバイトくらいになれば、写真、動画、などなんでも入れてしまい、重量は100gていど、つまりほとんど重さを無視できるまでになる。それに消費電力などもほとんど考えなくともよくなる。PCは脳の補助であるから(もっともPCとネットワークは脳を末端消費者と思っているだろうが)、この段階でやっとモバイルの完成である。

アーカイブには公共的なものと、個人ベースのものがある。前者はネットでかなり自由にアクセスできるので、現行の技術でも問題はない。後者は、個人的なクリエイティビティーの源なので、そうそう公開はできない。ので公共/個人は分けなければならない。個人ベースのものは超高密ストレジに圧縮するのがいちばん便利がいい。つまり書庫、CD、ヴィデオを持ち歩く感覚である。重量にすれば数トンのものを100gに、つまり数万分の一にするわけで、・・・ぼくはなにをいっているのだろう?

でもいちばん重要なのはインターフェース。ユビキタス、ウエアラブル、いろいろアイディアはあったけれど、液晶ディスプレイも紙のようにペラペラになれば、なんのことはない、ノートPCはそのうち書物のような姿に戻るのではないですか。ハードカバーが電池だったりして。でも紙の書物のように、ページをめくることはないだろうね。

(3)アメリカの公共事業が活発に?

世界大不況なのであるが、新自由主義の崩壊という指摘があるいっぽうで、アメリカは大胆に社会主義化することで危機をいちはやく回避し、結局は日本も救われるなどというご託もある。日本はグローバルスタンダードなどといってアメリカモデルを導入して、この不況だから、それを反省して日本的経営を見直そう、などという声もある。でも日本はアメリカよりも方向転換が難しいのだから、そうはいかない。つまりアメリカにはやく回復してもらってその恩恵で景気回復をするか、あるいは不況が長引けば、やはりアメリカモデルを採用するのだ、などといって新ニューディール政策を真似るのである。

問題は?グローバル化の趨勢にそってなどといって推進されてきた建築家資格の国際化という話題であって、不況というのもグローバル化の危機なのだから、マクロにみればなかなかまっすぐには進展しないでしょうね。

(4)「建築界の遼くん」が出現か?

仙台の卒計日本一といった企画にあるように、学生の才能を発掘するチャンスが増えるとどうなるか?建築界でも若々しい天才建築家を出し、あるいは演出し、危機の時代に新しい世代がそだってゆく、というようなストーリーを展開する知恵者がいたって不思議ではない。スケートに真央ちゃん、ゴルフに藍ちゃんや遼くん、卓球に愛ちゃん、などがいることで、スポーツは業界として注目をあげるのである。このタレントシステムはけっこうアーキテクト界でも有効かもしれない。アーキテクチュア界の建ちゃん、なんちゃって。

現在の卒計展は、審査スタッフもしっかりついた、実質的で、かなり権威のあるものである。いずれかの卒計展で賞くらいとっていないと、有名組織設計事務所などには、なかなか就職できない。また人事の担当者の立場になれば、これらの審査員評はかなり信頼のおけるものでもある。

でもまあタレントシステムは問題も多いだろう。プロモートされる若手有能建築家は、世の中のなにかを誤解して、そのうち人格に問題をかかえそうだ。また建築家は60歳から本番なのだが、そういう建築家人生からはずれるだろう。でもこのような悪魔の手法もいちどやってみれば?

(5)日本人建築家の活躍はつづく?

なんでも専門家によると、日本の「特許」は国際貿易において1992年から黒字となり、現在では総貿易黒字額の10分の1を占めるという。その割合は年々、着実に増えており、3分の1、2分の1になる日も遠くないという。つまり日本はモノ(ハード)ではなくまさに技術(ソフト)を売る国となる。

日本人建築家たちの海外での活躍も、それと同じようなものと考えると面白いかもしれない。より上位のシステムを設計しているのは日本人ではないみたいだけれど、いちおう働く場はあるようだ。違うけれど似たものの動向は重なるもので、とりあえず不況が克服されてグローバルな状況がくれば、マーケットは世界中からタレントをかき集めようとするのであるから。

それから日本人建築家が海外で教授になるといったことも、もっと多くなるであろう。これはふたつのことを意味している。まず日本人建築家はよく評価されている。しかし日本の教育機関は、評価されていない。だから頭脳流出が教育界でもおこる。そのうちアメリカの××大学には有名日本人建築家○○先生がいるから、そこに留学したい、なんて学生もあらわれる?

(6)地球は温暖化している/(じつは)寒冷化している、の勝負が見えてくる?

国際社会は地球温暖化を懸念している。しかし世の中には逆のことを主張する科学者たちがいて、あと2~3年で、寒冷化が始まるなどといっている。どっちかにしてほしい。問題のたてかたそのものが問題だ。資源の枯渇、環境汚染、温暖化、人口爆発、いろいろある。考えてみれば人口問題がいちばんやっかいで、つまり人口調整などということはそら恐ろしいからです。地球上では人口爆発問題といいます。国内は少子化問題といいますが、でも子供たちに問題はない。多すぎる老人に問題があるとも、おそれおおくていえない。バランスが悪いときに、一方だけを問題などというのはよくないのですが。資源、食料も、人口との相関において問題です。1970年代、寒冷化がいわれて、日本人口を半分以下にすれば適正規模なんて議論されたし、佐渡が自給自足できる理想郷などといわれた。昔のことなどどんどん忘れてゆく。

(7)21世紀の一揆は起こる?

失業者がどんどん多くなっても、これはほとんど可能性がないけれど、予言だから。歴史的にいうと内乱を克服した国は先進国といえます。昔だと内乱になるかもしれないような火種は(国内では)、テロ、犯罪になってきている。でも不幸な人がより不幸な人をおそうという、やりきれないものになっていますが。

(8)20世紀建築アーカイヴが日本に?

近代化が悪いなどという原理主義的な人もいるけれど、20世紀は日本の創造性が発揮された1世紀であったことにかわりない。だから国策的には、20世紀建築ミュージアムなりアーカイヴなどがあってもいい。たとえば建築写真は20世紀のそこそこはじめころから撮影されている。西洋では、19世紀はまだまだ版画やスケッチが中心でして、いろいろ細部が重要な建築は粒子の粗い写真よりも、線画のほうがよっぽど情報量が多い。それから建築ドローイングは、もともと実体ではなく理念を伝えるものであった。実物写真より図面のほうがワクワクしますよね。あれです。

ともかく、写真による記録という点では西洋にくらべてそれほど遜色ないと思えるし、そもそも20世紀は日本にとって、一方的な輸入ではなく、そこそこの国際交流の世紀なのですから。そこでの作品、理念、論考、プロジェクトは基本的にはすべて存在意義を認めるべきです。よく機能主義の建築は、その自らの論理にしたがって機能的でなくなったら消えるべきなんて暴論をいう人がいましたが、その物件をうまく演出したらいかに稼げるかというポジティブな発想がないのです。日本建築20世紀はかなり食える飯の種ですね。

あまりイズム、スタイルで峻別して差別するのはよくありません。普遍主義、博愛主義でいきたいものです。国内紛争をしても、外国にはアピールしないのです。その点、20世紀!で括ると単純明快。すっきりします。

(9)ぼく的には良い一年となる?

ふりかかってきた災難というのは、よけようもなく、受け入れるしかないのですが、まあ今年はすこしはましと思いたいものです。リハビリもしたし。

(10)ぼくがけっこうなお年玉をいただく?

もうおじさんですからお年玉もないのですが。はずれ覚悟の予言。でもこのブログを書いていると、近所の人がやってきて、大きな大根をひとつおいていった。近くの農家からいくつももらったので、近所にくばってあるいているという。まだ土がついていて、葉っぱまで美味しそう。さっそくふろふき大根にしていただきました。

・・・ということで、予言を10件も考えるなんて大変ですね!想像力もすくなくなったものです。

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