《魔笛》とシャイオ宮
仕事疲れでも夜は観劇する。
バスティーユのオペラ座では《魔笛》をやっていた。
定番、安牌とおもってなにも考えずに見たのだが。《魔笛》はさまざまに上演されてきたので、演出も出尽くした感じがあるのだろう。今回の演出は、とことん機械仕掛け、IT仕掛けであった。
まずほとんどがヴァーチャルリアリティ的舞台装置である。舞台はほんとうに白い直方体の内部。そこにさまざまな図像を投影するのが舞台装置。
ほかに巨大透明マットレスを駆使しして、それをさまざまに組み立て構成して、場面をつくっていく。アイディアは悪くはないのだが、劇が進行中も、すりすりと、それらが床をこする音が聞こえて、やはりすこし興ざめではあった。
劇はひとつのゲームでるということになっていて、3人の子供が端末をもって登場するところからはじまって、ストーリーそのものはそんなにいじっていないが、最後はふたたび子供たちがあらわれて、「game is over」なる文字が投影される、という入れ子構造。
それはそれで楽しめたのだけれど。しかし学芸会ですね。
建築の聖地というわけではありませんが、シャイオ宮の建築・遺産都市にもいってきた。
常設展は旅の終わりにみるとなごむ。中世建築の部分は1983年に最初に見学したときいらい、数回目であるが、ITによる画像展示も追加され、基本は同じとしてもつねになにか発見がある(とはいえ全部見ていない、忘れる、などによるものだが)。今回、CGによって当初の彫刻の多彩色であった状態から、現在の無彩色の状態に移るようすがディスプレイ上に示され、よかった。
上の階に新設された近代建築の展示は、すでに報告したとおり。でもしつこく書こう。
ル・コルビュジエの《ユニテ・ダビタシオン》のモックアップ。これは森ビルの展覧会でもあったが、それとはまったく違う。森ビルではすべて白であり、空間のスケールしかわからない。しかしシャイオ宮では、PCパネル、床を支えるH鋼、木の棚、鉄板の郵便受けなど、素材そのものも復元されていた。さらに重要なのは、ル・コルビュジエの有名な写真で、RCのフレームにユニットを挿入するものがあるが、それを彷彿させるように、RCのスケルトン(さすがに本物のRCではない)に、H鋼の補助構造、内装壁などでできたユニットがインフィルされたことが、そとからはっきりわかるように、展示されている。
こまかいことはいろいろあるし、200年の近代建築の流れがよくわかるようになっている。
しかしここの展示の本質はさらにある。それは「現代と歴史をつなげる」ということにある。
たとえばヴィオレ=ル=デュクの大ホールプロジェクトの模型がそっとおかれている。鉄構造をつかった大架構である。彼は理論家でもあり、骨格/皮膜、支持/被支持、など普遍的な概念によって、ゴシック建築を普遍的建築モデルとして構想した。そしてこの理論と模型があると、ペレの劇場、ル・コルビュジエのドミノ、ユニテ・ダビタシオンも一直線であるとよくわかる。
日本は逆である。現代と歴史のギャップはどの国でも大きい。問題は、乖離してしまった両者を、ふたたびつなげようとする意志があるかどうかだ。事実性ではない。意志であり、指向の問題である。そして日本では、歴史と現代をはっきり切断する方向に、意志がはたらいている。
ついでにいえば下の階にあるゴシック建築ともほとんど一体化している。
地下では、フランス建築大賞を受賞したLacaton & Vassalの展覧会。日本の現代建築とはほとんど時差がなく、というか、国境もないようであった。さらにいえば、中世とも19世紀とも太い糸で繋がっていることもはっきりわかる。
現代と歴史をつなげる、かあ。それならIT仕掛けの《魔笛》も、認めなければいけないのかもね。
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