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2008.12.19

日本語と外国語のはざま

移動(旅とはいわなくなった)の途中で、弁当、週刊誌はほとんど古典的装飾である。車中で駅弁をいただき、週刊誌に目をとおすのは、旅人としてのロールプレイをしているようなもので、戦前デコイチで旅したときはこんなかんじだったのかな、なんていうことを考えたりする。旅そのものが古典的営みとなった。旅は、旅そのものをなぞる。

今回の移動では週刊文春をぱらぱらめくる。この週刊誌は活字離れ、週刊誌離れの趨勢のなかで、いにしえのテイストをよく残している。

書評で水村美苗『日本語が亡びるとき---英語の世紀の中で』について解説を読む。なるほど。書評だけで内容がわかるのは、その内容そのものが明快ですばらしいからである。そんな書評であった。

英語がますます国際語になってゆく。生活用語としての各国語はおそらくそのままのこる。しかし学術語は格段に英語に統一されようとしている。テクノロジーや医学ならいいが、まさに言語を対象とする文学とか、言語により意味づけをおこなう文化にまで波及すると、どんなことになるか。

言語は、考えを伝えるメディアではなく、思考をなりたたせるのに不可欠である。つまり言語は、思想、イデオロギー、そして人格、などの「そのもの」である。だから日本語は論理的思考を促さないという批判がある一方で、日本語は日本語アーカイブを背景にそなえたそれなりに豊かな知性インフラである。それを放棄して英語で学問をするということは、どういうことか。

これは抽象的な話ではない。きわめて具体的で、すぐそこまできている話である。

たとえば日本建築学会は、韓国や中国の学会と協力して、英語の建築学術誌を出している。当初は関係者たちはたいへんな苦労であった。アジア発の英語雑誌、国際的に認められるかどうか。そんな懸念。あるいは日本語の学術雑誌を英語化すればいいじゃないか。別個に英語雑誌などわずらわしい。そんな声もあった。

しかしこの多国籍アジア発英語学術雑誌は、英語圏の学術雑誌ネットワークに認証され、その一員となった。これは論文の書き手としてのアジア人のみならず、それら論文を審査するアジア人たちが英語圏内で認めらたということで、たいへん喜ばしい。

しかし、世界と直結するとどうなるか。同じ内容なら英語で書いたほうが、より世界に直結したものとなる。日本語で、国内雑誌に書いたものは、外国人には読めないから永遠に鎖国的状況である。

すると意欲的な人は英語で、そうではない人は日本語で、という棲み分けに発展し、やがて日本語は淘汰されるのではないか。あるいは研究者の階層化が生じる。

さらに、今では学術論文翻訳業者などというものがあって、お金さえ出せば、そして日本語論文の内容さえあれば、「世界に通用する」論文はどんどん書けるであろう。こうした「産業化」も英語化を促進するであろう。

翻訳文化としての日本文化はどうなるのであろうか。日本が近代化したとき、architectureを「建築」に訳すことから始まって、日本人は、英語などのヨーロッパ語、伝統的な教養としての中国語、そして母国語としての日本語という、多言語的状況のなかで、それらの統一として日本語を選んだ。そのために徹底的に訳語をつくるということをした。それを、最初から英語にしておけば単純ですんだものを、などといってはならない。

たとえば伊藤ていじの「結界」概念も、もともとは仏教概念であったものを、建築や空間のことばとして「翻訳」したものだ。この国内翻訳、あるいは原義をさらに展開するというようなことは、同一言語内ではできる。しかし日本人が、spaceやborderなど英語をつかっていたら、結界などを再発見する伊藤ていじという人そのものが、あらわれなかったであろう。日本語は、思考を展開させるエネルギーをまだまだもっているのではないか。言語はたんなる道具ではない。辞書的定義を超えたさまざまなものを引きずっているがゆえに、歴史的でもあり、言語そのものがアーカイヴのインデックスなのだ。言語を捨てるということは、このアーカイヴを捨てることである。

先日、ぼくが京都で参加した日仏建築シンポも、こういう意味では面白かった。つまり日本建築を研究しているフランス人たちは、20世紀初頭における「住宅」という造語、上に述べた「結界」、「駅」などに、(ぼくからすれば)異様な関心を示すのである。やたら語源はなにかにこだわる彼らのアプローチは、ぼくならばそうはしないという感想をいだくのであるが、他方で、彼らは日本語という空間を尊重し、その空間がきわめて生産的であるということを大前提としている。その意味で、当然のこと、英語が世界を征服すればなにかいいことがあるだろう、などとは彼らは思っていないだろう。

ぼく個人としては、フランス人たちと連携する今日的意味は、普遍的な英語の世界がすべてではないことを証言し、立証し、英語圏の外側でも豊かなことをしうることを実践することである、と思う。

ぼく自身はバイリンガルなどにはもうなれないし、せいぜい日本語+αにしかすぎない。しかし本当に、あるいは学術的な意味でバイリンガルとは、ぺらぺらに会話ができる、ということではない。英語なら(英語でなくとも西洋の言葉なら)、ラテン語、ギリシア語、あるいはそれらの文学を、そこそこ知っているということが必要だ。これは漢文、古文、あるいは近代日本文学を抜きにした現代日本語が、知性インフラとしてどれほどのものか、を考えるとすぐわかる。

・・・とはいえ植民地時代が長く、また国内学会がまだまだ成熟していない国においては、たしかに母国語で学問するデメリットより、英語でそうするメリットがはるかに大きいだろう。それは選択の余地のないようなことである。もとからの英語圏は、もちろん問題はない。

日本という、19世紀において努力して母国文化を立ち上げた国は、それを継続させるのに、これから大きな努力をしなければならない。建築でいえば、近代において日本人建築家たちが日本語でおこなった、観察、思索、考察、分析、理論化、その総体がやがて文化遺産となるでしょう。それを維持してゆく。ご苦労様だが、それはそれでしかたない。識者たちは「国際的に通用する人間を育てるためにも、まず日本語教育を」という。そのとおりだと思います。

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