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2008.12.26

再びバビロンで

1920年代にしこたま儲けたアメリカ人たちは、ヨーロッパ中をめぐって放蕩の限りをつくしたり、パリにやってきてはどんちゃん騒ぎをしたりしたが、大恐慌で一文無しになったり、真面目な勤労者生活にもどったり、・・・。フィッツジェラルド『再びバビロンで』では、そんな典型的人物チャーリーが、妻をそのさなかに病死させたり、娘を法定後見人から取り戻そうとしたりしながら、バブリーな時代への追憶にひたる。

1920年代ニューヨークという、おそらくネロ皇帝時代のローマに匹敵するであろう錯乱状況をレトロスペクティヴに描いたのがコースハースであった。それは近代人がグローバルに共有するトラウマといったものであろう。1977年に書かれた『錯乱のニューヨーク』は近未来へのシナリオではなく、近代という時代の古典、典型、であり、それはあるい意味で、破綻という局面において顕在するような類の典型なのであろう。

チャーリーは、大恐慌ののちふたたびパリに戻り、ホテルのバーでウイスキーをなめる。しかし前回羽振りのよかったアメリカ人たちは誰もいない。自分といえば、娘を取り戻すことも、一時頓挫して、しばらくペンディングである。

フィッツジェラルドは『こわれる』という短編も書いていて、いかに人が、ということは自分が、内面から崩壊するかを書くのであるが、しかも、回復したと自覚したまさにそのときに、自分はすでに壊れてしまったことを、発見するのである。床のうえに粉々になった皿を発見するように。

でもここで悟りをひらくのであるが、近代(性)を生きるということは、こわれののちを生きることであり、こわれそのものを生きることである。

昨今の金融危機で、いろんな情報を耳にするのであるが、そんな状況でフィッツジェラルドを読んでみるのも面白いだろうね。今読むととても普遍的なことを書いているように思える。

80年前と現代とは違うのだけれど、その大恐慌を思い出してみるのも悪くない。日本では金融の大再編成がなされて、とくに地方の銀行などは完璧に淘汰された。ヨーロッパでは、たとえば住宅供給への公的介入というずいぶん前から議論されていた方式に、大胆にシフトすることとなった。公的資金をつかったハウジング、社会的住宅、の供給。そこに合理性や機能性が要求されるのは当然のことである。だから20世紀の合理主義とは、単純化していてば、公共資金をいかにつかって社会的住宅を建設するか、そのために投資の合理性・透明性、それと表裏一体になった、住居のプラン、構造、構法、融資システムそのものの機能性・合理性が追求された、ということがコアになっている。つまりお金持ちが普請道楽としてたてる豪華住宅に、機能主義だのというものは、そもそも必要ないのです。だから歴史的には普遍的に存在する、もっと一般的な合理主義などとは区別しなければならない。

それはともかく「100年に一度」の危機によっていろいろ変わるでしょう。

ひとつはアメリカの次期大統領がはやばやと打ち出していたインフラ整備という大方針。これは新ニューディール政策とも呼ばれている。ちなみに中国でも成長率がやや低下することで多くの失業者がうまれ、それへの対策として大規模公共事業が始まるという。もともとアメリカは、橋が崩壊したり、道路も悲惨な状態であったり、ハリケーンの惨事からわかるように堤防もそうであったり、インフラに寿命がきている。そこをテコ入れすることは不況対策と同時に将来の成長へのよい投資となるであろう。すでにソフト業界などはその方向にシフトしているという報道もある。

年末なので来年以降のことも考えたりしますし、良きシナリオを悪いシナリオも世間から聞こえてきます。資本主義の崩壊、アメリカの崩壊(覇権喪失、アメリカの社会主義体制化)など。でも日本人はアメリカ好きであるのに比例して反米派もいるので、グッバイアメリカ派はどうも以前からある反米派のようです。でもアメリカはけっこう元気を回復するかもしれない。

ヨーロッパも苦しいし、今度の金融危機でも、多くの工場(そのなかにはアメリカの自動車工場もあった)が閉鎖され、建設マーケットも成長鈍化(というか不動産マーケットははっきり縮小)、フランスなどでは自動車産業を守ることは国家の最重要課題という認識が示される、などなど。トヨタの純益減少などの比ではない。そしてマーケットはまだまだユーロを信頼してはおらず、やはり強いのはドルのようです。日本の報道は円/ドルのことしかいわない。ドルが弱くなった、ということは対円の話しであって、国際マーケットではそうではないのですが、ぼくのようなシロートはしっかりしないと騙される。

楽観的なシナリオもあります。世界不況から、公共事業投資、とくにインフラ整備が活発になる。それが先進国内だけでなく、途上国にも実施される。すると所得向上、出生率低下という好循環になり、懸念されている世界人口爆発が抑制され、地球環境にとってもよろしい、というものです。これなどはぼくは生きて確認はできないような長い時間スパンのものですが、ありうるシナリオです。

理論的には、世界不況が現実のものとなった2009年は、いろいろ変化が起こるでしょう。2009~2010年からまったく違う時代だ、というようなことを知人とよく話しをします。以前にも書きましたが、バブルすらも実感として知らない世代がいよいよ活躍しはじめると、いっきに変わるかもしれません。

そのあと人は「こわれ」を発見して、フィッツジェラルドのように、そのこわれの認識によってバランスをとる、といったことになるかもしれません。

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