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2008.11.21

教育関係者のマニフ

「マニフ」とはマニフェスタシオン。デモのことである。

図書館で資料蒐集をして、成果があがったので早めに出ると、広場に人が集まっていた。旗やなんかをのぞいて、教育関係者のストとすぐはわかったのだが、よくわからない。フランス名物ということで、カフェで紅茶をのみながら見物。ギャルソンによれば、これがフランスだよ、教員の数を減らそうとしているのさ、ということであった。

火事と喧嘩は江戸の華、でもこの伝統はなくなった。しかしマニフはまだまだフランス都市の華だ。

フランスの都市空間は、基本的には17世紀から18世紀にできたものが、骨格をなしている。19世紀と20世紀は、それらのまとまりのある空間を、ひとつひとつの細胞のように組み立てなおしているか、スケール感の欠如したたんなるシステムとして機能しているにすぎない。ひとつの主張のもとに集まった人びとが、社会の現実のなかで、しっかり力をもっているように、実感できる(実際はどうかしらないけどね)のは、こうした古典主義の空間がいちばんなのだ。

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この広場はかつてブルゴーニュの権力の中枢であった。だからここに集結することに、アピール性がある。

ホテルにもどってインターネットでのぞくと、教育相のクサヴィエ・ダルコが教育改革を打ち出しているらしい。教職員の数を減らす。そしてこれまで1クラス30人であったものを、35人にするという。

教育関係者ならただちにわかると思うが、このプラス5という数字は、破局的である。一クラス20人までが全員に目の届く数である。30人はそれより多いが、頑張ればまだなんとかなりそう。35人はその倍近い。落ちこぼれは倍増するであろう。これはどの国の教育関係者もそう考えることである。

フランスのメディアも、その点を危惧する教育関係者の声を紹介していた。

ところでたいへん不謹慎な言い方かもしれないが、学校の先生のデモはしょっちゅうあって、外人から見ると一種の祝祭のような感じがする。先生や、労働者組合や、各種団体だけでなく、子供連れで練り歩く。いちばんの被害者は子供であるから、それも道理なのだが、参政権のない子供は拒否権はあるのだろうか、などという心配は野暮というものであろう。みんな楽しそうなのだ。だからぼくも見ていて、とてもわくわくする。

もちろん人はいろいろ。

ぼくがお茶を飲んでいたとなりのとなりのテーブルでは、7~8人の高校生グループがビールを飲んでいた。彼らはどうみてもちゃんとした生徒たちで、不良ではないが、ちょっとやんちゃな感じ。彼らはこの広場で教育改革反対のマニフがあることを知っていて、学校の先生たちが多数通ることを知っていて、その沿道で堂々とビールを全員で飲んでいたのであった。

彼らはマニフを茶化して奇声をあげたり、指笛をならしたりする。すると、どうみても学校の先生らしい女性が、なにやら説教をする。でも彼女が去ると、生徒たちはまたはしゃぐ、といった具合。彼らはひとしきり楽しんだあと、後から来たクラスメートと合流してさっと帰ってゆく。これはこれで祝祭の楽しみ方なのだ。

関係者たちにとっては切実なのだが、フランスでは校内暴力、教育改革とそれへの反対デモは一種のナショナル・イヴェントのようなものである。68年を思い出すひともいるかもしれないが、基本的には革命まで遡るのである。都市空間を自分たちの身体性によって支配しようという願望。もちろん暴力性/祝祭性のバランスはたしかにまったく違う。しかし空間の文化というものはこの200年、さほど変わっていないようにも思える。

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