レンゾ・ピアノの「改悛」
「レンゾ・ピアノは『改悛』し、ロンシャンの修道院プロジェクトを手直し」
というのがウェブ版ル・モンド紙文化欄の見出しである。2008年10月31日付、Frédéric Edelmann署名記事。
これは5月に問題になって、ぼくのブログでも紹介したことの顛末である。
フランスのロンシャン郊外に、ル・コルビュジエによるノートル=ダム=デュ=オ教会(1955)がある。その丘の中腹あたりに、ピアノが、クララ女子修道会の施設をつくろうとした。歴史的建造物委員会は賛成し、建設許可もおりたものの、カガン、コーエン、ル・コルビュジエ財団などが反対したもの。
記事を要約してみる。
「論争のすえ、土地造成は、11月17日に開始されることとなった。ピアノのプロジェクト第1案は、この夏のあいだずっと、シャイヨ宮の建築・遺産シテにずっと展示された。しかし建設されるものは、これではない。ピアノは違う案で建設することにした。しかし第1案も、目立たないかなり控えめなもので、ランドスケープ・アーキテクトMichel Corrajoud に協力してもらって、敷地になじむ建築とした。しかしル・モンド紙5月29日の記事にあるように、他の建築家から抗議の声がおこった。6月25日、建築・遺産シテでは、激しい論争がおこり、口頭ではかなりに辛辣なこともいわれたようだ。論点はひとつ、新しい修道院施設がすこしでも目立てば、それはル・コルビュジエへの「侮辱」になるぞ、ということであった。」
ル・モンド紙は、ピアノは対話を重要視する建築家であって、論争を沈静化し、引くところは引いた、というような説明をしている。
「ピアノはプロジェクトを修正したが、これはほとんど「改悛」であり、修道女たちの寝室を断片化するという当初のアイディアは守りつつ、丘の上からはほとんど見えないようにした。また丘の上には駐車場もなくなった。森のなかの地面にわずかな切れ目をいれて、そこからヴォージュ山脈が望める。こうしてル・コルビュジエ財団は青信号を与え、建設許可も修正され、着工日も決められた」。
・・・などなど。記事はあきらかにピアノにたいして同情的で、建築家が保守派に遭遇したが奇跡がおこって、云々の常套的説明で締めくくっている。ピアノは対話し、譲歩し、それでも創造のコアは守り抜いたのであった。かつてル・コルビュジエが賛美されたのと同じ書き方で、ピアノが賛美されているわけだ。
これは一種の景観論争であるが、日本でこの種の論争がなされるとき、保存/開発という60年代からの構図を引きずっているので、それはほとんど文化財/非文化財、デザイン性のある建築/もうけ主義の建築、などというステレオタイプとなってしまう。このロンシャンにように、優れた建築家どうしの対決というのも、いちど発生してみると面白いのだが。傷つく人も多いだろうね。でもロンシャンなら、改心、改悛といったとても好意的に受け止めてくれる。信念を通さないことは、ほとんどの場合、マイナスのはずだものね。
それとうがった見方。シャイオ宮のしかも大ホールでピアノ第一案を展示するというのは、宣伝ではなく、もちろん、見せしめなのですよ。そこまでやるか。6月のディスカッションもほとんどイジメだったんでしょうなあ。見たかった。
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