パラディオ生誕500年を記念するシンポジウム
ウェブ版Architectural Record誌の記事(2008年10月21日)から。
パラディオは1508年生まれだから、今年が生誕500年。それを記念して、古典主義建築・古典的アメリカ協会(the Institute for Classical Architecture and Classical America (ICA&CA) )がこの金曜日と土曜日にNYでシンポジウムを開催する(といってもぼくは行けません、どなたか行ってレポートしてくださるとうれしい)。「イントラ・モエニア(市壁の内で):パラディオと都市」である。協会の代表ポール・ギュンターは、これは歴史的価値のみならず、「将来の建築のために適用可能なパースペクティブを」検討するものであるという。
記事ではパラディオの紹介など詳しくしていたが、ぼくのブログを読んでくださるみなさんはすでにご承知だから、省略。
シンポジウムで討論されること。パラディオの市民建築、その「公共、都市へのインパクト」である。ヴィラについてはさんざん論じられたので、協会としては、市民社会を彼がいかに構想したかという「新しい角度、新しい視点」を抽出したいとのこと。つまり彼が市民生活をどう考えたか。というわけでシンポでは3点を論じる。
1:パラディオと市民世界
2:パラディオのアメリカ、ヨーロッパ、世界への影響
3:近代のパラディオ主義者たち
なお上記協会のパラディオ生誕500周年記念サイトはここ。
・・・・なるほど。アメリカ合衆国が建国されるとき、さまざまな建築的表象がつかわれた。民主主義を意味する古代ギリシア建築様式。共和主義と繁栄を意味する古代ローマ建築。そしてピューリタン的心情にはフィットするのも理解できるパラディオの様式。そのまえにイギリスのパラディアン・リバイバルはホイッグ党的リベラリズムにふさわしいという理解があったわけであるが。
ジェファーソンのモンチチェロはいうまでもない。ジョンソンのグラスハウスも、ある意味で抽象的なパラディアンだ。そしてコーリン・ロウにとっては、パラディオは、普遍的ヴィラの数学的・幾何学的なモデルであった。
今回は、パラディオの建築と、市民社会の理念、その両者の関係をみようというものだ。こういう問題はそもそもアメリカ人の自己意識の反映であるのはあたりまえ。すると彼ら自身の市民社会を再検討するという方向性が下敷きにあるのであろう。
8月に福田先生と立ち話をしたとき、アメリカ人のパラディオ解釈はもちろん偏向しているというようなことを教えていただいた。ヴィラ・バルバロについても、建築家パラディオと画家ヴェロネーゼはそんなに共同していたわけではないそうだ。つまりアメリカ人は、ヴェロネーゼ的マニエリスムを切り離し、もっと純粋なパラディオ像を求める傾向があるらしい。
それはもちろんなことであろう。推測するのは、これはアメリカ建築自身の原点回帰、初心再検討のようなものなのであろう。ということは現在において、アメリカ建築はじつは方向性を見失っており、そのことが自覚されている、というような深読みができるのではないか。
さらに深読みすれば、彼ら自身が築いてきた市民社会そのものの再点検ということか?その上での21世紀への視野ということか?
そんな方向性があるとしたら、たいへん偉大なことです。
さて日本の文化財行政との違いもはっきりしている。いつも指摘しているが、日本では、歴史=過去なのである。だからここでは歴史と現代は別物。しかし西洋では歴史=永遠、であるから、そこから現代的、将来的な価値を導くという発想が自然にできる。アメリカはこうやって16世紀ベネトの文化遺産を再生産し、自分たちの文化インフラとし、さらにそれをグローバルスタンダードなどにしてしまうのであろうか?
ところでぼくのブログのバナーでは、彫像の後ろ姿が映っています。これはパラディオのヴィラ・カプラローラ(ロトンダ)の庭園の一部なのですよ。知ってた?
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